Every child is an artist. The problem is how to remain an artist once we grow up. (by Pable Picasso)

 

すべての子供はアーティストだ。問題は、大人になってもいかにアーティストであり続けるかだ。といった意味の言葉をピカソが残している。

 

アーティストとしての感性、発想・思考・表現の自由、あるがままの自分でいること…。大人になるにつれて奪われていく。

 

社会化のなせる業?それが大人になるってこと?

ルールやいわゆる常識に縛られること。こうあるべきから逸脱しないこと。

それってなんだか退屈じゃないか?排他的にならないか?息苦しくないか?

 

今こどもに関心を持っている。

なんらかの形でこどもに関わって行きたい。

イメージとしては、親でも先生でもない第三の大人の立場で子どもの言うことに耳を傾け、対話し、応援する、そんな立場の大人として。

どういう形があり得るのか、具体的に何ができるのかは、正直言ってわからない。

 

それを模索するために、様々な子ども支援団体の活動に参加してみている。

寄付したり裏方のボランティアをするわけではなく、まずは子どもをとりまく環境や課題や問題について学ぶ、それに対してどんな支援が行われているのかを学ぶ、ということをしている。

 

その中で、様々な角度や立場で関わっている人たちと繋がっていくということも積極的に行っている。

 

福岡テンジン大学の授業で知り合った人と偶然子どもフォーラムでも出会ったことを書いたと思う。その人に繋いでもらってあらたに知り合った人の呼びかけで行われたオンラインミーティングに参加した。そこからお誘いを受けて昨日「こども先生」という交流会に参加してきた。子育て真っ最中で、子どもに笑顔いっぱいの未来を引き継ぎたいという思いを胸に様々な活動をしている人がいる。子どものみならず、高齢者や障がい者との交流活動も行っている。

 

「こども先生」交流会では、こどもからもらう気づきや学びについてシェアして話し合うということをする。昨日は、1時間目の授業である家族の事例をシェアしていろいろ意見交換をし、2時間目の授業では「ここが変だよ、大人たち」というお題で数名のこども先生たちに指摘してもらい解決策をみんなで話し合った。ここではその内容をシェアしたい。

 

 

子どもってすごい。決して子どもだから、子どもの言うことなんて、みたいに軽んじてはいけない、侮れない存在なのだ。

 

ある家族の事例は、ゴキブリの話だった。お母さんはゴキブリが大嫌い。殺さないと嫌、でも殺すのも嫌、というよくあるパターン。かくいう私も。

そこで小学生高学年のお兄ちゃんに殺して!と頼む。お兄ちゃん嫌がる。けど、無理やり殺させる。それを見ていた弟が、クワガタもゴキブリも同じ命なのになんでゴキブリは殺すの?とつぶやく。

はっとするお母さん。言われてみればそうだ。ゴキブリは悪いもの、殺さなければならないもの、と決めつけていた自分。固定観念に縛られていた自分。

自分なりの「ものさし」を捨てて、物事を見て判断する必要があるのではないかと気付かされたという。

なにげない子どものつぶやき。それを受け止めて自分を振り返るお母さんも偉いと思う。

 

「ここが変だよ、大人たち」の授業では、5人のこども先生が疑問を共有してくれた。J先生は、支援級と普通級とで宿題の量や注意される頻度が違うのがおかしいと思ったそうだ。普通級の生徒たちの方が宿題の量も多いし、注意されることも多い。なんだか差別のような気がしてしまうのだそう。でも、どちらか一方に合わせるのは違う。ある大人生徒から、それぞれ選べるようにしてはどうだろう、あるいは宿題なくしちゃうという手もあるとの意見があがった。J先生はなくした方がよいとの意見だった。また、別の大人生徒からは、そもそも支援級・普通級と分けるのがいいのだろうかという質問があった。J先生はわけなくていいという意見だった。こどもたちにとってみれば、みんな一緒。大人のものさし(基準、常識、定義)をおしつけるのではなくみんな自由にすればいいんじゃない?

 

C先生は、ママやパパと一緒に公園に行って知らない子どもたちお友だちが遊んでいると、「向こうにお友だちがいるよ、遊んでおいで」というのが変だと思ったそうだ。だって会ったこともない知らない子なのに、なんでお友だちなの?という素朴な疑問。確かに、大人の場合だったら「あ、知らないお友だちがいる。」と言って近づいて「ねぇ、遊ぼうよ」なんてこと言うだろうか。言わない。当たり前のように口にして期待するその心は?考えたら変だ。

 

T先生はこの日最年少。ママと買い物に行った時の事。ママは、買いたいものがあってショッピングセンターに行ったのだけど、他の物に目が行って買ってしまった。その結果、お金が減って買いたいものが買えずにしょんぼりしてしまった。なんでしょんぼりしちゃうのかが不思議だったそう。それに対するT先生の解決策を教えてくれた。いっぱいおならして、自分ってバカだな~と笑い飛ばせばいい。次からはメモして行けばいい、とのこと。最高だね。

 

S先生は、大人たちが時々、子どもたちには寝ろ寝ろと言って寝かしつけ、自分たちは夜通し騒いでいることが変だと思ったそうだ。多分、大人って身勝手と感じたのだろうなぁ。大人の都合を押し付けている。そこで、大人生徒たちは考えた。一緒に騒げばいい。子どもだからと言って仲間はずれにするのはおかしいと。

 

この日最年長のO先生は、中々考えさせられることを疑問としてぶつけてくれた。

大人は、なぜいつも命令形で指図するのか。たとえば、ある日の予定について自分のスケジュールに合わせていついつこうしろ、ああしろ、みたいに言ってくる。だけど、子どもにも都合があるし、影響をうけるのだから、一緒に考えるというか話し合うべきだと思うのに、一方的に命令口調で押し付けてくるのはどうかと思う。

 

いや本当にね。その通りだね。

親(または大人)というだけで、逆に子どもだからという理由で、親の都合や考え、「常識」を押し付けることって多くないだろうか。まるで、それが絶対正しいとでも言わんばかりに。だから、わざわざ子どもの権利条約や条例みたいなものが必要になるのだ…と思いつく。良かれと思ってやっているつもり。(いや、時にはほんとに自分の都合だけ考えてるけどね。)

 

「意見を言い合う時は大人→子ども 上司→部下みたいに立場関係なく、相手の意見を受け入れた上で一緒に考えた方がいいと思います。」by O先生

O先生の言うとおり!話合えばいいの、対等に。

 

こども先生の疑問や意見を聞いて、これって大人同士でもやってるよね~。こども目線で物事を見直してすべての人間関係に応用すべき知恵が詰まってるな~と思った。

 

子どもってほんと侮れない。まだまだ心が柔軟、寛容、自由なんだな~。

我ら大人たち。いつからどうやってダメな大人になって、その上こどもをダメにしちゃうのかな。

 

何かがおかしい。