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Life Collection

様々な人生のターニングポイントを集めたブログ

Ⅱ.過去を見つめ直す期間としての高校生活~精神的な成長と依然続く葛藤~
 1.友人たち
 2.二つの決心
 3.卑屈な自分との葛藤



 高校に入学してからも、一連の事件(以前のブログ『H.N2 生活の激変』参照ください。)は、ずっと尾を引いくことになる。債権者が学校の門の前で待ち伏せをしていたり、自宅の所在地がばれて嫌がらせを受けたりすることが続いた。
 とは言え、日々の生活は以前に比べればかなり安定し、高校では親友と呼べる友人も何人かできた。そのような状況で過ごした高校生活では、夜逃げ、破産といった一連の事件が、過去と現在の間に位置する出来事として、時には自分の身にまだまだ降りかかり、時には見つめ直す期間となった。
 
 
1.友人たち

  当時の僕は、家庭の貧しさを大きなコンプレックスとして感じていたので、どれだけ仲良くなっても友人には一切自分のそれまでの経験について話すことはしなかった。
 だから依然として身の回りでトラブルが起こったとき、その辛さや悩みは一人で抱え込んだ。でもそれは自分の過去によるものだから、人に相談するようなことじゃなく、自分でどうにかして当然と思っていた。
 過去など関係なしに、僕を一人の人間として見て、楽しく接してくれていることに感謝していたし、彼らは大きな力を与えてくれた。
 今から思えば、気軽に相談する相手を持てれば、色々なことが楽に運んだのかもしれない。

 
2.二つの決心

僕は高校時代に二つの決心をした。この二つの決心は、きっと夜逃げや破産といった過去について、少しだけ客観視して、見つめ直すことができたから生まれたものだと思う。


・立派になること
 
債権者の方々とのトラブルが続く中で、その人たちが自分たちのせいで今も迷惑を受けているんだ、ということを、何度も痛感させられた。そして同時に少しだけ、彼らに対して腹も立っていた。毎日を慎ましく生きようとしているのだから、できる事ならその生活を乱さないでほしいとも思っていた。
 この頃から、僕は「迷惑をかけてきた人たちに対して僕ができることは何か。」と考えるようになった。
  そんな僕が出した答えは「勉強することによって立派になること。更にはその人たちに利益となるような何かを成し遂げること。そして文句も出せないような立派な人物になる。」立派とはどういうことかなのは、このときはひとまず置いておいた。笑

 
 
・真剣に生きる、感謝をすること

 僕にとって、高校生活は楽しくて仕方なかった。それは友人や先生、家族など周囲の人に恵まれたお陰だと感じていた。
 徐々に受験期が近づいてきて、この高校生活も有限のものだと改めて感じたとき、僕は、「感謝を持って、真剣に生きる」ことを自分の中で強く決めた。授業にも、普段の生活にも、沢山の感謝を持って、人一倍真剣に取り組み、全てのことについてよく考えた。


3.卑屈な自分との葛藤

 そんな高校生活の中でも、時折、嫌な自分が顔を出すことがあった。
 周囲の友人がおそらくしていないような経験をしたこと、その結果、沢山の人に迷惑をかけて自分が生きていることが、どうしようもなく申し訳ないことで、そしてそんな自分のことを不幸だと感じることがあった。
 実際には、自分の普段の生活に不自由などなくて、楽しい生活を送っていたと思う。でも、ふとした拍子に、ともすればそのような卑屈な考え方になる自分が嫌だった。
 「やっぱ俺だけ皆と違うんや。」と「全然違わんぞ。不幸ぶるのダサいぞ。」と、自分の中で葛藤があったのを覚えている。
 過去を一刻も早く自分の中で消化して、ニュートラルに自分を見つめたい、と強く感じていた。
 もしこの頃にもっと広い視野を持てていれば、と思う。例えば、この時にもし自分と同じような経験をした人と話ができていれば、僕はもっと違う考え方を持てていたかもしれない。
Ⅰ.生活の激変
1.会社の倒産
2.夜逃げ
3.自己破産、法学部を目指す
4.新生活のスタート


1.会社の倒産

 僕が中学に入学した直後、父親の会社が約6億円の負債を抱え、倒産した。小学校に上がるころから会社の経営は傾き始めており、家庭では、父が母に暴力を振るうのを毎日のように見るのが辛かったのを覚えている。
 会社が倒産する直前の一ヶ月ほどは、中学から帰ってくると、毎日のように、自宅の周りに何人もの借金取りが取立てに来ているので、自宅から近所にある母方の祖母の家に住んでいた。その頃には既に父は借金取りから逃げ回っており、いつも妹と母と3人でいた。この頃から父とは殆ど会っていない。


2.夜逃げ

 中学一年の秋、祖母の家の周りをも数十人の借金取りにとり囲まれてしまい、どうすることもできなくなり、家族3人で夜逃げをする。それから数週間程度は親戚の家を転々とした。でもその親戚たちにも事業の為のお金を借りていたので、どこにも長居は出来なかった。ついに当てが無くなってからは、見知らぬ駅のバス停のベンチで寝たりした。一週間程、ホームレスのような生活をし、学校へも全く行けず、同じ服のまま過ごす。何の生産性も無いまま一日が過ぎていくことに激しく不安を感じながらも、どうしようも出来ずにいた。
 母親は毎日のように「死のう」と言った。それを聞いて妹は泣いた。自分は二人を落ち着かせることに必死だった。本当に何も出来ず、無力感ばかりを感じた。ただ、僕には生来の楽天的な考え方があって、「きっとどうにかなる。」と考えていた。自分を、母を、妹を必死で励ました。
 その頃の記憶は曖昧にしかなくて、どうやったのかはわからないが、いつの間にか母が一軒のアパートを借り、そこから僕たちの生活は再出発した。母は父と離婚し、そして自己破産宣告をし、なれない土地でパートを始めた。母親が本当にどうにかしてくれたのだった。


③自己破産、法学部を目指す

自己破産手続きにあたって、弁護士に支払う手数料は、無一文に近かった当時の僕たち一家には相当大きいものだった。
でも破産すれば借金は帳消しになるから、母はそれを選択した。
会社倒産に至ったことで、沢山の人に迷惑をかけただろうということは、ぼんやりとだが、わかっていた。それでも、一文無しになった僕たちが、何とか再出発しようとするときに、このシステムを知って、変だと思った。そもそも、その頃、中学一年生の僕は、僕たち家族もどこか被害者であるかのように感じていた。
この時、「国家の制度」というものを最初に意識し、法学部に入ろうと思った。幼心に、「法学部に入れば、法律を知ったり、システムを作り直したりすることができるんだろう。」と考え、それによって自分のような人を救えるようになりたいと思った。


④新しい生活のスタート

 倒産や夜逃げによって、妹は通っていた学校を辞めることになった一方で、私立の中学に行っていたにもかかわらず、担任の先生や学校側の厚意もあって、僕だけが学校に通い続けることができた。
 そんな背景もあったので、クラスメイトに対して「この子らと自分は違う。自分はこの子らよりがんばらな。」と思っていた。
 中学一年生の当時の僕にとって、この倒産や夜逃げの経験は、強烈なコンプレックスになった。と、同時に、同世代の子があまり経験してないことを自分はした、だから絶対負けない、という変な自負みたいなものがあった。これはたぶんハングリー精神みたいなものだろう。
 この時の僕は戦いのイメージで人生を捉えていた。周囲に対して、心の中では常に挑戦的に牙をむいていたような気がする。身の回りの出来事のスケールが、自分の許容量をオーバーしそうになるのを、意地を張りまくることでなんとか堪えていたんだと思う。
 
 この時期の一連の体験は、間違いなく僕の全てに大きな影響を与えたが、自分の中で上手く整理できるまで、まだまだ時間がかかることになる。

H.N


経歴

1988年 大阪府堺市で生まれる。
2000年 堺市立浅香山小学校 卒業
2003年 清風南海中学校 卒業
2006年 清風南海高等学校 卒業
2006年 大阪大学法学部 入学
2010年 大阪大学法学部を除籍処分になり、一年間休学
2011年 大阪大学法学部に復学


生い立ち

 大阪府堺市で、祖父の代から続く電気店の息子として生まれた。父方、母方、共に商店を経営する家系で、機転を利かして人の希望に応え、商売をするということの面白みは、幼いころから常に身近に感じて育った。
 幼い頃は、家庭は比較的裕福で、父も母もそれぞれの事情から、教育を満足に受けられずに育った経験があったからか、僕を育てる上で、教育をとても重要視してくれた。 
 幼い頃から活発で、遊びにも勉強にも、毎日を力いっぱい過ごした。
 しかし中学一年の頃に父親の会社が倒産する。
 高校を卒業後、大阪大学法学部に入学、四年時には大学を除籍となる。
一年間の除籍期間を経て、復学し現在は友人と起業を目指して日々邁進している。