ほとんど一年ぶりにブログを覗きました。
コメントやいいね!を頂きながら、無反応で申し訳ありませんでした。
今年も何事もなく娘の命日を迎え、そして何事もなくその大事な一日は過ぎていきました。
今、目の前に居る子どもたちを見ながら、7年前のあの日の私に「よく頑張ったね」と言いたい。あの日、生きることを選んでくれてありがとうと伝えたい。特別何があるわけじゃないけど、悩みもたくさんあるけど、でも、「あぁ、今日も一日無事に終わった」と思える毎日を積み重ねて、あっという間に7年が過ぎました。
最近、お友達と話している中で、「実は、私・・・長女を亡くしていて・・・」という話になった。
私ではなく、お友達の方の話。話を聞くと3歳と少しの時に突然死だったらしい。原因が不明で、もう、どうしていいかわからなくて・・・。という話を聞いた。
実は、幼稚園に通い始めて色んなお母さん方と接する中で、死産の経験のある方や子どもを亡くされた方が決して少なくないということに気が付いた。みんな、大変だったよね。・・・子どもを亡くして、辛かったよね。
そんなお母さん達が亡くなった子どもの話をするとき、表情が穏やかで、どこか照れているようにも見えて、「可愛い子でね。」なんて言っちゃう。とっても優しい表情をして。実は、話したかったりするんだよね。聞いてほしかったりするんだよね。
亡くなってしまったけど、今はもう居ないけど、大事な子どもだから。
タブーじゃない。
大事な大事なものを失って、手放すことになって、その喪失感からどうやって這い上がるか、立ち向かっていくか、それは人それぞれで・・・。そのあと向かう方向も人それぞれバラバラで。
私は7年経って思うことは・・・。
娘を亡くしたことは、神様のいたずらでも運命でもサダメでも、私の日頃の行いのせいでもなんでもなくて・・・、ただ、娘の寿命だったんだと思っています。娘は私のおなかの中で命をはぐくみ、たった36週という本当に本当に短い一生を終えたんだと。
その大事な命を無駄にしたくなくて、生死について考えてみたり、命の重みについて考えてみたり・・・。自分の生きてきた道を見つめなおしたり、無限ループにハマって何年も何年も思考の中を右往左往してきました。
結果、「娘が遺してくれたもの」なんて素敵なものは無くて、「娘の死を無駄にしないために、いかに活かして私の生きる糧にしていくか。」という言葉がぴったりでした。
・自分の行動に言動や責任を持つこと。(あとで、後悔することはしない。)
・出来るだけ優しい人であること。
・他人にとって「いい人」であること。
それが上記のこれ。
私の母からは「そんなに自己犠牲してまで、「いい人」でいる必要ないんじゃない?」と言われるけど、「いい人」で居る時の方が楽。出来るだけ、流れの穏やかなところで生活したい。
7年経って、精神的に強くなったのか、弱くなったのか・・・一概には言えませんね。
白か!黒か!みたいな結果は出ないんですよ。本音は。いつもグレー。もやもやもやもや・・・・。行ったり来たり。
7年という時間が経ったから、それでもいいや。って思えるようになった気がする。
では、また8年目にお会いしましょう。さようなら。
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