昨日、あんなに元気だったのに、
今日、二度と会えなくなってしまう。
自殺というのは、残されたものにとって最も残酷な形のひとつだ。
死のうとしてしまう自分に、何が起きていたのか、僕は専門家ではないのでうまく説明できない。
そのときは、死んでしまう恐怖よりも、自分がこの世からいなくなる安心感のほうが上回っていた記憶が残っている。
まさに病的だった。
拒食症という病気がある。大変に難しい病気だと聞いた。どんなに痩せても、体が食事を受け付けない。
一説では、自分の痩せこけた身体を見たとしても事実として認識できず、自分(の身体)が思い込んだ仮想の身体がまだまだ肥っていると感じているという。
自殺に向かう時の感覚は、まさにそんな感じだ。
どこかに仮想の「自分」がいて、こんなダメな自分を消してしまえば、「自分」はもっと楽になれる、と感じている。
「自分」が肥大化すると、こんな有り得ない考えがあたりまえのように頭に溢れる。
拒命症、と言うんだろうか。
死んでしまうような行動に歯止めがかからない。死ぬまで、「自分」が死ぬとは思えないから。ただ、楽になれると思っているから。
昨日、あんなに元気そうだったのは、彼だったのか、「彼」だったのか。
自分の意志のように見せかけて、心を弄して命を奪う。
病気というにはあまりにも邪悪なこの営みを、だから一刻も早くこの世から減らしたい。
この世にいない人の言葉はもう聞けないし、生きているものが語ることは許されないのだけれど、
あの人が居なくなったのは、あなたのせいじゃない。
そういうことがあることだけでも、知っていてほしい。