東日本大震災1カ月 「人の思いは奪えない」 
被災者を奮い立たせる言葉の力

 人々をさらう津波、爆発する原発に日本中が悲愴(ひそう)感に覆われた。
だが、この1カ月に被災者らが紡いだ言葉は命を助け、悲しみを徐々に和らげ、沈む心を奮い立たせた。「支え合おう日本」。
言葉には東日本大震災を乗り越える力がある。

 ◆悔いなく生きる

 「6メートルの津波がきます。避難してください」。
3月11日、宮城県南三陸町の防災放送担当の職員、遠藤未希さん(24)は津波にのまれるまで、
防災対策庁舎2階で訴え続けた。最後は声が震えていた。

 「われわれはここで生活していく。めげてばかりはいられない」。
この庁舎の屋上で手すりにしがみつき、津波に耐えた佐藤仁町長は16日、
被災時と同じ防災服姿で自らに言い聞かせた。

 「内陸へ行け!」。仙台市の交差点で仙台南署の渡辺武彦警部(58)は、
警棒を振り回しながら避難誘導し、殉職した。この誘導で助かった会社員、鈴木和美さん(26)は
今月5日、同署で涙ながらに誓った。
「助けていただいた命。悔いのないよう生きていきたい」

 津波が襲う直前、岩手県大槌町の加藤宏暉(こうき)町長は役場の駐車場で対策会議を
開こうとしていた。「寒いからもう一枚服を羽織ってこいよ」。
町長のこの言葉で東梅政昭副町長は庁舎内にとどまり難を逃れた。
町長は遺体で見つかった。

 「町長の力に及ばないかもしれないが、町民のため復興に全力を尽くす」。
副町長は公民館の災害対策本部で指揮を執る。

 20日、宮城県石巻市の倒壊家屋から高校生の阿部任(じん)さん(16)、
祖母の寿美(すみ)さん(80)が救出された。
9日ぶりに生還した息子を父親の明さん(57)はたたえた。
「口数は少ないが、前から大したやつだと感じていた」

 ◆日本の救世主に

 「これから福島原発に出動する」「日本の救世主になってください」

 19日未明に行われた東京消防庁緊急消防援助隊による福島原発への放水。
佐藤康雄総隊長は帰京後の記者会見で、妻とのメールを明らかにした。
同席した冨岡豊彦隊長は声を震わせた。

 「隊員は非常に士気が高く、みんな一生懸命やってくれた。
残された家族には本当に申し訳ない」

 大規模な救援活動「トモダチ作戦」を展開する米国のルース駐日大使は23日、
石巻市の避難所で被災者の肩を抱いた。
「できることは何でもしたい。自然は人の命を奪うこともあるが、人の魂や思いを奪うことはできない」

 インターネットのミニブログ「ツイッター」ではこんな書き込みがあった。
「停電すると、それを直す人がいて、断水すると、それを直す人がいて、原発で事故が起きると、それを直しに行く人がいる。(中略)寒い中死ぬ気で頑張ってくれてる人がいる」

 原発事故により避難指示や屋内退避の対象となっている福島県南相馬市の桜井勝延市長は26日、動画投稿サイト「ユーチューブ」で切々と支援を訴えた。

 「政府、東電からの情報が不足している。食料も足りず、市民にとっては兵糧攻め的な状況。
暮らしと命を守るため、協力をしていただきたい」。
英語字幕付きの動画は20万回以上再生された。

 今月7日、震度6強の最大余震が宮城県を襲った。
南三陸町から栗原市に避難する自営業、阿部春美さん(65)は漏らした。
「地震がどこまでも追いかけてくる感じがする」

 ◆ペンで伝えたい

 『大(槌)小6年 松橋瑞季より 今みんなができること 1、明るいあいさつ。2、進んで仕事を見つけること。3、元気に遊ぶこと。4、手あらい・うがい・健康第一!!』

 3月20日、大槌町避難所の弓道場に張り出された「スマイル」というタイトルのメッセージボード。拡声器で読み上げられ、場内に拍手と歓声が広がった。

 未来を担う子供は力強い。31日、岩手県山田町の大沢小学校で6年生が「20歳の自分」へのメッセージをタイムカプセルに入れた。祖父が死亡、祖母が行方不明の大川海渡(かいと)君(12)は手紙につづった。

 『海はとても恐ろしい。でも海はとても大切です。きれいできれいで僕はとても好き。だから漁師になってお父さんといっしょに船にのっていますか』

 双子の弟、海成(かいせい)君は手紙とペンを入れ、決意を語った。
「将来は記事を書き、このペンを使って津波の恐ろしさを伝えたい」

 仙台が本拠地の楽天の嶋基宏選手は今月2日、日本ハムとの慈善試合で訴えた。
「ともに頑張ろう、東北。支え合おう日本。
僕たちも野球の底力を信じて精いっぱいプレーします」(年齢は発言当時)