上野千鶴子さんの「おひとりさまの老後」という本を読んだ。
サブタイトルは「幸せに老いる方法教えます。」
どこでどう暮らすか、だれとどうつきあうか、お金はどうするか、(自分の)介護はどうするか、どう人生を終わるか(どんな死に方をするか)、などなど。
様々な情報や知識とともに、どう自分なりに考えて準備して終止符に備えるべきかみたいなことが書いてある。結論、一番大事なのは自分の在り方、生き方であると思う。具体的に判断、選択、決定して、行動にしなければいけないことは多々あるのだけれど、それらをするにあたって重要になる自分の価値観というか物事の捉え方というか、ぶれない軸が必要である。
しかし、実際の問題として考えた時、変化し続ける自分の生活や環境の中で、ましてや寿命がまったく読めない中で、様々なことを整理するのは難しい。定期的に変化に応じて再整理が必要となる。ネバーエンディングな感じがする。
とりあえず、問題提起として受け止め、動ける部分は動いてみて、そうでない部分はこれからの課題として捉えることにしようと思う。
新たな知識として得たものの中に「コレクティブハウス」というものがあった。
明確な定義ははっきりしない。いろんな人が空間を共有するという意味ではシェアハウスに似てるけど、一軒家に同居してキッチン・バス・トイレまでも共有するイメージではなく、それぞれ独立してすべての機能を備えるユニットに住みつつ、コミュニティエリア(キッチン・ラウンジ)を共有する集合住宅といったイメージ。賃貸用集合住宅として運営されているものが主なのかなぁ。まだまだ限られたマイナーな選択肢のようだけど、今後増えていってもいい暮らし方と思う。もうひとつの特徴は多世代を対象にしていること。そして、住人同士お互い様な感じでいろいろとサポートしあうことが期待される。シニアにとってはここ大事。頼れる若い世代との交流は必須な気がする。ところが、これが若い世代の負担になる可能性は大で、うまく機能するハウスに成り得るかは相当な試行錯誤と努力と忍耐が必要と思われる。
おひとりさま友だちが多い身としては、昨今話題にのぼることが多い「どこでどう暮らすか」問題。ほぼ全員が漠然と友だち同士で一緒に住めるハウス(グループハウス?コレクティブハウス?なんと呼べばいいのやら)を思い描いている。そんな場所を作ってくれる友人がいたら便乗したい!というあくまでも調子のよい夢物語。
そこでも必ず問題になるのが、同年代ばかりで集まっても行き詰るよね~というシニアの憂い。
最近生活に困っている学生の支援に関するニュースなどを目にする。小さな集合住宅で家賃の代わりに生活回りのお手伝い(シニアの手に負えないことなど)してもらうなんてありなんじゃないかと考えたりする。一人の食事は寂しいから、食事はコミュニティキッチンでみんなで、、、なんてのもいいんじゃないか。料理の得意な人が食事の用意をするとか。人懐こい愛猫も多くの人に囲まれて淋しい思いをしないですむかも。いやまぁ、夢物語の域を出ないな。
夢パークや子どもたちのおかれた状況を考えると、住居はおいといて、子どもも大人も自由にできる居場所作りが必要なのではないかという思いも頭をもたげてくる。
上記のハウスのコミュニティエリアをそんな居場所にするとか?妄想は広がる。
財力も才覚もない中、単なる妄想にしかならないのがちょっと残念だけど、考えるのは楽しい。いろいろ調べて可能性に思いを馳せるのも楽しい。
たとえ自分で何かできなくてもお手伝いできる対象があるかもしれない。
実は福岡テンジン大学の授業で一緒のグループになり、夢パの上映会でばったり出会った人が社会起業家であることがわかった。興味深い事業を手掛けている。コロナの最中に立ち上げた模様。いろいろ話が聴いてみたくてうずうずしている。
せっかく名刺をもらったので、勇気を出してメールしてみようかな。



