タイのスカトー寺の副住職をされている

プラユキ・ナラテボーさんという日本人の僧侶の方に会って来ましたん。 



Twitterとかで最近よくお見かけしますよね。





 

 



 

「四苦八苦する」




と日常言うけれど、

実は仏教用語だったり日本の言語とも関連あるのは知ってたけど



まさしく世の中の仕組みって

すでに仏教で語られてるなとおもったり

色々今更仏教すげえな、、と思って

なんとなく会ってみたのでした。


 



 

仏教って結構フレームワークぽい感じ

かもしれない。












で、課題の整理からですが。。(コンサル臭)

苦しみの類型






四苦八苦




特に八苦とかリアル。

これにはまらない苦しみとか大概ない。







そして、この苦しみは定型のルールを持ち、

解決もしくはやり過ごせるのである。と





(個々の自身の認知に気づき、行動に昇華するのでワンパターンではなさそうだが)







 

結局なんか思うのは、

人間大昔から変わらないのよね。





天照大神の神話の世界から

権力を持つもののケンカは始終行われ、






世の中の男女のイザコザは

源氏物語に収斂され、




現世の苦しみすら全て、

仏教の成り立ちの時にすでに体系化され、

対処法が見出されている。





 


人の一生においては初めての経験や、

苦しみだとしても、



昔から変わらず、

それに対して解決策を見出している、

と言うのは納得感ある。
(確率統計みたいなもんだよね)

 







またその苦しみの一部は、






社会という

貨幣経済や学歴偏差値、家族の定義みたいな

共同幻想のなかでロールプレイ的に発生しているにも関わらず、




ロールプレイの中に生まれ、

その中でしか生きてこなかった故に、





そのロールプレイの世界が全てだと思い

苦しみから脱せないという社会の仕組みも、




これまた封建社会なり

カースト制がもたらすがごとく

いまの時代にもあるんだなーと思います。



 

共同幻想のど真ん中で

ロールプレイにガッツリハマりばたばたしたしてる人は多いなあ、と思う。
(自分も含め)




 

安堵と自由を求めて、

現代カースト登りつめてる人は多いけど、





数十億の資産を持っても不安と孤独に生き孤立する人もいるし、なくても安心と豊かさを実感している人もいるし、





そのロールプレイからどこまで本来の「生」に視点をずらせるか、なんだろうなーと思う。

 





自由さは不自由でもある。




 

封建的からの選べる自由さもあるけれど、

選べる結果の「自己責任」は

心を不自由にせざるおえない。





 

こーゆーことをポツポツ話していたら、

プラユキさんに

「気づいちゃったー?センスあるね(ニコニコ)」

※気さくなおじさん





ほめられたので、

もちっと仕組みを勉強してみようと思う。






 

こんなこと思った後に、

資本主義の権化みたいな六本木ヒルズで

「いやあ、買い物楽しい」と遊んでるので






それほど社会とは、世の中とは

リアリティを持って刺激的なのです。爆