上野動物園に初めてパンダが来たのは1972年のこと。
ある日のニュースでは、米国での反戦集会で、勲章を投げ捨てる若者たちを映していました。
その年か翌年の11月14日に、両親に連れられて上野動物園へ行きました。
なぜ11月14日かと言うと、その日は埼玉県民の日で、学校が休みだったから。
ちなみに埼玉県民の日が制定されたのは、1971年のことでした。
小学生だった私にとって、東京に行くと言うのは大冒険。見るもの全てが物珍しく、キョロキョロしていました。
パンダのカップル、カンカン(康康)とランラン(蘭蘭)。大人気でそこだけ人だかりがしていました。
やっと檻に近づくことができ、中を覗くと、2匹共寝ていました。周囲がこれだけやかましいのに。
しばらく見ていましたが、起きる気配はなく、子供心にガッカリでしたね。
パンダ以外に何の動物を見たのか、覚えていません。
上野駅の公園口を出て、道路を渡ろうとすると、ジーンズ👖を履いた髪の長い男性が、私たちの前を颯爽と歩いていました。裸足でした。
あぁ、ヒッピーだねと、父親が呟いたのを覚えています。ニュースで聞いたことはありましたが、実物を見たのは初めてでした。
せっかく来たので、上野公園をしばし散策。
今でもたびたび思い出すショッキングな光景は、戦争で手足を亡くした傷痍軍人の一団でした。
皆、兵隊さんの格好をし、アコーデオンやハーモニカを奏でており、何やら書いた大きな募金箱が置いてありました.
この傷痍軍人の一部は、どこも負傷していない偽者だったとか言う話もあるようですが、中には両足がなくて、台車に乗っている男性もいました。
寺島しのぶ主演の映画「キャタピラー」では、彼女の夫は戦争で両手両足を失ったと言う設定でしたね。
終戦から28年間、グアム島で隠遁生活をしていた元日本兵の横井庄一さんが発見され、帰国したのも1972年のことでした。
1974年には小野田寛郎さんが、フィリピンのルパング島から帰国しました。
その頃はベトナム戦争の真っ最中。
身体がバラバラになったベトコン青年の身体を米兵が持ち上げている写真や、メコン川を流れる夥しい数の死体などが、普段の生活の中で目に入って来ました。
ある日のニュースでは、米国での反戦集会で、勲章を投げ捨てる若者たちを映していました。
この勲章は、自らの意思に反して徴兵され、敵であるベトナム人を殺戮した功績として与えらたものだったのです。
あの頃は今より戦争が身近で、その恐ろしさも子どもながらに身に染みて感じていました。
今でもパンダのニュースを聞くと、あの頃上野やニュースで見た光景を思い出します。

