渡辺久子著「母子臨床と世代間伝達」・・・ | モバイルおやじ@curbのブログ

渡辺久子著「母子臨床と世代間伝達」・・・

渡辺久子著「母子臨床と世代間伝達」

2000年5月20日 発行

2001年10月20日 四刷

金剛出版

 

<目次>

はじめに ― 古今東西の世代間伝達

   序編

社会の変容と子どもの心

<キレる>子どもと<キレる>心の世代間伝達

心の芽生えと親子関係

世代間伝達の精神病理

少子化時代の精神療法

   第Ⅰ部 乳幼児精神医学

愛着と周産期

関係性の障害と乳幼児

乳幼児心性とライフサイクル

乳幼児の精神障害の診断と分類

乳幼児期の神経症的障害

食と心の原点としての授乳体験

乳幼児期のfeedingと摂食障害

   第Ⅱ部 母子臨床の実践

照らしあう母子の関係

世代間伝達の治療構造論 ―親‐乳幼児治療―

親‐乳幼児治療の実際 : 理論と技法

摂食障害と世代間伝達

子どもの心身症

児童虐待と世代間伝達 ―連鎖を断ち切るために―

子どもを亡くした家族への援助

発達することの不安と喜び(1) ―心の誕生への旅―

発達することの不安と喜び(2) ―固着と退行―

発達することの不安と喜び(3) ―心の発達への援助―

あとがきに代えて ―無名の親たちから教えられるもの―

 初出一覧

 

以下に本から学び心に残った内容を引用してメモしておきます。

 

“同じ出来事も、その子の自己像や人間像が明るいか暗いか、その子の対応能力の成熟度が高いか低いかにより、まったく異なる意味をもつ。たとえば同じいじめも、今まで誰にも理解されたことのない子の場合は、またかと絶望しやすいが、必ず支えてくれる親や友人や先生のいる子にはしのぎやすい。”

 

“米国の乳幼児の心の発達研究家、スターンとクラメールは、乳児が鋭敏な感覚で、周囲の雰囲気を察知し、親の心まで見抜いて反応することを研究しており、スターンは乳幼児期の「無様式知覚」(amodal perception)と「情動調律」(affect attunement)の概念を提唱。

無様式知覚とは視聴覚、触覚、振動覚、固有知覚などの感覚器官の違いをこえて、どの知覚系で捉えたものも、その刺激の強さや流れによって、その本質を見抜く感覚。

乳児は無様式知覚を用いて、母親の表情、声のトーン、身体の緊張、歩き方、四肢の動きなどから、母親が緊張しているのか、落ち込んでいるのか、ゆったりと安定しているのかを識別する。

母親の方も、自分が生き生きと安定していると、乳幼児の気分にうまく波長を合わせ、響き合った反応をすることができる。これを情動調律といい、乳児は母親の情動調律があると、はりきり、生き生きと活動する。”

 

“親の子育てには、親自身の受けた育児体験が影響する。国際的な愛着理論の研究は、厳しく突き放して育てられた子は、突き放す親になりやすく、虐待されて育った子は虐待しやすい親になり、暖かく寛大に認められて育った人は、包容力のある親になりやすいという結果を示している。これを愛着パターンの世代間伝達という。これは決して決定的ではなく親自身がつらい養育体験を感情をこめてふりかえり内省することができると、わが子に葛藤を伝達しないですむといわれている。”

 

“子どもの心の問題の要因は複雑で、現在の出来事と、今までの生活体験や家族関係が複雑に絡み合っている。

子ども側の要因には、

①その子の気質や感性

②現在の発達段階

③病気や不安などの心身の状態

養育環境側の要因には、

①母親の性格や子どもへのかかわりかたや精神状態

②父母関係の葛藤

③家族内の関係や、社会心理経済的状況・家庭外の世界との関係

などがあげられる。”

 

“自己のありのまままの実態をしみじみとふりかえる姿勢、言いかえれば親が己を振り返り見つめる機能を内省的自己(reflective self)とよび、内省的な自己は精神病理の世代間伝達を防ぐ可能性をもつ。(英国アンナ・フロイト・センター所長のフォナギーFonagy,P.)”

 

“単に目に見えた現象だけをとらえるだけでは足りず、現象の背後にある意味を同時に把握してゆかなければならない。たとえばそのよい例として、乳幼児期に一見おとなしく手のかからぬ「良い子」があげられる。その「良い子」の中には、親が自分の都合にあわせて乳幼児期から子どもの自発的な行動を抑圧し、ウイニコットのいう「偽りの自己」(false self)を発達させてしまった場合が含まれる。その結果しだいに成長するにつれて、人格発達上の未熟さや歪みが露呈し精神病理を呈することになるのである。”

 

“乳幼児期はおよそ3歳位までの乳児期(infancy)と学童期以前の幼児期(childhood)を含むが、特に乳児期の心の発達と病理の特殊性は次のウイコット(Winnicott,D.W.)の言葉に要約される。「赤ん坊というものはいない。赤ん坊は常に赤ん坊と母親という対として存在する」「乳児期に個人の病理というものはない。あるのは赤ん坊と母親(あるいは他の養育者)の関係の病理である」”

 

“「乳児が母親を見つめる時、乳児は2つのものを見ている。自分を見つめる母親と、母親の瞳に映った自分とを」とウイニコットは述べている。

しみじみと真心をこめて自分を見つめる母親の瞳に、赤ちゃんは自分の存在が母親を、母親の存在が自分を幸せに満たしている互恵的な関係を吸収し、心の栄養にしているのである。”

 

“家庭であれ、保育園であれ、食事のたびに子どもは食物だけでなく、家族や仲間の会話や表情、感情や考えを交流しあい、心にとりいれ、いわば家庭の団欒やその集団の情緒的気風を”食べて”成長するのである”。

 

“目標のために計画を立て、効率のために手段を選ばない生き方をビジネスの原理という。これに対して、生命のあるものを、ありのままの存在として慈しみ、育む姿勢を母性原理という。幼い子どもの心の発達は、ビジネスの原理にはなじまない。素朴で自然な暖かい感情に包まれないと、心というものは、健やかには育たないのである。”

 

“親‐乳幼児治療は、母親を最大限にサポートしながら、現在の生活に混入してくる無意識の過去の葛藤や悪夢を理解することに焦点をあてる。乳幼児によって母親の心に誘発される葛藤を解放することにより、乳児との健全な母子関係の確立を助けようとする。”

 

[心のおむすび] 

“おいしいおむすびは、よく炊きあがったご飯をあつい、あついといってさましながら、両手でしっかりにぎってつくる。

 赤ちゃんの心を育てることは、ご飯をたいておむすびをにぎる過程にどこか似ている。まず心もおむすびもどんなにスイッチひとつで何でもできる世の中になっても、手作りでやるほかはない。ふっくらと炊きあがった一粒一粒のご飯の香りと、手でしっかりとにぎられたほどよいかたさの両方がそろって初めておいしいおむすびが生まれる。

 赤ちゃんの心もそれと同じようにまず暖かく包まれながら喜怒哀楽の感情が炊きあげられ、次にその感情が周りと調和してゆけるようにお母さんにさましてもらいながらまとまってゆくなかで、おいしい心が生まれる。

 心のご飯を炊きあげるのが生まれてから1歳半まで(共生期から再接近期の入口まで)、炊きあがった心をいい形にむすんでもらうのが1歳半からおよそ3歳まで(再接近期から対象恒常性まで)。

 赤ちゃんは、最初は衝動の塊。生理的な快さや不快感、欲求不満や満足の状態によって喜びや怒り、楽しみや悲しみ、安心や不安が湧き上がる。その中から奥行きのある複雑な感じ方がしだいに芽生えてくる有様は、お米からご飯が炊けてくるのに似ている。

 初めての笑顔がでる2~3カ月はまずご飯の水があたたまり(共生期から分化期へ)、人見知りの7~8カ月頃はぐつぐつと煮えて沸騰してきたようなものです(分化期から練習期へ)。

 あんよの本格的になる1歳過ぎは、なんともいえぬ香り豊かな個性がふっくらと炊けてきて(練習期)、およそ1歳3カ月から1歳半にかけては喜怒哀楽の感性が一番むきだしになり、自分のつもりや感じかたにそぐわないと、はっきり「いや」と意思表示する(再接近期)。

 1歳半の「いや」は、健やかな心のしるし。ちょうどご飯が炊きあがったばかり。あつくて手におえない時期である。こうしたい、となったらテコでも動かない。自分の考えや行動を邪魔されたらゆるしてくれない。特に大好きなお母さんにはわかって欲しいし、認めて欲しい。その一方で世界が拡がり理解力が増した分だけ、自分の無力や小ささもわかってきて、お母さんから離れ難いのである。

 黙々と独りで遊べる時もあるが、お母さんの後をトイレの中までくっついていきたがる(再接近期の分離不安)。ネンネの赤ちゃんだった頃のおとなしさに思わず引き比べて、わがままな子に育ってきたのか、と心配さえしてしまう(再接近期危機)。

 でもそうではない。情緒が出揃っただけなのである。そしておむすびづくりの本番、その楽しさも大変さもむしろここから3歳位までが勝負である。このあつあつのご飯をどうやって上手にさましながら、いい形にまとめあげてゆけるだろう?

 たとえば1歳半のAちゃんは机の角に頭をぶつけてワーッと泣きだした。

ぶつけて痛いだけでなく、不意に予期せずひどい目にあったのでくやしいやら、いまいましいやら。机にあたりちらしたい気分である。そこへお母さんがやってきて、「痛かったねえ。だいじょうぶ? 痛い痛い、とんでいけー」といって優しくだっこして頭をなでてくれた。いやなことがあって、思いのたけをだしたら、お母さんは暖かく受け止めてくれて、最後には幸せな気持ちになった。いやなことは乗り越えられるからあわてなくても大丈夫なんだ。

 いつもこうしてしっかりと怒りや不安を抱きとめ、落ち着いた自分にもどるのを助けてもらう中で、Aちゃんは2歳近くにもなると、同じように頭をぶつけてももうワーッとはならない。自分の頭に手をやって、まるでお母さんにやってもらったとおりに「痛い痛いとんでけー」と自分にいい聞かせている。そうやって、やってもらった楽しい記憶が甦ってきて心の中で助けてくれるのである。しなやかな感じ方と自分の落ち着きを保つ力の両方が育ち、いいにおいのするおむすびのような心になってきたのである。

 泣いた時に怒鳴られれば、ますます心の炎は燃え上がり、叱られるこわさやくやしさゆえに、かりに口をつぐんでも心はカーッとしたままであろう。

 お母さんやお父さんに暖かく受けとめてもらいながらこのむずかしい1~2歳の時期を過ごせた子は、しっかりとにぎってもらったおむすびのように、自分の感じ方を豊かにもちながらしかも穏やかな落ち着きのある心になれるのである。”

 

“親というのは子を救うおうとするなら、ちょうど海で溺れるものを救う救助者のように、後ろに回って一度しずめてもいいからしがみつかれてはいけない。”

 

“葛藤の世代間伝達とは、親自身が受けた心の傷や親子関係の葛藤が、誰にも理解されぬまま心に深く抑圧され続ける時、何気ない日常生活のふれあいの瞬間に、思わず無意識に子どもに伝わることをいう。一方、虐待の精神病理が伝達するのではなく、親自身が虐待を受けることにより愛着体験が歪み、歪んだ愛着パターンが親子関係で伝達されるという指摘もある。安定した愛着型の母親からは、不安定な愛着型の子が成長した研究報告もある。”

 

マーガレット・マーラー(Mahler,M.)  -赤ちゃんの心の誕生のプロセス-

“生後1~2か月の赤ちゃんの心の世界は、あたかもお母さんの胎内にいたときの生理的平衡感覚を保とうとするかのように、外界への興味は閉ざされ、まるで卵の殻の中の世界のような「正常な自閉期」(normal autisticphase)あるいは「原始的な自己愛期」(primary narcissism)を経て、生後およそ2か月目に入ると、「正常な共生期」(normal symbiotic phase)/ (自分がそのお母さんと融合しているような実感の中に生きている世界)に移行し、この共生期がゆったりと幸せに満ちたものであると、赤ちゃんはおよそ4か月から36カ月かけて次の「分離―個体化期」(separation-individuation phase)に進んでいきます。

分離とはお母さんの身体から物理的に離れ、自他の境界がつくられていくこと、個体化とは、中枢神経系統の成熟により自律機能、記憶力、認識力、現実検討力などが発達していくことを意味する。この時期は第1期の分化期、第2期の練習期、第3期の再接近期、第4期の個体性の確立期の4段階にわけることができます。この時期を経て、およそ満三歳ころにはその子の生涯にわたる心の原型がだいたい形づくられるのです。”

 

第1期:分化期

生後約4.5カ月から10~12カ月にかけて分化期(differentiation phase)と呼びます。

赤ちゃん自身がはっきりと目ざめ、耳をすまし、目をこらし、手でさわることにより外界に注目して取り入れようとする動きがみられます。卵が孵化するように意識の分化が始まるのです。たとえば、毛布やタオルに赤ちゃんが自分から執着しはじめるのもこのころです。これはどうやらお母さんではないけれど、お母さんの名残りをもった中間的な性質をもつ対象を赤ちゃんが安心と充足のために見つけ出したもののようです。これは移行対象(transitional object)と呼ばれます。

 

第2期 : 練習期

生後約10~12カ月から16~18カ月は練習期(practicing phase)と呼ばれます。

練習期は前半と後半の2期に分けることができます。前半は赤ちゃんが這い這いで移動したり、よじ登ったり、つかまり立ちをして初めてお母さんから物理的に離れる時期です。後半は歩行ができるようになり、ヨチヨチ歩きを始める時期です。

 

第3期 : 再接近期

生後約15~16カ月から18~24カ月までを再接近期(rapprochement phase)と呼びます。

この時期には歩行によって芽ばえた分離意識と、お母さんなしには無力なことに気づくことから幼時の分離不安が高まります。幼児自身の方から共生期のような一体感をお母さんに再び求めようとして近づいてくるので、再接近期という名がつけられています。

幼時にも自分の感じ方や意図がはっきり芽ばえるので、お母さんと子どもは急にささいなことで衝突しやすくなります。お母さんは幼時を自らの自己主張をもった一個の人間として認めざるを得なくなり、幼児自身もこの世は何でも自分の思い通りになるわけではないこと、お母さんは自分と一体になって何でもかなえてくれる人ではないという現実を徐々に受入れ、万能感を放棄せざるを得なくなります。再接近期はどの子にとっても危機的な様相を呈する発達時期であるため、そこで展開する葛藤的な母子関係を再接近期の危機(rapprochement crisis)と呼びます。現実生活にはいやなことと良いことと両方あるけど心配ないんだ、というふうに物事の両面を総合的にとらえていくことで健康な現実検討力が発達する。

 

第4期 : 個体性の確立期

生後24カ月から36カ月ごろにかけてを「個体性の確立期」(consolidation of individality)と呼びます。今はどんなときにも心のよりどころであるお母さんの全体像を思い浮かべることができるので、お母さんと安定して離れていることができます。いやな出来事もいい出来事も、それはそれだけのことであって自分の存在を脅かしたり破壊したりするものではなくなってきたのです。このように心の外ではなく中に依存対象が確立することを対象恒常性(object constancy)といい、これができ上った状態を心の誕生と名づけることができるのです。

 

 

24年も前に書かれた本ですが今読んでも新鮮な気づきが得られ、豊富な症例を通して「親‐乳幼児治療」の実際を知ることができました。

 

こうした専門書にありがちな難解で回りくどい表現がなく、それぞれの項目で症例が具体的に示されているところもわかりやすかった。

 

各症例からは、乳幼児がいかに敏感に母親の気持ち察して強く影響されるか知ることができると同時に、乳幼児と接することで母親の中に眠っていた過去の記憶が子どもにも影響を与えることも理解できました。

 

著者のような熟練の治療者のちょっとした対応が治療の場で母親に気づきを与え、母子が健全な状態に戻っていく過程に接する時、やはりプロフェッショナルな治療者という存在の大きさを感じざるを得ません。

 

本の最後の「あとがきに代えて ―無名の親たちから教えられるもの―」を読み、改めて著者の温かい思いやりに満ちた人間性を感じることができ心が温まった思いです。

 

私自身ちょうどいま孫が3歳になるので、彼の見せる行動に照らし合わせながら、なるほどそういうことなのか・・と実感しながら大変興味深く読みすすめることができ、併せて大きな学びを得た思いです。

 

因みに著者の渡辺久子さんは現在77歳。

横浜市の渡邉醫院で同じく医師の夫と開業されているようです。

生涯現役ということですね。

 

私の好きなガンジーの言葉に、

Live as if you were to die tomorrow.

Learn as if you were to live forever.

というのがあります。

 

私はすでに68歳ですが、まだまだ自己研鑽を忘れず日々学び続けていきたいと考えます。

こういう専門書ならもっと読んでみたい・・・。