小諸市市民活動・ボランティアサポートセンター

 

「ゆめパのじかん」という映画を観た。

 

NPO法人 糸島児童クラブ による上映会があったのだ。

福岡県糸島市は、現在子どもの権利条例を制定しようと動いている。

そのことをより多くの市民に知ってもらい自分事として関与してもらうための活動として上映会を開催したのだ。糸島児童クラブは、子どもがほっとできる空間と時間を提供する「みんなの居場所」を運営している。無料で子どもが立ち寄り自由に過ごすことができるフリースペースである。

 

映画の上映と同時に、川崎市子ども夢パークの初代所長西野博之氏(認定NPO法人フリースペースたまりば理事長)による講演が行われた。

神奈川県川崎市は、2000年に「川崎市子どもの権利に関する条例」を可決し、2003年に同条例に基づき「子ども夢パーク」という施設を設立した。たまりばは、その施設の一角でフリースペースえんを運営し、2006年からは指定管理者として夢パークの全体の運営も行っている。

 

まずは、映画についての感想。

機会があったら是非観てほしい。子どもってすごいと思う。

自治体によっては、子どもの権利条例に反対する市議会議員がいるらしい。そしてその理由は、子どもの権利なんか認めたらわがまま言い放題し放題になる。は~~~~?それで否決になったケースもあるらしい。言葉がない。

夢パークではすべて子どもたちで考えて、話し合って、決めたり実行したりしている。遊具の発案・設計・製作。イベント店舗設計・建築・運営。小学生低学年でもちゃんと考えて、工具を使いこなし、立派に結果・成果を出す。それもイキイキとして。信頼して任せれば、子どもたちは集中して楽しみながら難題もこなしていく。

 

昔出会ったピカソの言葉を思い出す。

"All children are artists. The problem is how to remain an artist once he grows up."

「すべての子どもはアーティストだ。問題は、いかにして大人になってもアーティストであり続けるかだ。」

課題は、大人が自分たちの常識や尺度を押し付けることによって子どもたちの持つ感性や可能性を遮らないことではないだろうか。

 

西野氏の講演内容には知らなかったことや驚くことがいっぱいあった。

 

恥ずかしながら、子どもの権利条約について全く知らなかった。「児童の権利に関する条約」(the UN Convention on the Rights of the Child)は1989年に国連総会で採択された。日本ではそれを1994年に批准している。今では米国以外のすべての国が批准しているらしい。

なぜ米国は批准していないのか。批准すれば米国の子どもたちの最善の利益を決定する権限を国連に与えることになり、米国の主権が損なわれると主張する反対派がいるらしい。また、家族の私生活、特に親が子供を教育したりしつけをしたりする権利に干渉することを懸念する声もあるのだそう。条約には、子どもは親の所有物ではないと記している。西野氏は、日本のこととして、子どもを半人前・未熟者という意識がある限り体罰や虐待はなくならないと述べていた。

そもそも人権は誰にでも認められている守られるべき権利のはずなのに、わざわざ子どもの権利を特筆する必要があること自体がおかしいのではないか。

 

国として子どもの権利を認めてはいるが、これまでは各自治体の条例による権利の保護が必要とされてきた。憲法と子どもの権利条約に則り、2022年に「子ども基本法」が公布され今年施行された。これによって子どもたちの権利が有効に守られることになるのか。子どもを下に見る固定観念や社会的慣習を変えないと中々実態は変わらないような気がする。 

 

親からの圧力やおかれた環境に子どもたちがどれほどのストレスを感じているか。ゆとりも自由もない、子どもらしさを否定するような生活を強いられているか。ある程度認識はしていたが、実際は思っていたより深刻な状態のようである。

 

・いまだに成績・偏差値・学歴重視で、知識その他の詰め込みが低年齢化しているという事実。

保育園の運動会で短距離走のゴール前に鉄棒が並んでいて最後に逆上がりをさせられるのだそう。そこで逆上がりができないと、逆上がりができるようになるための家庭教師をつける親がいるのだそう。冗談のような本当の話。

そういえば私は逆上がりできなかったが、恥ずかしい思いはしたが大した問題ではなかった。社会に出てから全く必要としないスキルであった。

 

・小学校から高校までの学年で一番いじめが多いのは小学校1年生であるという事実。

ストレスの産物であるらしい。

 

一番自由で、感性豊かで、好奇心旺盛な年齢のはず。

反面、成長の速度に個人差があったり、多動症や過敏症などもある。いろんな理由から画一的な教育方法の押しつけに適応できない子どもだっているはず。そこには良し悪しも優劣もない。

 

ダイバーシティやインクルージョンが取りざたされていはいるが、実態はまったく進んでいないような気がする。性別、年齢、障がい、国籍などの属性に偏りがちだが、実は感じ方、考え方、価値観、在り方など、多様性はいたるところにある。個々人のありのままを受け止める姿勢が必要だと思う。

 

・コロナで不登校や虐待が増えたという事実。自殺も。

公共施設が次々に閉鎖されていく中、西野氏は、こういう状況だからこそ子どもたちの居場所を確保しておかないと彼らはSOSを出せないと市を説得して夢パークを開放し続けたという。

 

子どものみならず、人はみな居場所を必要としていると思う。

人が集う場所、みんなの居場所になれる場所が必要とされていると思う。

つまりは自由で開放的でありのままの自分を受け入れてくれるコミュニティだ。

そういう場所と関わりたい。

自分でそういう場所を作るのはややハードルが高いけど、でも同じ志の仲間に出会えたらまったく可能性がないわけでもない。かも。。。