竹田米吉 著「職人」・・・ | モバイルおやじ@curbのブログ

竹田米吉 著「職人」・・・

竹田米吉 著「職人」

1991年(平成3)2月25日 印刷

1991年(平成3)3月10日 発行

中公文庫

 

<目次>

 はしがき  吉田五十八

職人

 神田祭り

 文身

 職人の気位

 印半纏

 食事

 仕事と良心

 腕と格式

 道具

 姿勢

 職業倫理

 年季について

 父のこと

 請負師

小僧から工手学校へ

 小僧時代

 強情

 仕事場の往復と日常生活

 徒弟の小遣銭

 着到と勘定

 東京の職人と田舎の職人

 夜の行事

 小僧の悪戯

 道具の切れ味

 臨時の子守

 工事場の大工

 この時代の大工仕事と木材

 大工の下拵え

 板削り

 角材の下拵え

 刻み物

 工事場の他の職人

 斎藤親方と訣別

 自家で大工をしたころ

 生意気時代

 二度目の年季

 世話役代理

 志を立つ

 信濃町の工事

 いわゆる請負師

 信濃町から逃亡

 工手学校入学

 工手学校

 就職

 横河工務所勤務

建築技手(鐘紡時代)

 鐘ヶ淵紡績の建築係

 杭打ち工事

 当時の土工

 仕事の研究

 主任の更迭

 仕事のやり方「煉瓦積み」

 煉瓦職について

 煉瓦手伝いの死

 藤さんの足場登り

 洪水

 出水後の問題

 当時の鉄骨工事

 鉄骨の建て方・トラスの上げ方

 鉄骨建設で主任の誤り

 寄宿舎の木造工事

 石田の黒鉄氏

 左官工事

 左官材料

 左官の仕事

 ペンキ屋

 今日のペンキ仕事

 建具仕事

 寄宿舎工事の概観

 娯楽場建築

 左官の美術家

 私たちの日常の生活

 月給日

 洋服姿

 紡績の風呂

 当時の鐘紡

 職工係

 怪我

 嫉視

北海道

 苫小牧工場勤務

 苫小牧工場の建築係

 工事の概況

 当時の製紙界

 前山氏と高田技師長

 苫小牧の建築工事

 コンクリート練りと煉瓦積みの工事

 北海道建築の異色

 再び前山重役と会社の節約について

 合宿の奇人

 樽前山の爆発

 当時の苫小牧付近

 早稲田大学へ

 結び

 

解説 山本夏彦

 

 

この文庫本は、先日読んだ永井龍男樗著「石版東京図絵」の繋がりで購入したもの。

元は昭和33年10月、工作社刊です。

ちなみに、工作社は山本夏彦氏が1950年(昭和25年)に建築関係書籍出版のために設立した出版社とのこと。

 

著者の竹田米吉さんは明治22年生まれ。

職人の町、神田に生まれ父は大工の小棟梁。

 

解説には、昭和51年「竹田建設工業株式会社」の社長として亡くなったとあります。

 

明治33年、竹田さんがまだ13歳の時、父親の跡を継ぐべく大工の徒弟として年季奉公に出され、奉公先の棟梁も替わりながらさまざまな現場で経験を積むことになります。

 

まだ若く向学心に燃える彼はこのままの生活ではいけないと考え、やがて家に戻って父親の下で大工生活を続けながら夜は工手学校に通って勉学に励むことに。

おりしも世は日露戦争の最中。

 

明治39年、工手学校在学中にその後の就職先を探すにあたり、当時民間髄一の建築設計事務所だった「横河工務所」を単身訪れ、横河先生に面会を申し込み自身の建築にかける熱意を訴えた結果、縁あって事務所に席を得、2年半夜学に通って学ん工手学校も明治40年に卒業。その後に正式採用されたことで約6年の大工生活を終えます。

 

横河工務所に入ってしばらくしてから、当時設計施工中だった鐘ヶ淵紡績東京工場に臨時社員として転勤。

そこで上司として尊敬できる中尾主任との出会いもありました。

 

その後、骨折の大怪我を機にこの現場を去り、今度は遠く離れた王子製紙北海道苫小牧工場の建設に派遣されますが、明治42年秋には工場も完成。

再び帰京して横河工務所に戻ります。

 

折しも早稲田大学に建築科が新設されると聞き、大学に学びたいとの考えを受け入れてくれた横河先生の補助もあり、一念発起し猛勉強の末、晴れて早稲田に入学を果たし、大正3年に卒業することができたと言うもの。

 

物語はそこで終わっています。

 

 

書き出しには、明治時代の職人の生活や気質が具体的に描かれており、よく古典落語の中で語られていた雰囲気が改めてよく理解できました。

 

当時は、大工、左官、建具屋、屋根屋など建築に関する技能者がすなわち職人で、塗師、錺職など自家内で働く者は居職(いじょく)と呼ばれて区別され、居職は気風も穏やかで気分も職人とは全然違っていたと書かれています。

 

鳶職は頭(かしら)とか仕事師と呼ばれ火消人足として建築以外の仕事もあったわけですが、当時の職人は自己の仕事に対する自負と責任感が桁違いに強かったのですね。

 

これは明治後半期、著者の修業時代の回顧録ですが、前途洋々とした将来への希望に満ちた若者の、エネルギーの迸りがひしひしと伝わってきます。

 

 

夏彦氏の解説には、「むかし私が手塩にかけて出版したもので、ながく絶版にしておくには惜しい本だと考え、ながく記録として止めておくために中公文庫から出してもらった」

とあります。

 

こう言うのも貴重な”本との出会い”の一つです。

 

 

少し話は変わりますが、アメリカの心理学者ダグラス・ホールの提唱したキャリア理論に「プロティアン(Protean)・キャリア」と言うのがあります。

 

「変幻自在なキャリア」とも言われますが、簡単に言うと”環境の変化に応じて自分自身も柔軟に変化させていく”と言うキャリアの形成理論です。

 

ホールは、このキャリア形成に求められるコンピテンシー(competency : 高いパフォーマンスを発揮する人物に共通して見られる「行動特性」)を2つ挙げており、その一つが「アイデンティティ」、そして二つ目が「アダプタビリティ(適応能力)」です。

 

ただ環境に流され自己を委ねるのではなく、自分が何をしたいのか、どのような生き方を目指すのかをしっかりと見据え、自らのキャリア形成に主体的に関わっていく姿勢が求められるというわけです。

 

この竹田さんの生き様こそ、まさに「プロティアン・キャリア」の体現と言えるのではないでしょうか。

 

「アイデンティティ」と「アダプタビリティ」

 

ある意味その人の持って生まれた性格に依るところも大きいわけですが、明治と言う日本の激動の時代にも似る現在の混沌とした社会環境を考える時、この二つのキーワードを糧に人生を乗り切っていきたいものですね・・・