石川達三著「夜の鶴」・・・
石川達三著「夜の鶴」
昭和47年2月15日 第1刷発行
昭和52年8月20日 第11刷発行
講談社文庫
この小説は、主人公の"父親が彼の長女滋子の婚約者天野吉信に宛てた手紙"という形式で綴られ、そこには最愛の長女を嫁がせることになった父親の微妙に揺れ動く気持ちが克明に描かれています。
23歳で嫁ぐ娘に対する父親の愛情と惜別の想いが込められた作品。
滋子が生まれたのは、1937(昭和12)年7月7日の盧溝橋事件発生のすぐあと。
滋子の成長にともなって戦争も激化してくる様子が書かれています。
途中、幼い頃の滋子の思い出を綴った個所には、防空壕、空襲警報、電力節約と灯火管制、 学童疎開、食料配給、東京大空襲などの言葉が増え、やがて半年あまりの長野への疎開、そして広島と長崎に原子爆弾が投下され敗戦に至ります。
ちなみにWikipediaで石川達三について確認したところ、娘の名前はもちろん違っていますが、生まれた年もこの小説の設定と同じでした。
ということは、この作品はそのまま私小説ではないにしても、ある意味それに近い内容で書かれたことは間違いないでしょう。
しかし、石川達三という人はさまざまな色合いをもった小説を書く作家なんだと改めて感じた次第。
ちなみに、このタイトルの「夜の鶴」ですが、巻末の解説によると、古い中国の書物かなにかが元で「焼野の雉子(きぎす)夜の鶴」という言葉があり、その意味は”キジは巣のある野が焼かれると、身の危険をもかえりみずに我が子を救い出し、ツルは霜など降りる寒い夜は、巣にいる我が子を羽で温める”と言われるところから、子を思う親心の例えに用いられており、そこから引用されているらしい。
私、初めて知りましたが勉強になりました。
この歳になってもまだまだ勉強させられることは尽きませんね。
今度は、彼の『私ひとりの私』という作品も読んでみたいですね・・・。
達三自身の自己分析的な作品なのでしょうか。