今日このブログを読んだ時に、昨日のパパとの会話を思い出しました。
私「最近のちゃぼ(6歳の息子)の ぐずぐず、凄い酷いよねー!」
パパ「あ〜〜、最近なんか酷いなぁ。」
私「今日さコンビニ行った時にさ、お菓子を全然選ばなくって。
色んなとこ歩き回ったり、ぼーっとしてるから「急いでくれる?」って言ったら、
「じゃあ お菓子食べるなって事だね!それで僕が悲しめばいいんでしょ!それで僕がどんな気持ちになるか考えてよ!」
って延々続くから、もう うんざりして。
普通の会話すら出来んよ。」
パパ「あ〜〜、最近そんな感じだよね〜。」
私「もう どうしたらいいのかがさ〜、、、
まぁ結局は私の真似してるだけなんだろうから、私がやめるしかないんだろうけど。
私もねちねち言い続ける事あって、
ちゃぼからしたら「そんなつもりで言ってないのに、なんでそんな責めてくるの?」って思う事多いだろうし。
ま〜〜、あれだね。
「やめよう。」とか考えないで、自分の心が落ち着くのを ただ待ってるのが良いんだろうね。」
パパ「うんうん。それが良いと思うよ。」
そんな会話をしました。
これ、かなりの進歩というか、昔と全然違うのです。
昔のブログを読んだ方は分かると思うのですが、
数年前の私は
「どうせ私が悪いんでしょ。」
の塊でした。
分析しては、原因が自分にあるという所に毎回行き着いて、その重圧に潰れる、というパターン。
子どもや、パパや自分の親だったり、
なにか問題が起きたと思っては、その原因は私にあると自分を責める。
そして
「私さえ変われば まわりが変わるのに。」
「まわりの人達は鏡なわけだから、こんなに酷い事されるのは 私が酷いからだ。」
「まだ皆が変わらないのは、まだ私が変われてないからだ。早く、急がなきゃ。」
頭の中は常にこんな感じでした。
今思えば、なんて傲慢なんでしょうね(笑)σ^_^;
「自分のせいで」とか、見えない罪に苦しんでるつもりの人は、「自分にそんな影響力は無い」という事に気付いた方がいいのかもしれません。
昨日の会話で、数年前の様に
「ちゃぼは私の真似をしている。だから私がやめるしかない。」
と、【自分】へ行き着きました。
数年前と違うのは、
「だから私が変わるべきだ!」
と、自分責めをしなくなった事です。
ただ
「あ〜、私も最近そうなってたなぁ。
色々バタバタしてたり、不安な事が続いてたから、余裕無かったもんなぁ。」
とふり返り、そこで一旦立ち止まれる様になってきました。
「ただ落ち着くのを待つ」
そんなの怖ろしくて、数年前の私には絶対に出来ませんでした。
そしてパパが
「それが良いと思うよ。」
と言ったのも、昔の私だったら傷付いてました。
「ほらやっぱり、私に原因があるって事なんでしょ。結局私なんでしょ。」
って。
でも昨日はそんな事全く思いませんでした。
むしろパパが同じ気持ちで嬉しかったです。
子どもを傷付けない様に。そう思う時には むしろ、
「子どもは傷付いてもいい」
そう思った方が、遠回りに見えて 実は近道なのだと思います。
自分が落ち着く近道。
自分が見えない罪から解放される近道。
