松井力也 著「英文法を疑う」・・・ | モバイルおやじ@curbのブログ

松井力也 著「英文法を疑う」・・・

松井力也 著「英文法を疑う」
―ゼロから考える単語のしくみー

1999年3月20日 第一刷発行
講談社現代新書

先日読んだ本のなかで紹介されていて、タイトルにちょっと興味があり古本を購入。
平成11年の発行と言えばもう25年も前ですが、特に内容が古いとは感じないし、かえって新鮮な感じで読めました。

以下、”なるほどなあ”と勉強になったことを書きとめてみました。

What do you do?   I teach. 
これを和訳すると「お仕事は何ですか? 教師です」となるのですが、必ずしも「お仕事は何ですか?」とイコールではない。
単に、日本人なら「お仕事は何ですか?」と言うであろう状況において、英語ネイティブは
What do you do?  と言うことが多い、というだけのこと。

water を日本人は当たり前に「水」と訳しますが、ネイティブにとって「水」と「お湯」の区別はない。

「米」を指す英語はrice しかありませんが、日本では同じ米でも稲・もみ・コメごはんを指す言葉があります。逆に、麦を指す英語には、大麦barley・小麦wheat・ライ麦rye・カラス麦oatsなどがあり、これは食文化の違いに由来するのでは?

英語のcommunication やidentity に正確にあてはまる日本語がないのと同じように、英語圏にない日本のモノはそのままsushi とか tofu とかkaraoke と呼ばれる。

furnitureを日本語にすると「家具」となるが、英語ネイティブは「家具類」として捉えている。

fish やsheep は単数でも複数でも同じだが、
shoes やgloves やtrousers やscissors など対になった二つの部分からなる物は常に複数形となる。
因みに辞書で調べたら、アメリカ英語のpantsはメンズ、レディースどちらもOKだが、イギリス英語のtrousersはメンズのズボンのみを指すため、レディースも含めて表わす場合はslacksが適切とありました。

ある一つの言語の共同体には、その言語によって生み出されるそこに固有の世界認識があり、言語の数だけ異なった世界観がある。

take には“50近い意味がある”、のではなく、日本語に翻訳する場合、おおざっぱにみて”50近くの訳例が考えられる”と考えたほうが正しい。

日本語では、棚から本を「取る」、一等賞を「取る」、庭の草を「取る」、塩を「取って」くれ、など同じ言い方ですが、英語ではそれぞれtake、win、weed、pass に分かれます。

must は、内的、主観的な義務感を表わし、
have toは、外的な要因による必要性を表わす。
can、will、may には過去形があってmustにはない。
mustとは、あくまでも今現在、内的に差し迫って意識されている、話者のみにとっての必要性・必然性を表わすもの。

「語」と「語」を並べて「文」にするというのが英語の世界観です。

英語の名詞は「存在物全般」を意味する「物」を指示します。
boyは存在物としての「少年というモノ」であり、a、the、s などが付くことによってはじめて名詞として完成する。
一方で、日本の名詞は「物」ではなく「事」を指示するため、「少年」という日本語は、赤ん坊や幼児や少年がいて、やがて青年や大人や老人になっていく、そうした世界全体の関係性、連続性の中で「少年ということ」を指示するため、主語が複数であっても「私たちは少年たちです」とはせず「私たちは少年です」でいい。

冠詞の a は数詞 one が語源。
母音で始まる名詞の前では a は an となりますが、この n の音がその名残。

Yes、no は肯定/否定を表わすのではなく、アル/ナシを表わしているだけ。

it が本質的に指示する内容は、「話し手と聞き手の間ですでに共通して了解されている何か」「互いが前提として共有している観念」を表わす。
それと併せ、時間や距離、天候、明暗等を表わすとされるのもit。

be 動詞には、「イコールのbe」と「存在のbe」があるが、もっとまとめれば、主語を「存在」させることから始める言語が be。


「時制の一致」については、以下の説明が非常にわかりやすい。
It seems that he is ill.
     現在             現在
彼は病気のようだ  
※現在病気であることを現在推測

It seems that he has been ill.
     現在      現在完了
彼は(今まで)病気だったようだ 
※過去のある時点から現在に至る期間病気だったということを、現在推測

It seems that he was ill.
    現在             過去
彼は(その時)病気だったようだ 
※過去のある時点で病気だったことを、現在推測

It seemed that he was ill.
     過去     過去
彼は(その時)病気をしているようだった 
※過去のある時点で病気だったことを、その時点で推測

It seemed that he had been ill.
    過去               過去完了
彼は(それまで)病気をしていたようだった 
※過去のある時点に至るまでの期間病気だったということを、その時点で推測

英語の視点は常に”現在”にしっかりと固定されて動くことがないが、日本人の視点は、すぐに時間を飛び越えて過去や未来に同調するため、日本語では「今まで」「その時」「それまで」等を補ってきちんと時間を指示しなければ彼がいつ病気だったのかどうにもはっきりしない。よって、論理でこれを咀嚼していくのではなく、自己を”現在”に固定し、そこから遠いものを遠いものとして認識する世界観のイメージを感じ取っていくべき。


He is swimming.
一般のネイティブは
He =is swimmingではなく、
He = swimming と捉えている。

驚いたり喜んだりするには必ず何か外的な要因があり、それによって自分の意図とは関係なく「驚かされ」たり「喜ばされ」たりするわけであり、同じく「怪我する」「死ぬ」も英語において受動態になることは論理的と言える。
be surprised       be delighted      be wounded       be killed


前置詞について
inの基本的なイメージは、「想定された平面や空間、領域の内部に位置すること」を指示
fromは「出発点」を指示
onは「接触、依存」のイメージ
atは単に地点、場所としての「点」のイメージ

等位接続詞について
A and B   AでありなおかつBである
A or B     AあるいはBである、AつまりBである
A but B     AだがBである

nothing but・・  ~にすぎない
anything but・・ ~どころではない
こういうのは丸暗記するほうがわかりやすいかも・・・


英語の単語はひとつひとつが「モノ」的であり、そうしたモノとモノを並置していくことよってセンテンスを作るのですが、その際、”モノとモノの位置関係を指示”するのが”前置詞”であり、”モノとモノをつないでいく”のが”接続詞”という「記号」になる。

そのようにモノとモノを並べることによってつくられたセンテンス自体も、また「モノ」的であり、接続詞は、そのモノとしてのセンテンスとセンテンスを、両者の関連を示しながらつないでいくこともできる。


この本が即英会話に役立つことはないが、英語を話すネイティブの精神性と日本人のそれとを、言語の構造に立ち返ってとらえ直したところがユニークですね。

私自身いま思い返してみても、英語を学び始めた中学時代から高校にかけて、文法についてちゃんと学んだ記憶がまったくありません。
だから、不定詞、動名詞、時制の一致などと言われてもさっぱり何のことやら。
でも英語は一応出来る方だったので、試験で特に困ることはなかったし、ある意味、私の頭の構造が英語を学ぶことに向いていたのかもしれませんね。

今さらですが、もし中学時代の英語教師にこういう先生がいて教えてくれていたなら、単なる試験の道具としてではなくもっと英語という言語自体に興味がもてた気はします。