出雲一泊旅行①・・・ | モバイルおやじ@curbのブログ

出雲一泊旅行①・・・

先日「古事記」を読んで勉強もしたことだし、今回は前から行きたい場所の候補だった出雲に一泊二日の旅行に行ってきました。

金曜に年休を取ったので土曜の夜には帰ってこられます。

 

それに名古屋から「出雲縁結び空港」まではすごく近いんです。

県営名古屋空港から飛べば一時間弱で着く手軽さ。

まあ航空券はちょっとかかりますが、時間をお金で買ったと割り切れば納得できます。

 

今回も事前に行きたい場所を事前調査し、いつも通りGoogleMapの星マーク地図を作成しましたが、現地ではレンタカーでの移動になるので候補のいくつかは省略することになるでしょう。

朝07:45に名古屋発、08:45には出雲空港に無事到着。

今回予約したレンタカーは初めて利用するタイムズレンタカー。

予約した星野リゾート「界出雲」とセット割引があったのでちょっと得した感じ。

 

さて旅の一日目の始まり。雨女のカミさんにしては奇跡的に天気は快晴。

今日は気温も高くなりそうです。

車にETCをセットし、まず向かったのは是非行ってみたかった「足立美術館」(島根県安来市古川町320)。

 

平日金曜だということもあって道路の混雑もなく、ひたすら東に走って約50分。

山の中を抜けて結構辺鄙なところにあの有名な美術館がありました。

到着時にはすでに観光バスが何台か駐車していましたが自家用車はまだ少ない方。

入館料2,300円/人を払って入館。

 

広い駐車場から本館正面入口に向かう左には大きな土産物売場があります。

美術館に入ってからは順路に沿って進み魯山人館を過ぎたところにガラス張りのロビーがあり、そこから専従の庭師たちが仕上げた苔庭やあの有名な枯山水庭を眼前に望むことができます。

 

 

 

 

 

 

通路に飾られた童画を楽しみながら坪庭を過ぎ、建物奥から2階に上がって近代日本画展示室と横山大観特別展示室(120点の作品を収蔵)を観て再び1階に降り、ミュージアムショップで買い物した後は、地下通路を通って新館に入り新館1階の現代日本画を鑑賞し、最後は新館出口から外に出ることになります。

これがパンフレットにあった「生の額絵」の場所。

ここが「生の掛軸」ですが、なかなか撮影は難しい。

 

 

しかし、美術館創設者の実業家・足立全康さんが長い年月をかけて作り上げた五万坪の「日本庭園」とあわせ「横山大観」「魯山人」の貴重な蒐集品の数々を実際に目にして楽しめたことは素晴らしい経験になりました。

 

次に向かったのは、ここから北西に車で約16分ほど走ったところにある「揖屋(いや)神社」(島根県松江市東出雲町揖屋2229)とそのすぐ先にある「黄泉比良坂(よもつひらさか)」(東出雲町揖屋2407)です。

 

熊野大社とともに最も古い神社の一つで、特に参道はなく街道沿い右手に鳥居があり、そこに隣接して駐車場もあったので助かりました。

後で思ったのですが、出雲市というところはすごくゆったりした土地柄で、街並みも綺麗だし、観光地なのに駐車料金はほぼ無料なんです。

好感度が高いですね。

今回は遷宮の準備とかで本殿の御祭神は右隣にある借殿に移されていました。

 

 

ここから「黄泉比良坂」までは、本殿右手から山道に入り約20分ほど歩けば行けるのですが、今日はTシャツでも汗ばむ暑さ。当然車で向います。

 

神社を出て右に走り高架をくぐった先に右折の案内看板があり、そこから細い道を登りきったところに数台の駐車スペースがありました。

ここがあの古事記に書かれていた「黄泉比良坂」なんですね。

火の神を産んだ火傷により亡くなったイザナミノミコトは黄泉の国に行ってしまい、残されたイザナギノミコトは彼女会いたさに黄泉の国(死者の国)まで訪ねて行きます。

そこでイザナミの醜く変わり果てた姿に恐れ慄いたイザナギはまた地上に逃げ帰るのですが、亡者どもやイザナミに追われようやく巨岩で「黄泉つ比良坂」(よもつひらさか)を塞ぎ、ここで夫婦別離の言葉を交わすわけです。

 

 

 

そのあとに黄泉を見た穢れを清めるため左の目を洗った時に生まれたのが日神アマテラス(天照大御神)、右の目を洗った時に生まれたのが月神ツクヨミ(月読命)、さらに黄泉の悪臭を嗅いだ穢れを清めるために鼻を洗った時に生まれたのがタケハヤスサノオ(建速須佐之男命)となります。

 

あの誰でも知っている「八俣の大蛇」(ヤマタノオロチ)を退治したのがスサノオですね。

 

大岩の脇には「天国(黄泉)への手紙」を入れるポストがありましたが、”黄泉”というのは仏教でいう地獄ではなく死者の国なので、そこを”天国”というのはちょっと違和感がありますね。

 

いずれにしても神話の世界に触れることができて達成感がありました。

ここには涼しい風が吹き抜けていて、ちょっと霊的な雰囲気を感じます。

 

さて、そろそろ昼食のこともあるので、今回の旅の第二目的地「出雲大社」に向かうことにしましょう。

 

今朝着いた空港よりもずっと西の端に近い「出雲大社」までは車で走って約1時間かかります。

 

「出雲大社」は敷地も広大なので、どこに駐車したらいいのかわからないまま、大社正面の神門通り信号をそのまま「神迎えの道」沿いに進み、大きなお土産店右手の大駐車場に駐車。

さすがに平日だからか、まだ駐車場も余裕がありました。

当然駐車料は無料だし京都の神社のように拝観料なんてないので、要るのはお賽銭だけなんです。

これは「さざれ石」

 

出雲といえば蕎麦。

大社の周りにも蕎麦店がたくさんありましたが、「神楽殿」のすぐ手前のお土産店の左手にあった「出雲そば 松の屋」さんに決定。

後で知りましたが、ここ出雲で蕎麦といえば「割子そば」が名物なんですね。

今回は、何も考えずに単にざる蕎麦風で冷たいのがいいなと「割子そば」の3段と5段を注文し、カミさんと半分っこして4段づつで頂きました。

しっかりした濃いめのつゆをぶっかけて頂くと、汗ばんだ体に冷たいお蕎麦が実に心地いい。

それに、蕎麦に乗っかっていた紅葉おろしが結構ピリ辛でこれもアクセントが効いていて美味しかった。

 

すぐ左手に大しめ縄の「神楽殿」が見えましたが後で寄ることにして、とりあえず社務所前をまっすぐ進んで右手にある「手水舎」で手を洗って清めましょう。

 

向こう側を見ると、大きな「ムスビの御神像」がありますね。

正面側の銅鳥居をくぐってその奥の「拝殿」で最初の参拝。

元の拝殿は昭和28年5月に焼失したため現在の拝殿(はいでん)は昭和34年5月に竣功とのこと。

出雲大社は通常神社で行う「二礼二拍手一礼」とは異なり、「二礼四拍手一礼」が習わしとのこと。

 

流石に荘厳で由緒を感じる佇まいですね。

その裏手には「八足門」(やつあしもん)があり、

 

この奥に高さのある立派な「御本殿」があり、それを左右に囲むように境内・境外に建てられている摂末社が東十九社、西十九社。

その一つ一つにお詣りしている奇特な方もいらっしゃいました。

現在の御本殿は延享元年(1744)に造営され高さは8丈(24メートル)、“大社造”と呼ばれる日本最古の神社建築様式とのこと。

かつて高さ16丈(48メートル)あったと伝えられる古代の御本殿が偲ばれます。

「御本殿」の後ろには八雲山を背にした「素鵞社」(そがのやしろ)

御祭神は天照大御神の弟神「素戔嗚尊」(すさのおのみこと)です。

 

さて最後はお土産物売場の前にあった「神楽殿」に参拝。

HPの案内によると、神楽殿は本来、千家國造家(出雲大社宮司家)の大広間として使用されており、「風調館(ふうちょうかん)」と呼ばれていましたが、明治に入り出雲大社教が設立されてからは出雲大社教の神殿としても使用され、御祈祷や結婚式をはじめ様々な祭事行事がここで執り行われてるそうです。

 

こちらは、御祭神の大黒主大神(オオクニヌシ)とその正妻の須勢理毘売命(スセリビメ)が描かれた「縁結びの碑」

こうしたウサギがあちこちにいます。

 

 

はるか向こうに白く聳える「宇迦橋大鳥居」が見えますね。

 

そろそろ松の参道を通って「祓端」(はらいばし)の鳥居から「下り参道」に南下、「勢溜」(せいだまり)の三つ目の鳥居をくぐったところが神門通りの入口、左右にご縁横丁のいろんなお店が並んで賑わいを見せていました。

 

 

さらになだらかな坂道を南下すると、左手に一畑電鉄大社線の「出雲大社前駅」があり、日本最古級の電車「デ二ハ50形・52号車」というのが展示停車していました。

 

さらに南に歩いて神門通りの入口から約10分ほど歩いたところに立つ4つ目の鳥居「宇迦橋大鳥居」(うがばしおおとりい)を見てきました。

今は老朽化した橋のつけ替え工事中で右に大きく迂回路ができていたのでちょっと残念でしたが、流石にここまでくる観光客はいないようですね。

ちなみに、この鳥居は1915年(大正4年)に北九州市小倉の篤志家の小林徳一郎により大正天皇御即位の大典を記念して出雲大社に寄進された鉄筋コンクリート造の明神鳥居とのことです。

ここまでよく歩きましたね。

 

また来た道を戻り、大社正面から左手にどんどん歩いて朝来た大駐車場まで戻りましょう。

 

次の目的地は、駐車場を出て街道を右折、ここから車で5分ほど先の突当たり信号の向こうに広がる「稲佐の浜」(出雲市大社町杵築北2711)です。

浜に面した道路沿いには結構広い駐車場がありましたが、やはりここも無料。

出雲市は本当に良心的で太っ腹なところが気に入りました。

 

ここは、「国譲り」「国引き神話」の舞台になったと伝えられる浜で、駐車場から砂浜のすぐ向こうには「弁天島」があります。

 

 

ここから近い場所に、国譲り岩とも言われる「屏風岩」があるので寄りたかったんですが、結局探せずじまいでちょっと残念。

 

このあと車で25分ほど先にある「猪目洞窟」(出雲市猪目町1338)にも行きたかったのですが、宿に入る前にまだ2つ行きたい場所があったので諦め、宿に向かう途中にある「日御碕神社(ひのみさき)」(出雲市大社町日御碕455)に向います。

 

因みに「猪目洞窟」は「出雲國風土記」に記載されている"黄泉の穴"と言われているところ。是非次の機会には見にいきましょう。

 

今日の宿に向かうほぼルート上にあるので移動の無駄がないのがいいんです。

これは、海沿いの道を走っていたときに見つけた展望台から「日御碕海岸」を眼下に見晴らした景色です。

 

「日御碕神社」は「稲佐の浜」から走ってすぐ近く。

左手に海、右手に山を見ながらクネクネと進み、途中信号を右折して少し行ったほぼ行き止まりのようなところに神社がありました。

Wikipediaによれば、こちらは「日沈宮」(下の宮)が本殿を含め8棟、「神の宮」(上の宮)が本殿を含め4棟の合わせて12棟、2基の鳥居からなる立派な佇まい。寛永21年(1644年)徳川家光の命により建立され1953年(昭和28年)3月31日に国の重要文化財に指定とのこと。

 

神社を出て海に面した大鳥居から向こうを望むと、日本海西部における代表的ウミネコの繁殖地「経島」(ふみしま)が見えました。

今日は天気がいいのを通り越してかなり暑いので、風がないと汗ばんできます。

 

そろそろ一日目の最終、「出雲日御碕灯台」に向かいます。

ここからは車で10分ほどの近さ。

 

この白亜の灯台は島根半島の最西端の断崖にそびえ、石造灯台としては日本一の高さを誇ります。

地面から塔頂まで43.65mあり、工期3年の時間をかけ明治36年に完成したそうです。

ネットで見ると、真っ白な外壁は松江市美保関町で切り出された硬質の石材で、内壁はレンガ造りで外壁と内壁の間に空間を作った特殊な二重構造になっているそうです。

広い駐車場に車を停め、そこからお土産店が並ぶ小路を抜けてちょっと下ったところに灯台があります。

着いたときには営業終了の16時10分をちょっと過ぎていましたが、受付の女性が「登るんだったらまだいいよ」って言ってくれたのでせっかく来たんだからとチケットを買って灯台の中に入り、急な螺旋階段をどんどん登って塔頂まで辿り着きました。

階段の幅はどうにか一人が通れるほど狭さ。

上から降りてくる人がいると、それを待ってから登るんですが、もう途中で息が切れてくるくらいキツいんです。

だって160段もありますからね。

頂上から外に出て一応景色は撮りましたが、結構風が強いし私は高所は苦手なのでそそくさと退散。

だって海面からだと63.30mもあるんですから手すり一つじゃ怖くて、もうお尻の辺りがヒヨヒヨしてくるんです。

 

ところで今日の宿「界出雲」ですが、宿の案内には”場所が分かり辛いので来る時はナビの目的地を日御碕灯台にするよう”に書いてありました。

と言われても、このあたりの建物と言えば来るとき灯台の駐車場奥にあった建物しかないし・・・と思ってたら、やっぱりそこでした。

 

この宿は、バイキングではなくゆったり個室で食事を楽しむタイプになっていて、夕食と朝食も凝った感じ。料理を楽しんでゆったりする雰囲気の宿ですね。それにこの時期はちょっと高かったかな。

 

それでも一番良かったのは、ちょうど夕食を終えた21時半からレストランを出た広間で島根に伝わる伝統芸能「石見神楽」を観られたこと。

煌びやかな衣装に身を包んだ踊り手三人が、出雲大社の起源とされる神話を題材にした「国譲り」を激しい立ち回りで豪快に演じてくれました。

後でわかったのですが、その女性一名、男性二名の方は、ここのスタッフさんだったのいうのは驚きです。

 

P.S.

この宿は、いわゆる旅館にあるような売店スペースはほとんどないので、部屋で個人的に飲食するには、事前にお酒やつまみを買っておく必要があるんです。

着いてからそれを知ったので、またコンビニのある出雲大社付近まで戻るのに車で15分ほどかかりましたね。

 

二日目に続く・・・