神戸市東灘区。
結婚して初めて二人で住んだ町は、一年たたないうちに、激震地になった。
幸い、二人ともその場にはいなかった。自宅にやっと辿り着き、傾いたアパートの階段をよろよろと上り、歪んでこじ開けられたドアから入ると、ひとつひとつは確かに自分たちのものなのだけれど、もとの部屋が想像できないほどぐちゃぐちゃになっていた。
「持ち出したいものにこのシールを貼ってきてください」
シールを握りしめたまま、しばらく立ち尽くす。きっと短い時間だったはずだけれど、瓦礫の山を前にして、それでも何事もなかった普通の日々を、次々に思い出していた。あれが、あの部屋とのお別れだったと、今になって思う。
淡々と作業する。圧倒的な破壊の前では、悲しみは感じない。命のなごりがまだ猛烈にもがきうごめいている気配と、いつもの生活の気配。ふたつの異様で濃密な気配に押されて、ただ淡々と片づける。
思い出のよりどころを失ったのだ、と深い悲しみを感じたのはずっと後、更地になったアパートの跡を訪ねたときだった。
僕らの本籍は東灘のあのアパートになっている。救いきれなかった思い出を、いつまでも忘れないように。
原発から逃れ、一時帰宅で自宅に戻る人たちのニュースを見るたび、あのときのことを思い出す。
選択もできずに、家を離れなければならなくなる。そこに、そのままの家があるというのに。こんなに残酷なことはない。
淡々と作業しているように見える。忍耐強く見える。けれども、少したてば、きっと身も震えるような悲しみを抱えている。
十分にお別れができなかった思い出に向き合っていくために、長い時間とじっくりと話を聞いてくれる環境を、どうか確保してあげてほしい。
新しい生活を始めるためにも、しっかりと思い出を刻み込んでやる時間が、きっと大切なのだから。