司馬遼太郎 著「歴史の中の日本」・・・ | モバイルおやじ@curbのブログ

司馬遼太郎 著「歴史の中の日本」・・・

司馬遼太郎 著「歴史の中の日本」

昭和49年5月10日 初版

昭和49年6月10日 三版

中央公論社

 

<目次>

歴史を動かすもの

 生きている出雲王朝

 幻想さそう壁画古墳

 まぼろしの古都、平泉

 沸きかえる覇気の時代

 大阪城の時代

 競争の原理の作動

「旅順」から考える

『坂の上の雲』を書き終えて

 歴史を動かすもの

歴史と人物

 吉田松陰

 白石と松陰の場合

 ある胎動

 幕末を生きた新しい女

 竜馬像の変遷

 長井雅楽

 武市半平太

 河井継之助

 村田蔵六

 大久保利通

 

歴史の中で思うこと

 庭燎の思い出

 赤尾谷で思ったこと

 京への「七口」合戦譚

 手に入れた洛中洛外屏風

 血はあらそえぬ陶器のはやり

 毛利の秘密儀式

 討幕の密勅

 歴史の不思議さ

 質屋の美学

 大坂バカ

 忍術使い

『妖怪』を終えて

 防衛のこと

 門のことなど

 日本人の安直さ

 わが街

  *

 維新前後の文章について

 苛酷で妖しい漂流譚

 後世への義務

 

一杯のコーヒー

 一杯のコーヒー

 わが辞書遍歴

 山伏の里

 百年の単位

 自己を縮小して物を見る

 高野山の森

 一人のいなか記者

 私の愛妻記

 眼の中の蚊

 女優さん

 今こそ必要なアマチュア精神

  *

 吉川英治氏をいたむ

 故子母沢寛さんの「人」と「作品」

 異常な三島事件に接して

 

 あとがき

 

 

これは、昭和36年から昭和48年ころにかけて、各種雑誌や新聞等に掲載された氏のエッセイをまとめたもの。

 

まず冒頭の「生きている出雲王朝」は非常におもしろい。

 

なかに西村真次博士の「大和時代」からの引用がありますが、以下に概略をまとめてみました。

 

『今の黒竜江、烏蘇里あたりに占拠していたツングース族の中でも勇敢で進取の気性に富んだものは間宮海峡に船を浮かべ南下し、まず樺太を発見しさらには蝦夷島を発見し、高島附近に門番(otori—小樽)を置き、尚も南下して海獺多き土地を見出し、そこに上陸して海獺(moto—陸奥)と命名。海岸伝いに航海を続け河川多き秋田地方に出たものは鮭の大漁に喜び、そこを鮭(dawa—出羽)と呼び慣らしたので遂に其地の地名となった。しかしながらツングース族の一部は更に日本海に沿って南下し、佐渡を経て越後の海岸に上陸。或いは更に南西方に航行して出雲付近までも進んで行ったであろう。これは紀元前一千八百年から千年単位の間に行われたと思われる。』

 

なんとも壮大な説に興味が尽きませんね。

 

それを受け、司馬さんは更に説を進め、”満州の興安山脈の山中にあって狩猟生活を営むオロチョンと言う少数民族もまたツングースの一派であり、出雲の郷土史家たちは、八岐大蛇伝説のオロチは、オロチョンであるという説を持っている”とも書いています。

 

ここから出雲の国造りの話になっていくのですが、これを読んだことで今度は改めて「古事記」を読んでみようと思い立った次第です。

 

続く「幻想さそう壁画古墳」に至っては、飛鳥の高松塚古墳の被葬者は、天智帝五年のころ高句麗から国使として日本にきて、その後もここに止まった玄武若光その人ではなかったかとの自説を語っています。

 

 

今更この歳になって、中学高校を通じて一番嫌いだった歴史に興味を抱くと言うのもなんとも滑稽な話ですが、ここに書かれているような話を当時社会科の教師から聞かされていたなら、とちょっと残念な気持ちになります。

 

 

この本のように、面白いエッセイには、それを書く人の思想や人格、更にはその人の人生そのものも感じられる事と併せ、これまで知らなかった未知の知識に接することができるメリットも大きいのです。

 

本を読むことで得られるメリットは、各人様々だろうと思いますが、私の場合は新しい知識を得られることその一番にあげたい。

 

その意味からすると、司馬遼太郎さんのこのようなエッセイから学ぶ知識は多岐に及び、実に豊富と言えます。

 

司馬さんは1923年(大正12)生まれで1996年(平成8)に73歳で亡くなっています。

その生き様や業績は、氏が新聞記者として過ごした経験に依るところが大きいと思いますが、あと5年もすれば私もその年齢に達することを思う時、今なすべきことがもっとあるのではないかと気持ちの焦りを禁じ得ません・・・。