「ビットコイン」を考えるには「マリアテレジア銀貨」のことを知ると変わる。
「マリアテレジア銀貨」との出会い
ビットコインのことを考えるために必要なことは、「『貨幣』とは何なのか?」を理解することにあると思い「貨幣論」の本を探すことにしました。基本的に本はアマゾンでは買わない主義なので、本を買う時には新宿の紀伊国屋かブックファーストの行きます。
本屋で意味もなく本を探すことは楽しいもので、探していた本の隣に面白いタイトルの本があって購入することって結構あります。この探していた本ではなく、所謂ジャケ買い的な本が面白かったときに感じる幸福感が好きなんです。
そんなことで、紀伊国屋に「貨幣論」に関する本を探しに行きました。実は「貨幣論」に関しては、岩井克人の「貨幣論」という名著があるのでとりあえず、そちらをベースに探しに行きました。
目的の「貨幣論」はちくま学芸文庫なので、同じような文庫本の棚で「貨幣論」に関するタイトルの本を探してみました。
本棚を眺めている時に目が止まったのが黒田明伸の「貨幣システムの世界史」でした。「『貨幣』とはないか?」との帯がついていたので、当然手にし、パラパラとみると「マリアテレジア銀貨」という見たことのない単語がいっぱい出てきました。この意味もわからない「マリアテレジア銀貨」の単語にひきつけられこれだと思い岩井の「貨幣論」と黒田の「貨幣システムの世界史」も買うことになりました。
黒田の「貨幣システムの世界史」の中では、オーストリアで鋳造されていた「マリアテレジア銀貨」は、1950年くらいまで中近東で流通していたことの解説がされていました。しかも「マリアテレジア銀貨」はオーストリアではほとんど流通せず、中近東を中心に広範に流通していたというので、本当に変な「貨幣」になります。「貨幣」を考えるのには参考になるものだと思いました。
オーストリアで1700年台に発行された
「マリアテレジア銀貨」はマリアテレジアという実在する女帝を記念して1700年台に鋳造されています。不思議なことに「マリアテレジア銀貨」のうち特に1780年の刻印のある銀貨が1950年くらいまで中近東で流通していたそうです。オーストリア国内で通用しなくなった「貨幣」が遠く離れた中近東で流通していた理由は何なのか本当に不思議な話です。
しかも、1780年の刻印があるものの信用度が高かったというのが謎を深めますよね。
不思議なことに20世紀初頭まで流通した
「マリアテレジア銀貨」が流通していた時代の経済学者も疑問に感じていたようです。近代経済学の祖ケインズや自由主義経済学者のハイエクなども「マリアテレジア銀貨」の流通には疑問に思っていたようです。しかし、当時は「貨幣論」よりもマクロ経済や国際政治と経済の関係などの方が学会的にも中心議題だったからでしょうから、ほとんど深い分析はしていなかったようです。
ケインズが興味を持たなかったとの判断ができるのは1780年の刻印のある「マリアテレジア銀貨」が流通している現状から「デザイン的に優れているのでは?」ということで経済学の範疇外と分析をしています。
「貨幣」とは何なのかを考えさせられる通貨
流通していた同時代の経済学者から見捨てられた「マリアテレジア銀貨」のことを考えることは「貨幣」の本質を考えることになると黒田は指摘しています。本来通貨発行権を持つ国家の裏付けがあって初めて「貨幣」は信用を得るとの考えからすると、完全に異なった位置付けの「貨幣」が「マリアテレジア銀貨」になるから、この分析は重要なこととなりますね。
「マリアテレジア銀貨」が「貨幣」としての信用を持っているのは「受け取る人」がいるからだと黒田は指摘しています。確かに、地域商品券で商品の購入ができるのは、商品券を受け取ってくれる人がいるからで、受け取る人がいないと絵に描いた餅になります。
「受け取る人」がいる理由は「信用」があるからだと思います。「信用」とは形がないもので基準が存在しないので語ることはかなり難しくなります。「マリアテレジア銀貨」における「信用」とはなんなのか?について考えてみましょう。