三島由紀夫著「金閣寺」・・・ | モバイルおやじ@curbのブログ

三島由紀夫著「金閣寺」・・・

三島由紀夫著「金閣寺」

昭和35年9月25日 発行

平成15年5月30日 102刷改版

平成30年5月10日 140刷

新潮文庫

 

1950年(昭和25年)7月2日未明、鹿苑寺(金閣寺)において発生した放火事件を題材に、事件から6年後の昭和31年、三島が30歳で書いた作品。

この作品で昭和31年度読売文学賞を受賞。

 

もとは雑誌新潮1月号から10月号まで掲載されたため、この文庫も10章からなっている。

 

この放火により国宝の舎利殿(金閣)が全焼、室町幕府3代将軍足利義満の木像の他にも、観音菩薩像、阿弥陀如来像、仏教経巻など文化財が焼失。

 

wikipediaによれば、同寺子弟の見習い僧侶で大谷大学学生の林承賢(京都府舞鶴市成生出身、1929年3月19日生まれ)が放火の容疑で逮捕され、1950年12月28日、京都地裁から懲役7年を言い渡されたのち服役したが、服役中に結核と統合失調症が進行し、加古川刑務所から京都府立洛南病院に身柄を移され入院、1956年(昭和31年)3月7日に26歳で病死とある。

 

なお現在の金閣寺は、事件から5年後の1955年に再建されたもの。

 

あらすじを簡単にまとめると次の通り。

 

主人公の溝口は吃音の障害により幼い頃から自分の殻に閉じこもりがち。

 

父親は舞鶴から東北の日本海へ突き出したうらさびしい岬にある寺の住職で、彼に幼い頃から金閣寺のことを語って聞かせた。

 

その父が肺患で亡くなる前、父に連れられて金閣寺を訪れたのだが、父と住職はかつて3年に亘る禅堂生活を共にした仲。

そこで彼を預かって修行させてもらうよう住職に頼む。

 

溝口は、その存在すべてに憧れる金閣寺を間近に暮らす満ち足りた日々を過ごすうち戦火も拡大し東京に初めての空襲があり、やがて京都にも焼夷弾が落とされ金閣寺も焼失するという妄想が募るが、京都では何事もなく終戦を迎える。

 

父の死後、母は寺の権利を人に譲りわずかな田畑も処分して伯父の家に一人身を寄せることになったため、もはや彼には故郷に帰って継ぐべき寺もなくなり、母は彼が住職の後を継いで鹿苑寺の住職になることを願う。

 

やがて老師の好意を得て大谷大学への進学を果たすことで、自身も将来後継となる夢を強くする。

 

鹿苑寺(金閣寺)で一緒に修行する鶴川との親交と彼の突然の事故死や、大谷大学で知り合った同窓で内飜足の柏木との交流を交えながら話が進行していく。

 

老師の世俗にまみれた姿を知った彼は、老師から学業の怠慢を叱責され、老師から”今は彼を後継にする気持ちがなくなった”と告げられた後、寺を出奔し中学校の修学旅行で来たことのある故郷に近い西舞鶴から由良の浜に向かうのだった。

そこで突然「金閣を焼かねば」との想いが浮かぶ。

 

人間のようなモータルなものは根絶することができない。

そして金閣のように不滅なものは消滅させることができる。

 

昭和25年3月17日に大谷大学の予科を修了し、21歳で辛うじて落第せず本科へ進むことになるが、すでに破滅へと続く道を引き返すことはできなかった。

 

三島由紀夫(本名:平岡 公威/ひらおか きみたけ)は1925年(大正14)1月14日生まれ、 1970年(昭和45)11月25日、45歳で割腹自殺による壮絶な死を迎えるわけですが、早熟な天才が生き急いだ末に自らの人生を閉じた感がある。

祖父、父も同じく東大法学部を出ており、その家系はまさにエリートと言える。

同時代の作家では安部公房(1924-1993)が浮かぶ。

 

巻末の佐伯彰一氏による「三島由紀夫 人と文学」には、

学習院初等科入学の頃には満州事変

昭和11年初等科5年の頃には2・26事件

学習院中等科では盧溝橋事件

昭和16年に太平洋戦争勃発

昭和20年(1945)、東大法学部に進学した翌年に20歳で敗戦

昭和22年、大学を卒業後大蔵省銀行局に勤務するも1年半ほどで辞め、作家生活に専念。

とあり、三島がまさしく昭和という時代の荒波とともに育ったことがわかる。

 

話は変わるが、彼の作品中には今の私たちには馴染みのない言葉が多く出てくる。

 

突兀(とつこつ) 

権柄(けんぺい)

光彩陸離(こうさいりくり)

築泥(ついじ)

顳顬(こめかみ)

轆轤(ろくろ)

包摂(ほうせつ)

羈絆(きはん)

逕庭(けいてい)

蹲踞(つくばい)

遁辞(とんじ)

暢達(ちょうたつ)

嚏(くさめ)

渝る(かわる)

阿諛(あゆ)

揣摩(しま)

偏頗(へんぱ)

遍満(へんまん)

瑕瑾(かきん)

轗軻不遇(かんかふぐう) 

截然(せつぜん)

一本(ひともと、と読ませる)

荏苒(じんぜん) 

殷賑(いんしん)

激湍(げきたん)

 

何と格調高く高尚な文体なのかと思わずにはおれない。

その表現方法はある意味哲学書に接してその精神を味わうような感覚を受ける。

その一方で、三島という人間の類まれな教養と資質に恵まれた選ばれし者の幸福と不幸、満足と不満、自尊と虚栄、恍惚と失意をみる思いがする。

 

作品中で柏木が発した言葉は三島自身の言葉ではなかったのか。

鶴川の死から3年後、柏木が故郷に帰る前に溝口と会って議論する場面。

溝口が「世界を変貌させるのは決して認識なんかじゃない、世界を変貌させるのは行為なんだ。それしかない」と言った言葉は三島自身の言葉だと感じる。

 

いずれにしても三島のこの作品が昭和を代表する文学作品であることは紛れもない事実だが、このあまりにも格調高く隙がなく完成された表現に接する時、三島の天才故に覆うことのできない虚栄に似たものを感じずにおれないのは凡人の僻みかもしれない。