①奈良一泊旅行です・・・
先日の平日、木金の一泊で奈良へ行ってきました。
朝9:00の近鉄名古屋発、特急ひのとり大阪難波行きに乗り、10:37大和八木駅で乗換えて3駅目、約2時間弱で目的駅の橿原神宮前駅に到着。
普段、近鉄なんて乗らないので、深紅の車体「ひのとり」の良さもわからなかったけど、翌日の帰りがアーバンライナーだったので、確かにシートまわりも豪華だし、車内設備も充実してたのがよくわかりました。
車内Wi-Fiに繋げば、ネットで雑誌なども無料で見ることができます。
それに、停車駅も津の1駅だから早かったな。
いつも旅行と言えばマイカーか、現地まで行ってレンタカーと言うのがほとんどなのですが、こういう鉄道の旅もなかなかいいかも・・・。
橿原神宮前駅に到着後、まずは駅構内から線路を渡って東口の改札から出て、すぐ左手にあるダイワロイヤルホテルTHE KASHIHARAのすぐ横の観光インフォメーションセンターで、明日香周遊バス1日フリー乗車券を購入。
今日は、一日バスを使ってで観光地を巡ります。
こちらの地図の方がわかりやすいですね。
さて、早速目の前にあるバス停からいざ出発!!
ちなみに、今回は大学時代のゼミ仲間との久しぶりの旅行。
遠い人は横浜や広島からの参加。
なんと総勢13人の大所帯なので、勝手気ままに動きまわれないのがツラいところですが、今回は何せ幹事が一人で宿の手配から昼食、夜の飲み会まで段取りしてくれたので贅沢は言っちゃいけません、感謝感謝です。
全員がバスに乗ると、車両の後ろ半分を私たちが占拠。
レンタサイクルで巡っている観光客も見かけましたが、やっぱり平日のおかげもあり満席とはならず、なんとか他のお客様にも迷惑をかけなくて安心しました。
さあ、最初に目指したのが「飛鳥寺」
ずんずん東に走って6つ目のバス停「飛鳥」で下車。
ちょっとびっくりしたのは、道の狭さ。
バスが走ると一般車とすれ違いができない道路がかなりあります。
当然お互いに譲りあったり、一方通行の信号があったりしました。
「飛鳥」バス停を降り、ぶらぶら歩いて「飛鳥寺」を目指します。
途中、小さい道の駅のような感じの「あすか夢の楽市」やその隣に「明日香村埋蔵文化財展示室」もありましたが、スケジュール時間の都合で寄れず、そのすぐ隣にあった「飛鳥水落遺跡」を見学。
何やら短く丸い柱のようなものが整然と並んで見えますが、これは"正方形の基壇を持つ大形の建物遺構"とのことです。
ネット記事によれば、"基壇内を走る木桶暗渠、銅管、漆喰木箱などがあり、基壇内部に引き込んだ水を基壇上へ汲み上げる装置があり"、時を刻む古代の時計、所謂「漏刻」台の跡です。
斉明天皇6年に、中大兄皇子が作ったと伝えられているそうですが、実際にミニチュア模型にして見せてもらわないとさっぱり仕組みはわかりませんね。
-古都飛鳥保存財団のHPから一部引用-
すぐ向こうを見渡すと、なんとものどかな光景が一面に広がっています。
念の為に言っておきますが、奥に浮かんでいるのはUFOではありません・・。
ここからもう少し歩きながら、落ち着いた街並みを抜けたところに「飛鳥寺」がありました。
これは途中にあった酒屋さんでゲットしたカップ酒「萬葉飛鳥」
さて、ここが「飛鳥寺」の正門です。
土日にはかなり人で一杯になるんでしょうね、観光バスの駐車スペースもかなり広かった。
これは正門を入ってすぐ左を望んだところ。
左手の池が万葉池。
こちらは正門からまっすぐ奥を望んだところ。
右手に本堂があり、正面に見えるのが思惟殿。その少し左奥に鐘楼が見えます。
さあ、今回の旅のメインイベントとも言える「飛鳥大仏」は、右手本堂に安置されていました。
ちなみに拝観料は350円。
京都に比べたら安いもんです。
どうです、この立派なお姿。
確かに威厳が伝わってきます。
元々は後ろに光背があったので、もっと大きな大仏様だったそうです。
ちなみに、飛鳥寺は真言宗豊山派の寺院。
ご本尊の釈迦如来坐像を「飛鳥大仏」(銅造)と呼んでいる訳ですね。
推古天皇13年(605)、天皇が仏師"鞍作止利"(くらつくりのとり)に造らせた日本最古の仏像。
鎌倉時代の建久7年(1196)、大火災により全身罹災。その後修復されたようですが、平成28年に行われた蛍光X線による調査の結果では、お顔はほぼ1400年前のオリジナルと判明。
この「飛鳥大仏」様、普通見かける仏様と比べると頭部がやや大きく、顔つきも中性的ではなくいかにも男性的。目も半眼ではなくアーモンド形に前を見据えた感じに見えます。
それと、正面から見るとわかりますが、少し右側を前にして斜めに安置されています。
これは、聖徳太子生誕の地と伝えられる橘寺の方向を見据えているから、とも言われています。
これは、大仏様を左手から拝んだところ。
ちょっと表情も違って見えますね。
ここからの帰りがけ、折角なので思惟殿奥の西門を出てすぐのところにある「蘇我入鹿首塚」にも寄りました。
次は、飛鳥寺からバス停を一つ歩いたところにある「酒船石遺跡」を見学。
こちらも拝観料は300円。
このあたりは全てこれが相場なんですね。
これは万葉文化館西口バス停近くにある遺跡で、奥のほうから砂岩湧水施設、小判形石造物、亀型石造物が並んで見えますが、この遺跡一体の空間は、祭祀を行う場所だったのではないかと考えられているようです。
肝心の「酒船石」は、この右手の坂道をずっと上がっていったところにあるようでしたが、もうこのあたりまで来ると、よく歩いたし結構暑いし、で気力も減退。
幹事からも、昼食の予約時間があるから急ぎましょうと急かされ、次のバスが来るのを待ち、4つ目のバス停「石舞台」まで向かいます。
さあ「石舞台」バス停を降り、すぐ前にある「明日香の夢市」2Fで昼食タイムです。
こちらは、地産地消をモットーにした農村レストラン。
幹事が予約していたのは、もちろんお勧めメニューの「古代米御膳」
非常にヘルシーで味付けも薄味で美味。
平日お昼は食べない派ですが、さすがに今回の旅は運動量が多そうなので、カロリー補給は大事です。
私には、もうこれで十分なボリューム。
これは、1Fの土産物売り場でゲットした素敵な緑色に輝く盃。
確かこれも300円だったから、お値打ちですよね。
ここでは2時間ほど余裕があり、昼食後はぶらぶらしながら少し上に向かって歩いたところにある「石舞台古墳」を見学。
拝観料は300円ですが、JAFの会員証を提示すると250円になりました、ちょっとラッキー!!
この石舞台古墳は古墳時代後期(7世紀初め頃)の方形墳。
元は土を盛り上げて作った墳丘で覆われていたが、その土が失われ巨大な石を用いた横穴式石室が露出しており、6世紀後半にこの地で政権を握っていた蘇我馬子の墓ではないかと言われているようです。
向かって右手にまわったところから、石室内に入ることができます。
今日の天気はかなり暑かったですが、やっぱり石室内はかなり涼しい感じ。
拝観券裏の解説によると、"大小30数個の花崗岩が使われてオリ石の重さは北側が約64t、南側が約777t、総重量はなんと約2,300tにもなる"そうです。
この中に、さらに石棺が納められていたなんて、当時としてはなんとも大事業だったことでしょうね。
まさに、当時の支配者の権勢の大きさが偲ばれます。
次のバスの時間までかなり余裕がありましたが、他にお店は見当たりません。道の向こうに一軒だけ「明日香夢の旬菜館」(なんだか同じような名前ですね・・)があったので、軽くお茶しようと入りましたが、なんのことはない、私の注文したのはグラスワイン赤500円でした・・・。
そろそろ1日目の終盤。
再び周遊バスに乗り、近鉄吉野線、橿原神宮前駅から二駅目の飛鳥駅にも近い「高松塚」バス停まで向かいます。
ここには大きな駐車場があり「国営飛鳥歴史公園館」が隣接。
ここから前の道路の地下道を潜って大きな芝生のある場所を左に見て、緑の中を奥に少しづつ上っていきます。
ちょっとした上り坂を歩いていくと、ちょうど登りきった高台に高松塚古墳がありました。
といっても、こんな感じの盛り上がった盛り土のようです。
昭和47年3月、橿原考古学研究所の調査によって発見されたこの古墳内部の壁画は国宝に指定され、今は保存上一切公開されないため、ここからまた来た道を少し戻ったところにある「高松塚壁画館」で鑑賞することになります。
こちらの観覧料も300円です。
パンフレットの記載によれば、"地元の人が墳丘の南斜面で作物貯蔵用の穴を掘ったところ凝灰岩の切石を発見、これがきっかけとなって調査が行われ壁画発見になった"とのこと。
まさに、長い間誰にも人知れず土の中にお宝が埋まっていたわけですね。
ここには、古墳の石槨内部の模型と壁画の忠実な模写・模造が展示されており、建物内部の薄暗さと相まって、まさに石棺の中で実物そのものを観ているような感じにさせられます。
棺を囲むように、北壁に玄武、東壁と西壁には女子群像と日像・青龍と男子群像は彩色鮮やかに描かれていた名残を窺うことができます。
南壁は開けられた盗掘口によって、描かれていたと思われる朱雀は残っていないとのこと。
これがその盗掘穴を再現した模型。
かなりな労力を要したと思われますが、欲のためには何でもするわけですね。
さて、遺跡を巡る奈良旅行1日目はこれで無事終了。
再び高松塚バス停から周遊バスに乗って、朝出発した橿原神宮前駅東口バス停まで戻りましょう。
あとは、夕方から飲み会です・・・。