みんな自分自身になりたいし、
自分を何と比べることなく最大限愛したいっていうのが根底の願望にあるのかなー、って思ったときに。
人にあこがれを持つっていうのは、
自分が「自分自身になりたい!」ということを思い返せる人なんやろなと思った。
経営者なり歌手や芸術家だとしても、
憧れを持つというのはその人自身が唯一無二として表現しているパフォーマンスに対して
「スゴっ、、、かっこいい」って思うわけで、
それは現象的には「簡単に真似できない超絶技巧」だからそう思うのかもしれないけれど、
実は批判や失敗も乗り越えて、その超絶技巧を身に着けた自身への内側の集中力にあこがれるんやなと思った。
超絶技巧じゃなかったとしても筋が通った、芯があるものに惹かれるとか。
そこやなと。
人にあこがれると、
同時に欠乏感に襲われるじゃないですか。
「私には○○がない」と。
アイドルくらい遠ければ楽しめるが、
現実世界であこがれの人がいるのはめっちゃつらい、
自分もそれが欲しい、と求めていく。
でも手に入らない、そしてまた欠乏感。
めっちゃつらい。。。。
努力するエネルギーに置き換えられればよいが、「自分にない、あの人にある」この欠乏感のサイクルはほんとに苦しい。
が。
「憧れ」の理由が、「(あの人は自分に集中している)結果、できているすごいこと」であれば
欠乏の矛先は相手ではなく、自分なのよねー。自分への集中力なんねー。
自分自身のソースに帰れている人を通して、自分をみてる。
「自分自身になりたい!集中したい!」と。
自分が自分に帰る必要性を思い出させてくれる人がみんな好きなんよ。
だから人にあこがれる、
人を求めるってことは、
裏には「あの人は自分自身(ソース)にかえれている」といううらやましさなので自分自身に帰ることが、最大の解決策なのかもしれん。
ちなみに、芸術家なり、経済人なり、成功したように見える人たちが精神を壊していくのは
自分自身に帰ることを、その対象パフォーマンス(歌、絵、ビジネス)においてはできるが、
いざ現実世界に生きる時に
外側の雑音なりで自分自身に帰ることができず、
超絶じぶんへの集中力が発揮されているきとと、他者の雑音が入ったときのものすごい振れ幅のGAPに苦しんだ結果だと思う
うまく集中できているときは評価もされるが、
集中できないとき、パフォーマンスも出なくて、とてつもない不安、疑心に襲われるんだろうな。
あの時の自分に帰れない!みたいな。
ゴッホも、三島由紀夫も、マイケルジャクソンも、最近だと山口くんも。
自分への集中力。
