今を生きる~死産からのスタート。

今を生きる~死産からのスタート。

2011年11月28日。初めての子供を臨月で死産しました。
半年後、妊活開始。
2013年6月人工受精にて妊娠。
2014年3月戸籍上の長女を出産。
2015年7月数回の人工授精にて妊娠。
2016年4月(事実上)第3子を出産予定。

2011年11月 36週5日で初めての子供を死産。


37週。自然分娩にて出産。


30歳になったばかりの私は、この経験によって人生観が大きく変わりました。


その後の妊活。人工受精にて妊娠、出産。

死産体験談>>失ったいのちのこと』


たくさんの体験談を読み、それが救いなりました。


誰かの役に立てばと思います。




死産を通して考えたこと>>雑記』


毎日のくだらない出来事>>日記』


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ほとんど一年ぶりにブログを覗きました。

コメントやいいね!を頂きながら、無反応で申し訳ありませんでした。

 

今年も何事もなく娘の命日を迎え、そして何事もなくその大事な一日は過ぎていきました。

 

今、目の前に居る子どもたちを見ながら、7年前のあの日の私に「よく頑張ったね」と言いたい。あの日、生きることを選んでくれてありがとうと伝えたい。特別何があるわけじゃないけど、悩みもたくさんあるけど、でも、「あぁ、今日も一日無事に終わった」と思える毎日を積み重ねて、あっという間に7年が過ぎました。

 

最近、お友達と話している中で、「実は、私・・・長女を亡くしていて・・・」という話になった。

私ではなく、お友達の方の話。話を聞くと3歳と少しの時に突然死だったらしい。原因が不明で、もう、どうしていいかわからなくて・・・。という話を聞いた。

 

実は、幼稚園に通い始めて色んなお母さん方と接する中で、死産の経験のある方や子どもを亡くされた方が決して少なくないということに気が付いた。みんな、大変だったよね。・・・子どもを亡くして、辛かったよね。

 

そんなお母さん達が亡くなった子どもの話をするとき、表情が穏やかで、どこか照れているようにも見えて、「可愛い子でね。」なんて言っちゃう。とっても優しい表情をして。実は、話したかったりするんだよね。聞いてほしかったりするんだよね。

 

亡くなってしまったけど、今はもう居ないけど、大事な子どもだから。

タブーじゃない。

 

大事な大事なものを失って、手放すことになって、その喪失感からどうやって這い上がるか、立ち向かっていくか、それは人それぞれで・・・。そのあと向かう方向も人それぞれバラバラで。

 

私は7年経って思うことは・・・。

娘を亡くしたことは、神様のいたずらでも運命でもサダメでも、私の日頃の行いのせいでもなんでもなくて・・・、ただ、娘の寿命だったんだと思っています。娘は私のおなかの中で命をはぐくみ、たった36週という本当に本当に短い一生を終えたんだと。

 

その大事な命を無駄にしたくなくて、生死について考えてみたり、命の重みについて考えてみたり・・・。自分の生きてきた道を見つめなおしたり、無限ループにハマって何年も何年も思考の中を右往左往してきました。

 

結果、「娘が遺してくれたもの」なんて素敵なものは無くて、「娘の死を無駄にしないために、いかに活かして私の生きる糧にしていくか。」という言葉がぴったりでした。

 

・自分の行動に言動や責任を持つこと。(あとで、後悔することはしない。)

・出来るだけ優しい人であること。

・他人にとって「いい人」であること。

 

それが上記のこれ。

 

私の母からは「そんなに自己犠牲してまで、「いい人」でいる必要ないんじゃない?」と言われるけど、「いい人」で居る時の方が楽。出来るだけ、流れの穏やかなところで生活したい。

 

7年経って、精神的に強くなったのか、弱くなったのか・・・一概には言えませんね。

白か!黒か!みたいな結果は出ないんですよ。本音は。いつもグレー。もやもやもやもや・・・・。行ったり来たり。

 

7年という時間が経ったから、それでもいいや。って思えるようになった気がする。

では、また8年目にお会いしましょう。さようなら。

 

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大人絵本。

年に一回の更新になってきました。

今年も無事娘の6回目の命日を迎えることが出来ました。

 

死産後6年経って、変わったことはやっぱりドラマ「コウノドリ」が放送されていることじゃないだろうか。このドラマを見て「当たり前に子供が生まれてくる」ということが良い意味でそうじゃなくなった気がする。原作はもちろんなんだけど、あのドラマはみんな人間らしく、非力で失敗をして、頑張りたいのに強がって、何回もくじけて…。そういう部分がリアルで好きです。

 

医者ですら、非力。

非力というのは、原因不明で死んでいく小さな命を守り切れないという意味です。ドラマの中の医者は神の手を持ったスーパーヒーローか、権力とお金が大好きな極悪人ですから。

 

6年という月日は、私の生活を平凡で穏やかな日常に戻してくれました。

ふいに心が揺れることはほとんどありません。涙があふれて止まらないということもほとんどありません。

 

亡くなった娘そっくりに産まれてきた下の娘の成長を見ながら、「こんな風に成長していったのかな」と思うことがあります。主人には話していませんが、今、上の娘が通っている幼稚園は亡くなった娘に通わせたいと思っていた幼稚園です。生まれる前から幼稚園になったら…と調べていた幼稚園です。

 

きっと死産をせずに当たり前に娘を育てていても、今とさほど変わらない日常を送っていたと思います。

でも、やっぱり娘は居ない。それがどうあがいても、何年たっても絶対に変わらない現実です。この現実を受け入れた時から気持ちが楽になりました。

 

娘を想い出すと少し悲しくて、優しい気持ちになります。

6年が過ぎ、次の7年もあっという間です。いつか、そばにいる娘たちが「御線香は誰にあげているの?」と聞いてきたら彼女たちのお姉さんのことを話そうと思っています。

娘を亡くして5年が経ちました。

5回目の命日からすでに3か月経ちましたが…。

 

ずっと考えていました。「5年間のこと」を。

長かったようで、短かったようで、この月日を、年月をどう表現することが今の気持ちにしっくりくるのか。

 

この5年間、何度も何度もあの時に感じた感情をひっぱり出して、ひとつひとつ理由付けして「あの感情はこういう意味があって…こうだから、あぁだから。」とレッテル貼りをしてきました。貼っては直し、貼っては直し。

 

意味があるのかないのかわかりません。でも、これが私にとって「気持ちを整理する」作業なのだなと気が付きました。

 

先日、主人から初めて娘の死についての気持ちを聞きました。

今まで「話したくない」と言い続けていた彼の中で何が起こったのか分かりません。ただ、淡々と「あのときのきもち」を話し始めました。

 

正直驚きましたが、あまり大きなリアクションをするのも気まずい空気だったのでこちらも淡々と受け入れました。

 

死産直後は、自分と同じように悲しんでくれない彼について不信感もありました。ひとりだけ取り残されたような気持ちにもなりました。でも、夫婦であっても別人格の人間。悲しみ方も違えば、気持ちの整理の仕方も違う。そう気が付いてからは極力気にしないように努めました。

 

きっといつか話してくれる日がくる・・・だろう。(きっと来ないと思っていましたが。)

それが、5年後の今話してくれました。とてもうれしかったです。

 

5年が長いのか短いのか。やっぱりわかりません。

でも、この時間を意味のあるものにするかしないかは、自分次第だなと心底思います。

 

子供の死から何を学ぶのか。何を知るのか。

うわべだけの言葉で、気持ちをきれいにまとめようとしてもうまくいきませんでした。

 

きっと何の意味もないことなのです。

ただ「予定日を間近に心臓が止まってしまった。」という事実だけがそこにあるのです。でも、あまりにも辛くて悲しくてやりきれないから、意味のあるものにしたくて、価値のあるものにしたくて必死になっているのだと思います。

 

私はきっとこれからも悪あがきを続けていくのだと思います。

「娘の死」から何かを得て、学んで、意味のある価値のある命だったと頭の中で考え続けるのだと思います。

 

5年です。

5年経ってもまだ、娘に「ありがとう」と言えていません。「ありがとう」と言ってしまうと手放してしまいそうなのです。願いが叶うなら、生きていてほしかった。笑い顔が見たかった。小さな手をしっかり握ってあげたかった。

 

私はなかなか粘着質なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

なんでだろう。

今日は、無性に娘のことを思い出します。

 

私の手帳には月命日に数字がふられています。

何回目の月命日か、すぐにわかるように。…でも、旦那さんはとても嫌がります。

 

「そんなもん数えるな。」と。

 

旦那さんは、ほとんど線香をあげません。手を合わせることもしません。でも、出張先でたまにお土産を持って帰ってきます。きれいな珊瑚とか。

 

4年半という時間が経ってなお、お互いにすべての腹の内を見せてはいない気がします。それでも、月日が経つにつれ亡くなった娘の話をする機会が増えました。

 

娘を亡くしてすぐのときは、感情を隠して、なにもかも無かったことにするような態度をとる旦那に不信感を募らせたときもありました。「親」という同じ立場なのだから、私と同じように悲しんでほしい。そんな気持ちからでした。

 

でも、今ならちゃんとわかります。

悲しみ方はひとつじゃない。ということが。

 

最近、「私が還暦を迎えたときに「若いときは大変だったね。」と笑って話したいから、今を頑張ろうと思う。」と、旦那とよく話します。平凡な毎日の積み重ねをこの人と一緒に振り返りたいと思うのです。

 

人生これからさきどうなるかわからないけど、どうなっても耐えられるように体と心を健康に過ごしていきたいと思っています。

 

2012.6.20

朝日新聞天声人語の記事をいつも目の届くところに貼っています。

 

永六輔さんが飛行機事故で亡くなった坂本九さんに手向けた言葉。

「昨日と今日は、偶然並んでいただけでした。今日と明日は、突然並んでいるのでした。だから明日の無い日もあるのです。」

 

この言葉に何度救われただろうと思う。

励まされた。というよりは「しっかりしろ!」と怒られているような感じ。

 

明日の保証なんて何もない。

その中で人は強く生きていかなければならない。本当は強くないのに、強いふりをしながら生きていかなければならないときもある。

 

娘を亡くしたあの日から、「明日」を積み重ねて今年で5年になります。

前のように突然、感情があふれることは無くなったけど、涙の量も減ったけど、気持ちの整理が出来ていないこともある。きっとこれは私の一生の課題なんだろうな。と思っています。

 

 

 

 




永六輔さんへ。
この言葉を残してくださってありがとうございました。

 

生後1w

黄疸数値が異常値まで上がり、24時間の光線療法を受けたものの。リバウンドした数値がとっても際どいラインなので、本日、改めて病院へ。

こういう時、大きな病院で出産してて良かったとつくづく思います。

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話は変わりますが。
私には愛娘が3人居ます。お空にひとり。地上に2人。

今回、出産した娘が、お空に返した娘にそっくりなのです。

誰に似たの?って、言うくらい長い指ときれいな爪。高い鼻筋。実母が「帰ってきてくれたのかもね。」なんて、言うくらいそっくりなのです。

「生まれ変わり」と信じて育てていると、子ども自身が思春期や難しい時期にさしかかった時に、「自分は一体何者なんだ。」と、悩むことがあるそうなので気を付けなければ!と、思ってはいますが。

まぁ、同じ遺伝子を掛け合わせて居るのでそっくりな子が産まれても全く不思議はないのだけど。

しかし、誰に似たの???(笑)

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さて、採血はスムーズに出来たみたいだけど…。先生から「ちょっと黄色ねぇ」と。

早く落ち着けばいいんだけど。

昨日、事実上の第三子。戸籍上の第二子を出産しました。

三人姉妹の三番目。
一番キツい分娩でした。

お腹の中で10ヶ月間生きて、これから社会に出て、この子がどうやって生きて行くのか。親として見守って行きたいと思います。

ヒヨコ

さて。
産まれたのは、良いのですが。
どのタイミングで、友人たちに報告しようか、と悩みます。

今は、産まれてすぐ過ぎだし。
と、いうか正直、産まれても新生児過ぎて何が起こるかわからないというか。

産まれたよ~🌠って、有頂天で報告出来ない。怖くて。

どちらにしろ、家族以外の面会は出来ないから退院までは時間があるけど。

たぶん、上の娘の時も同じようなこと言ってた気がする。(笑)

私信

 

前回の記事にコメントありがとうござます。

返信しています。

 

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今日は、38wの健診日。

前回から体重は0.1kgの増。

 

「優秀!」と、大いに褒めていただきました。

産後に、本格的にダイエットに励もうと思っているので、気も引き締まります。

 

今日は、内診もありました。

「子宮口は2指(約2センチ)開いていて、柔らかいねぇ。さすが、経産婦さんだねぇ」と言われたけど…「まだ、胎盤元気だし、赤ちゃん降りてきてないから、しっかり歩いてね。」と。

 

毎回同じこと言われてる。

(まぁ、ほかに不安要素がないと考えれば、いいことなのかもしれないけど。)

 

一週間で150gほど大きくなっていく赤ちゃん。

胎盤がまだ元気なので、来週までおなかに居れば、3500g超えもあり…。まぁ、娘の第2子で3500gあったので、第3子だと考えられなくもない。(後になればなるほど、大きくなる傾向にあるのだとか。)一応、例のぐりぐりをされたけど、全然痛くない。(汗)

 

今日、NSTの時に看護師さんと話す機会があって「二人目だと余裕が出てくるねぇ」なんて話していたんだけど、産婦人科の看護師さんだし・・というのもあって「いや、3人目なんですよ。一人目は…」と言おうとすると「は!!そうだったよね!大変だったね!」という話に。

 

やっぱり総合病院と言ってもNICUのあるような病院ではないので、死産の処置はしないみたい。病院自体が新しく建て替わって、産科が復活した形なので、まだ産科が出来て数年の病院。

 

やっぱり、死産って稀なんだなって、改めて知った。

ネット上には、こんなにも辛く悲しい想いした人がいるのに…。

 

なんだかまとまりがないまま、終わります。(笑)

 

 

4年前。
死産の処置をした病院の産婦人科の偉い?先生から言われた。(総回診の時に。)

「あなたが次また同じこと(臨月での死産)になる確率は、歩いていて頭の上にモノが落ちてくるくらいの確率です。」

そう言われた時に、なんかピンと来なかったことを覚えている。

今、臨月を迎えて改めて思う。

一回目の妊娠と三回目の今回の妊娠。
死産する確率は、何も変わってないじゃないか。と。

もう、あんな想いはしたくない。
家族や友人が無事に出産することを願って、信じていてくれるのに。

でも、(おそらく)不育症やその他の既往がなく死産した私にとっては、4年前の死産は、とてつもなく低い確率で起きた事故のようなものだった。

じゃ、それが二度と起こらないという保証もなく、次もそうなるという確信もなく、ただただ、結果を待つしかなくて。

このキリキリと神経を削られていく生活をあと数週間続けていかなければいけないと思うと…。ちょっとキツい。

しかも、世間は春休み。
学童嫌いの姪は、私と娘が居ることを良いことに、学童を辞めてしまった。
一応、実母から断りはあったけど、あまりにも手がかかりすぎてイライラする。

家にエコーが欲しい。
(エコーを診る技術はないけど。(笑))

不安になればなるほど、亡くなった娘に罪悪感を感じる。

でも、やっぱり怖いな。
命を産み落とすということは、やっぱり命懸けで、それだけ重い責任があることなんだな。

毎回、同じこと書いてるな(笑)私。
36wの健診で、「分娩施設の見学をしたい」旨を伝えると、「午後から母親学級あるからそこで!」と言われ参加してきました。


正直、母親学級は苦手。
一抹の不安も持たず、キラキラと我が子の将来を夢見ているタイプの妊婦さんに会う確率が高いから。

(あ。なんかすごい性格の悪い書き方してしまった気が((;゚ロ゚)))

娘も連れて行ったのですが、助産師さんから「娘さんの時(初産)はどのくらい(時間)かかりました?」と言われ、素直に「経産婦だったので…。あ、子供は二人目ですが、出産は3人目です。」と、答えて来ました。

きっとやりにくい妊婦だな。と思われたはず(笑)

総合病院なので、外来と病棟の助産師さんは全く別。なので、まだ個人情報は病棟の助産師さんに知らされてないのだと思います。仕方ないことなんです。

非のない助産師さんに申し訳ない(^^ゞ

まだ比較的新しい病院なので、分娩施設もとってもきれいで効率的。病室も完全個室でシャワートイレ付!時間を気にせずゆっくりシャワーを使えるのは、嬉しいです!


それでは、胎動も確認出来たので寝ます。