本田一郎 著「仕立屋銀次」・・・ | モバイルおやじ@curbのブログ

本田一郎 著「仕立屋銀次」・・・

本田一郎著「仕立屋銀次」

1994年2月25日 印刷

1994年3月10日 発行

中公文庫

 

<目次>

はしがき

仕立屋銀次

 銀次一味御用弁

  銀次の召捕り 赤坂署の大活動 数珠繋ぎの乾児 上野の山で襲撃の密議 

贓品展覧会 留置場の銀次 大姐御おくにとおしん 泣き叫ぶ銀次の子供

豚花お芳と三人女 禿虎覚悟の自白 銀次禿虎、涙の対面 銀次の局送り

 全盛時代と親分

  掏摸の群雄割拠時代 巾着屋の豊

 その頃の親分

  清水の熊 鼈甲の勝 湯島の吉 新宿組の世話人熊公 関西地方の親分

 掏摸活躍の跡

  列車内の怪紳士 異人さんと小鳥の亀 亀、ふん縛られ海に投込まる

  華族の新助と伯爵銀次郎の放れ技

 掏摸道の内幕

  ぼたはたき 箱師 違い 高町 棚師と地流し

 銀次の盛衰

  銀次の生立ち 恋の銀次 銀次、掏摸の仲間に入る 銀次の売出し

  警察一目置く 金杉御殿の豪華 掏摸の仕置 親分乾児の盃 清水の熊の葬式

  銀次没落前後 銀次の愚痴

銀次と僕

隠語いろいろ

 隠語のこと

解説  佐藤 健

 

 

銀次の本名は冨田銀蔵。

 

著者自身の回想によれば、ある時警視庁捜査課長の中村知二から、「仕立屋銀次が近々出獄するらしいから、彼から話を聞けばきっといいものができる」と教えられ、苦労の末銀次の信頼を得て話を聞くことができた。

 

その後、銀次の古い記憶を辿っての述懐と、警視庁老刑事たちの思いで話などを併せてまとめ、昭和3年10月1日発行の「サンデー毎日」秋季特別号から「探偵実話 仕立屋銀次懺悔録」と題して連載されたもの。

 

読んでいるうちに、さすが大親分となるだけあって、銀次の度量の大きさや包容力が窺われて大いに魅力を感じた次第。

 

佐藤健氏の解説にもある通り、銀次は日本のスリ史の中で一代の大親分と言われ、最盛期には500人の子分がいたという。

 

親分たちは子分に稼がせ、盗んだ時計などを売り捌き、そのうわ前をはねて暮らすかわり、子分に生活費や小遣いを与えたり他のスリ集団との争いから身を守ってやるなど恩義を与え、子分が逮捕され刑務所に入れば留守宅の家族の面倒も見るなど、まさに一家を構えていたわけです。

 

銀次が東京本郷に生まれたのは慶応2年(1866)、その2年後には江戸は東京になった。

 

銀次の父親は紙屑屋と銭湯を営み、その後銀次が8歳頃には転じて浅草猿谷町警察署の刑事になったのだが、当時の刑事の家には博徒や泥棒、ヤクザなどが入り浸り賄賂を使って取り入ろうとしたため、刑事の子供の銀次にも小遣い銭を与え甘やかしたらしい。

 

そこで行く末を案じた両親は他人の飯を食わせようと銀次が13歳の時、日本橋の仕立職人のところに年季奉公に出されることに。

 

元来器用だった銀次は腕をあげ、年季があけた20歳の頃には一人前になって独立し、女房ももらい大丸呉服店から仕立物の下請けをしたりしながら裁縫のお師匠さんになった。

 

ところが、そこに稽古に通っていた美しい娘のおくにに惚れたがために女房とも別れ、おくにと夫婦になるのだが、おくには当時東京市民に恐れられたスリの親分、清水の熊の妾、泉しんの娘だった。

 

これがもとで銀次はスリの世界に足を踏み入れることになったわけだ。

 

ここには明治20年代から銀次の逮捕された明治40年代頃までのスリの歴史が見事に描かれている。

 

最後のほうには当時犯罪者の間で交わされる隠語が紹介されており、その中のいくつかは現在も当たり前に使われているものがあり非常に興味深い。

 

参考に、いくつか記しておきましょう。

 

一六  質屋

犬   密偵諜者

がいしゃ 被害者

がさ  家宅捜索

かつ  恐喝

ぐれ  不良

けとばし 馬肉

香具師 的屋

ころし 殺人

さつ  警察署

しゃり 米、飯

砂利  子供

白河  熟睡

ずべ公 女の不良総称

ずらかる 逃げ出すこと

たたき 強盗

だち  友達

ちょぼ一 うすのろ

ちんぴら 名古屋方面で用うる不良の意

つるむ 二人以上の共犯行為

でか  刑事

手口  犯罪の方法、癖

てっかば 賭場

出歯亀 好色、助平

藤州・藤四郎 素人

どす  短刀

とっぽい 鋭敏、逃げ足の早いこと

どや  宿屋、木賃宿

はば  勢力のあること

まっぽう 制服巡査

やばい 身の上の危険のこと

寄せ場 監獄、刑務所

与太郎 虚言者、馬鹿

 

最後のページにこんな記載がありました・・・

 

『仕立屋銀次』昭和5年3月 塩川書房刊

 *お願い----本書『仕立屋銀次』の著者、本田一郎氏、もしくはご家族の消息をご存知の方は、中央公論社中公文庫編集室までお知らせください。

 

まあ1994年の発行時には著作権も切れているのでそのまま出されたのでしょうね。

 

これは確か先日読んだ永井龍男 著「石版東京図絵」の中に書かれていたので興味が湧いて買い求めたものですが、やはり昔の時代は情緒も豊かで生活に味がありましたねぇ・・・