初めて私のブログをご覧になる方へ

 

 

 

 

 

私のブログを読むことで、傷ついたり不快になったりする方もいらっしゃると思います。

 

 

 

再度、はっきりと申し上げると、私は、障害児や積極的治療、延命に、ポジティブな感情を抱いていません。

 

 

 

思ったことをストレートに書きます。

 

 

 

批判はやめてほしいです。綺麗事もいりません。

 

 

 

批判するなら読むのをやめて、去ってくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 (縦向きにできませんでした。見づらくてすみません。)

 

 

やってくれました。

親権仮押さえして、GW明けに手術したそうです。

 

3月に来た病院からの書面では、「3月中に手術しないと死を待つのみ、という状態になる」って言ってなかった?

それから1か月半ほど経ちますが、きっちり間に合ってますね。

 

 

病院からの書面も電話も返答せずにいたところ、先月から児相にバトンタッチされたわけですが、児相にも1日中多忙なので書面で連絡してほしいと伝えていました。

そして術前には、「検査の結果、心機能は安定しているので手術も乗り越えられそう。」という文書と、併せて同意書も送られてきてました。

 

まず、1回目の落胆。

 

次、「手術は無事終えました。」の文書。

 

2回目の落胆。

 

そして、上記画像の書面。

 

何も起きない。

すごい、すごすぎる。

術中はおろか、術後もトントン抜管できて、小児一般病棟に移る予定にまでこぎつけて…

ある意味すごすぎるというのが、私の一番の感想でした。

 

手術の打診からもうすぐ1年が経つうえ、極度の低酸素状態になって半年以上も経つのに、「心機能は安定」。

「心不全が進んで、もう無理ですねー」となることを、心の奥底で、実はこっそり期待していました。

 

もう多分終わらないですね。短命とはいかなさそうです。

 

 

何万人に1人の疾患にかかってるのに、人工呼吸器外せないかもとか感染症とか循環器の不具合とか、10%、数パーセントのリスクは難なくクリアするのは何故なんだろう…

Gのようにシブと……とか言ってはいけませんが、そう思ってしまいます。

 

もう、何が何でも死なないように、何かに仕組まれてるとしか思えない…

心臓切り開いたところで、次は消化器、次は人工内耳もするのか?

 

 

 

 

 

医者は「我が子は意思を持っている」とか言ってきたけど、痛い・嫌とかっていう反応や、動くものを目で追うって、我が子の場合はただの反射としか私には思えなくって…

職員という限られた人間に示された限られたものしか知らなくて、その範囲内だけで生きる人生って、それは憲法とかでも保障されている“自由”なんですかね。

上手く言えないけど、医療的にも生かされ、日常生活上も生かされているだけ、っていう感じが否めない。

 

 

ずって言ってきたことですが…

人造人間のようになってまで生きて、その先にある未来って何でしょう。

家族はいない。友達ってできるんでしょうか。そんな概念もない頭です。

お金で雇われて世話してくれる人が側にいるだけで、好きでいるわけじゃないでしょう。

時間になったから来て、時間になったから去っていく。

私のなかでは障害者入所施設って一生版老人ホームってイメージなんですが、障害児施設ってもっといいところなんですか?

 

 

施設って、当事者からすればもちろん預けられる・離れられる最後の砦だと思うんですが…

例えば国会議員は、「善良な福祉サービスの一環!国民のために!」なんて思っているでしょうか。

 

「殺すわけにはいかないなぁ。とりあえずまとめて世話しとけ。家族も困っているっていうんだし。」程度のように思えてしまう。

顔付きや言動、バックグラウンドだけで判断してはいけないですが、『この人ならそう思いそう』って議員、いませんか?

 

 

2ちゃんねるを作ったひろゆきさん、私結構好きなんですが、障害者施設が人里離れたようなところに作られていることについて、彼が「みんな見たくないんですよ」と言っていたのが印象的でした。

前後をきちんと覚えていないのですが、その言葉が私は離れなくって。

 

 

国は、「施設は増やさず、地域で共生していこう」としているそうですが、できると思いますか?

 

 


 

 

一方で、交通事故で小中学生・高校生や若者が死んでいくのはなぜなんだろう…

即死もあれば、意識不明の重体を乗り越えられずに亡くなってしまう。

 

絶対数が違うのはわかるけど、「バギーをひき逃げ」とか「高齢者の送迎車に追突」ってあまり聞かない。

上級国民が猛スピードで人をひき殺した事件、母子でしたよね。

車が歩道に突っ込む事件だって、たいていなぜかそこには子供の列。高齢者集団の散歩の列に突っ込んだ事件ってあるんだろうか。

 

「命はみな等しい」とかいう人出てくるだろうけど、その理論は間違いではないけど、なんだかなぁ。

同じ事故死(殺人だろって思うものも多々ありますが、)でも、被害者によってやっぱり憤りの温度は違う。

 

理不尽というのか、何というのか。

何に対してかわからないですが、相手が子供ならなおさら無性に腹が立ちます。

 

 

神様なんていないですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

進展の話に戻りますが、こちらからの申し出で、数日前に児相と会って話をしました。

でも心を入れ替えたからじゃないです。

 

 

病院が胃ろうをしたいのは、本人のためと言いますが、世話人の手間が楽にするためと施設入所のためという理由が少なくともあると思っています。

つまり、胃瘻をされると近いうちに入所になる。

 

SW等との話の中で感じたことですが、自宅→施設より、病院→施設の方が入所先は見つかりやすいようです。

近隣の施設は全て満床なら日本全国入れるところがあるならどこでも入れてしまいたいはずなので、胃瘻を急いでさっさと退院に持っていこうとするはず。

となると、経済面から、入院を長引かせるためにそれはなるべく遅らせたい。

 

これが面談までの私たちの思惑でした。

でも出鼻をくじかれます笑

 

なんでも、誰が親権を有するかと入所の形態(措置か契約か)・理由によって、入所費用の負担義務者が変わるそうです。

また、「本来なら、今回の手術を受けさせることが親権停止の目的であったため、手術が終わり次第その申立ては取り下げるべきだが、今後の治療も拒否する可能性があるなら申立ては取り下げない。」とも言われました。

 

確かに戸籍に親権停止のことが記載されて、死後も記録に残るのは気持ち悪いですが、死んだらもう関係ないし…

上の子には相続とかの関係で見られる可能性もありますが、いずれ“この事実”は話すつもりなので、戸籍で初めて知るなんてことにはならない。


今後も、これ以上不利益を被らないために“よく考えた言動”をとっていくことが必要だなと思いました。

 

 

ただ、徹底的に何もかも拒否・無視したとしても、日本という国は何とかしてくれます。

良くも悪くも、家族にとっても本人にとっても、“何とかして”くれます。

 

 

 

 

 

あともう一つ、児相とのやり取りの中で気になったことがあります。

 

児相も裁判所も、結局は医者の言いなりのようです。医学的に“物理的な”救命ができるなら、それはするべきだそうです。

例えそこに、どんな価値観があろうとも、医者がよしとするなら救命は絶対だそうです。

宗教的な「魂を云々」とか、親の「この子はきっと楽になりたいはず…」なんて考えは、子供の意思決定ににおいて排除されるべき判断材料だそうです。

 

「児相も裁判所も、結局医者の言いなりということですね。」という私の問いに、児相も否定しませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

またもう一つ。

偶然の繋がりから、「受任は無理だけど話を聞くだけなら。」ということで、法律相談にこぎつけることができました。

 

「今の日本では、生命の危機を差し置いて尊重される価値観はない。」

児相の話と同じですね。

 

児相は勝手にセカンドオピニオンを受けていましたが、その医者も同じ意見であり、日本で一般的に行われている標準的な治療法であるなら、担当医・病院の判断は真っ当だと、裁判所も判断するらしいです。

 

これを聞いて思ったのが、『医者って裁判所をも凌ぐ権力者じゃないか』ということ。

医学においては最高位の専門家なわけで、そりゃそうなんですけど…

 

じゃあ同意書ってなんなんでしょうね。

親権者とか法定代理人って、なんなんですか。

 

日本って、形だけのもの、好きですよね。

上司の承認印とか、大した説明もされない承諾書とか。

 

 

ただ有益な情報もいただけました。

申立てに対する抗告ではなく、【国家賠償請求】というもの。

いわゆる【国賠】といわれる国を相手取る訴訟だそうです。

具体的には、「同意しないということは間違いではない!」と訴える方法があるのでは、ということでした。

ただ、勝ち目はないだろうと…

 

また、弁護士を探すなら行政事件を専門に扱う方がよいだろうとも教えてくださいました。

 

さすがに国を相手取るのに、素人一人では困難極まりないと思うので、ついて下さる弁護士の方が見つからなければ泣き寝入り?になると思いますが…

探しつつ、自分ひとりでもできることに挑戦してみようと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この法律相談に私を繋げてくださった方が仰っていました。
 
「できる手は打ちましょう。」
 
何気ない一言かもしれませんが、今の私には何だか心が震える言葉でした。