夢があるとはどういうことか。


そもそも夢とは人生で実現したいこと。
人生の目的。

到達地点、目的地。


電車で例えたとすると降りる駅。

電車に乗っていて目的地が無い人は限りなく0に近い確率でいません。

皆、どこかしらで降りるはずです。


隣でつり革を持っている人に、

「どちらに行かれるんですか?」と聞いてみると、

大体は目的地か降りる駅が帰ってきます。


これが、

「どちらに行かれるんですか?」

「分からないんです」

!?

「じゃあなんで乗ってるんですか?」

「皆さん乗っていらっしゃるから」

だとかなり気味が悪い。

ある意味、奇才のにおいがしていいかも。。。


まあおいといて。


でも電車の中ではなく人生だとこういうことが多いです。

「どちらに行かれるんですか?」=「夢は何ですか?」

一見話を飛躍させているように見えて、シンプルに捉えるとこういうこと。

夢がないということは、電車に乗っていながら降りる駅がないことと同義です。


またこの場合、電車は手段を示しています。

例えば何か欲しいものがあるとするならば、お金を得る手段。

即ち仕事です。

一旦仕事を始めると、働き続けれなければいけないような感覚にとらわれます。

また自分の夢が何か考えかけた時でも、

仕事が舞い込んでくるとその思考はストップしてしまい、

答えを出すところまで考え続けることができません。


この思い込みと思考を停止させられるタイミングに加えて、

周りにも目的地を考えている人がいないという錯覚から、

ほとんどの人が目的地を考えることもなく電車に乗り続けます。


ですが、

目的地がはっきりしていない電車は乗っていてもつまらないです。

ましてや満員電車ならなおさら苦しいでしょう。


もう少しで京都に着く!ディズニーランドに着く!というような感覚こそがワクワク感を与えます。



行きたい場所があるならそれは素晴らしいことです。

行きたい場所がなくても探し続けていればきっと見つかります。

電車に乗りながらも景色をみたり、周りの人と会話をすることで目的地が見つかることもあるでしょう。

ですが、何も探さないまま電車に乗っているだけではいつまでたっても見つかりません。

そのうちに乗車券を買うお金もなくなる日が来ます。


たまには途中下車をして、夢ややりたいことを探すのも大切です。

一回乗ったら降りちゃ駄目なんていうのは、

降りることを知らない人か、勇気のない人です。



時間の使い方は自分でちゃんと決めましょう。


何をするにもしても選択しています。

朝目覚まし時計の音を聞いて起きるかどうか。
何を食べるか。
どの服を着るか。
今日何をするか。
何時に家を出るか。
誰に会うか。
何時に帰るか。

などなど。

どんな些細なことでも選んでいます。

毎日繰り返すようなことは習慣になっているので、選択している感覚はなくなっているかもしれませんが。

何をするにしても選択をしています。



ゲームであれば選択肢に限りがありますが、自分の選択肢は無限大にあります。

ただし、その選択肢は自分の知識の幅が限界です。

旅行をどこに行くか?という選択をするとき、

ハワイの存在を知らなければハワイの選択肢はありません。





選択の違いが人生の違いを生み出します。


過去の些細な選択の積み重ねが現状を作ってます。

自由に生きている人は自由になるための選択を積み重ねています。

不自由に生きている人は不自由になるための選択を積み重ねています。

健康な人は健康になるための選択の連続です。

不健康な人は不健康になるための選択の連続です。

何でもそうです。


ある日突然、今の現状になった訳ではありません。

過去の選択の積み重ねが今です。

だから今の自分は自分で選んできたことだから仕方ありませんよ。

という話ではありません。

未来の自分はこれからの選択の積み重ねです。

選択を変えれば未来は変わります。

未来を変えると聞くと大きなことをしなければいけないというイメージを持つ方もいると思います。

でも実は大きなことではありません。


未来を大きく変えるためには、小さな選択を変えることです。


実現させたい未来から逆算して直線上にある選択肢がベストの選択です。



今日の時間の使い方はベストな選択ですか?


今の結果を決めているのは環境(人)です。

人が自分の常識を作り出します。

常識が行動の基準になります。

心に苦痛を伴わない行動。

もちろん人によって違うので、

それぞれの人の常識にそった行動をとります。

常識は集団で似かよります。


それは何となくイメージが湧きやすいかと。


ギャルメイクの集団にすっぴんが一人いたら違和感ありますね。

可能性が0ではないですが。


すなわち周りの人で人生大方決まります。

もっというと常識が作られてく過程に大きく影響を受けた人に似ます。

多くは両親ですね。

あとは兄弟、友達、学校の先生。


実はいくら得たい結果があったとしても、

常識が変わらないと得ることができません。


いくら普段お金が欲しいと思っていても、

あなたの常識がお金を持っていないのであれば、

お金は入ってきません。


いくら綺麗でモデルみたいなコとつきあいたいと思っていても、

あなたの常識が許さなければ、一緒にいても苦痛だらけです。


だから基本的には自分の周りにはざっくり自分と近い環境の人がいます。


では今は得られていないもので、得たい結果がある場合。

そのことに努力するのもいいんですが、

その結果を既に手に入れている人に近づく努力をした方が効果的です。


その人の近くにいることで、

その人の選択の基準がわかります。

行動の基準がわかります。

その人と一緒にいると、その基準、すなわち常識がうつります。

で、同じ勝ち基準で行動をしていくことになるので、

選択するときにも苦痛がありません。

ただ、常識がうつるまでは一緒にいると苦痛感がありますが。

だって自分の常識とは違う選択をするので。



ということで大事なのは人です。


昨日は名古屋でセミナー開催。

やりたいことの見つけ方というテーマでした。


朝起きたときの感情で、

本当にやりたいことができているかどうかわかる。

実際に時間を使っている最中ではほんとの感情には触れられない。

繰り返しで変化のない日々でも、多少は達成感があって、

多少は喜びもある。


でも心を揺れ動かすような衝動は起きていない。

人間は生物の基本構造として新しいことをすることを嫌うようにプログラムされているので、

繰り返しの日々になるのは至って普通のこと。

人間の最大の欲求は現状維持


ただ至って普通に脳を使わずに生活をしていたら、

心をゆり動かされることが無いのは何となく想像できると思う。


感動するような人生。

楽しくて仕方ない人生。

そんな人生を送りたかったら、変化をしていかないとならない。


「安定がいいんです」

時代が日々めまぐるしく変化している以上、

何もせずに安定というのはありません。

安定を求めるなら変化すること。

変化の先に、安定と大きな感動が生まれる。


変化。

変化。

変化。



変化する為には、

まず現時点でやりたいことがやれているかどうか。

「これでいいです」

ではなく、

「これがいい」

でもなく、

「これじゃなきゃ駄目なんです」

という次元。


そこまで言えたなら、日々の時間の使い方は充実しているでしょう。

寿命=残りの時間

時間を使っていかに楽しみを得るか。

如何に感動を得るか。


それは時間の投資によって決まります。

どう投資するか。。。



時間の使い方に関しても今後シェアできたらと思います。


お読み頂きありがとうございました。




結局のところ上手くやろうとしてるだけだったことに気付いた。


もっと奇人になろう。

もっと変態になろう。


そう思った。


今のままやっててもちっとも面白い人生にはならない。

それを激しく実感した。


ぶっちぎりに行動してるやうつじゃないと面白くないし、

ぶっとんだことを言ってないと面白くない。


こいつ気になる!って存在には到底なれない。



気付けてよかった。

そうなれるかどうかは置いておいて、

もっと変人になろうと思えた。

それがでかい。


自分は社会不適合者なのに、適合者の仮面をかぶっていた。

だから日々の生活に抑圧されている感が出ていたし、

ストレスもたまっていた。



もっと自分らしく生きたい

何からも縛られたくないし、自由に生きたい。


やりたいことをやりたいと思った時、


瞬時にそれができるように。


そんないわゆる普通では無理なライフスタイルにしたいんだから、

普通にやってちゃ到底無理。


普通じゃない結果は、普通じゃない原因があってこそ。


普通でいなくなる恐怖心はもちろんある。

それは隠さない。


ただ今は普通でいることの恐怖心のが強い。


もっとぶっとびたい。


ぜってぇ自分の殻をぶち破ってやる。