山本夏彦著「寄せては返す波の音」・・・ | モバイルおやじ@curbのブログ

山本夏彦著「寄せては返す波の音」・・・

山本夏彦著「寄せては返す波の音」

2000年9月30日 発行
新潮社

<目次>
子細あっての機械音痴
田村隆一受賞す
なぜつぶれたか山一證券
鷗外の娘ふたり
昔めかけというものがいた
二十年ぶんのテレビを見る
さきだつ不孝をお許し下さい
資本主義には正義がない
蝉しぐれ子の誕生なりしかな 敦
息吹きかえすか東京の「祭」
おかどちがいの挨拶状
原爆問題子供に問え
痴漢人口は減らず
世の行く末をつくづくと
あんまりな恩知らず
何しろこのひと笑い上戸
とかくこの世はダメとムダ
「民」にもともと税金感覚なし
インキの出すぎる万年筆
人はいつまで無実か
子供の個室は悪の温床
「日本植物党」宣言
ちがうのはタイトルだけ
三行広告は世相の鏡
荒療治するよりほかはない
昭和八年に返りたい
ソフトクリーム回顧
結婚しない女がふえた
並の人なら怒るところ
テレビを見ない国がある
花森安治追悼
「市川市民文化賞」をもらう
忘れられたアルサロの大火
お金ほしい人(男子)
そうめん にゅうめん 冷やそうめん
ふたり夏彦めぐりあう
たれか素人を知らないか
年の始めのためしとて
「お子さんのためですぞ」
共通の話題なくなる
人を知ると妨げになる
デザイナーという新しい文盲
女たちの目はさめまい
返事がきた
東京は水の都 緑の都だった
作品がすべてで作者はカス
本屋近くつぶれる
朝からスキャンダル
いまだに寄らば大樹のかげ
あるいは最後のご奉公か
もおもと金は暗いもの
いよいよ偽善の時代になる
字引は互にコピーしあう
言うべき言葉がないだけ
「弥生美術館」を見る
平成元禄いずれ男も化粧する
「フリーター」といういやな名
ピル承認と聞いて
弁護士人口もうたくさん
襟脚どうした
昔はしばしば馘首と書いた
四畳半閨のむつごと
夏彦の写真コラム1000回
死神にも見はなされ
三つ巴のぐるである
びんのほつれは枕のとがよ
わが子より犬猫を愛す
靴がちびてる
総武線内カス問答
社会主義早わかり
タバコの害について
とどのつまりの学級崩壊
お言葉ですが・・・
治安は警察が守っている
せっかく援助と言ったのに
「待合政治」の終焉
はじめニヤニヤあとぺらぺら
大えっちデラックス
政治家よ「法人」になれ
クロネコヤマトの宅急便
打てやこらせや公団を銀行を
戦前戦中お尋ね者史観
江戸のお笑い 大阪のお笑い
この世は「嫉妬」で動いている
インテリ! この良心のかたまり
玉三郎に醜聞なし
力士の嫁になり手がない
三面記事は新聞の「花」
つかまえる人とつかまる人
続 つかまえる人とつかまる人
君が代日の丸強制反対
親分と呼べ親分と
水清ければ魚棲まず
生む生まないは女の勝手
「駄じゃれ」よいもの
女はみんな娼婦になる
なぜにペンキは嫌われる
本当の青 にせの青
何のかんばせあっての大広告
「天気予報」あたる
あとがき

巻末には、『初出誌 週刊新潮「夏彦のコラム」平成十年四月九日号~平成十二年五月十八日号から100回分』とあります。

以下、面白かったものを書き出しておきます。

“「日本植物党」宣言”から・・・
「どんな人の頭の中にも他人がいて、その他人がのさばって当人を追いだしてしまったのが「私」だ。だから私は時々女になる、女になれば男が見える。犬になる、植物になる・・」

なるほど、自身を擬態して回りを俯瞰する心の余裕が必要だという知恵を授かりました。


“昭和八年に返りたい”・・・
「島崎藤村は時代を明治大正昭和で区切らないほうがいいと言った。そこで、明治は大正12年の大震災まで細々と続いたように、昭和30年代、東京オリンピックまでは戦前が続いていた」

ちょうどその頃生まれた私には、”東京オリンピックまでは戦前”と言う捉え方には素直に納得できます。


“インテリ! この良心のかたまり”・・・
「古本を読むことは死んだ人と話すことである」

そしてその人から知識と知恵を授かるのだと感じます。


“玉三郎に醜聞なし”・・・
「文士の身長について記述があり、
夏目漱石158cm
芥川龍之介165cm
小泉八雲155cm
高村光太郎182cm
森鷗外161cm」とある。

昔の日本人が小柄だったと言うのも頷けるが、最近の若者の平均身長と脚の長さの伸びはすごいねぇ。私なんか、明治時代にタイムスリップしたいくらい。


“お言葉ですが”・・・
「宮沢賢治の雨ニモマケズ」の「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲ食ベ」の”四合”を
“しごう”と読まず“よんごう”と読むことの間違いを指摘。

確かに、「二十四の瞳」は”にじゅうし”で、「四十七士」は”しじゅうしち”、「四十九日」は”しじゅうく”ですね。
恥ずかしながら私は”いっすいのゆめ”を”一炊の夢”だと思っていましたが正しくは”一睡”だったんだ。
とは言え、現在PCでは“よんごう”と入力しないと”四合”には変換できません・・。


さて、山本夏彦さんの名前なら以前から存じていましたし、当時は週刊新潮のコラムを実際読んだかもしれないけれど今全く記憶にないので、今回が初見というわけです。

夏彦さんは1915年(大正4年)6月15日生まれで2002年(平成14年)10月23日に没。

まあ”頑固でひねくれた爺さんの愚痴”を聞いている雰囲気も無きにしも非ずですが、所謂インテリや権力を極度に嫌い、誰にも媚びないその姿勢には一本筋が通っていて感服させられます。

かつての花柳界の実情を開けっぴろげにして説くにつけ、”ほんまかいな”と懐疑しながらも興味深く読み進めるのは、これも知識の内と思っている自分がいるからでしょうね。

夏彦さんの言う通り、今回は「死んだ人と話し」て知恵と知識を多少なりとも得られたわけです・・・。