太平洋戦争の前年生まれ、物心ついた頃は周りになにも無かった。

遠い昔の記憶、稲刈りは学生さんが手伝ってくれた。自発的な行為なのか、勤労奉仕の一環なのかはわからない。飛行機が飛んでくると、反射的に建物に身を隠した。

家の裏にあった防空壕は、地面と水平にL字型に掘ってあった。先に空気穴を兼ねた四角い窓があり、上陸された場合はその穴から敵を狙撃する予定だったと言う。本土決戦前提の世論だった。

今年83歳、最近の記憶を維持する事は難しくなってきた。悲しいかな経年とは、いつまで生きられるかわからないが、語り継げる記憶は、未来を担う子ども達への平和を願うおき土産と思っている。

語れるうちに語っておきたい。

Life is a Great Journey