【文京区】円乗寺 | ぼっちあるき

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歩きながら考えてみた

円乗寺へ向かって中山道を歩いています。

 

 

こんな一等地に広々とした駐車場があるのも気になるけど、マンションが微妙な間隔で建てられているのも気になります。日照権の確保だろうか。高度成長期に持て囃された団地は、高齢化と外国人居住者の問題が顕在化していますが、マンションが辿る運命も同じかもしれません。

 

 

中山道から旧白山通りへ続く浄心寺坂を下ります。お七のお墓がある円乗寺へ至る道なので、於七坂とも呼ばれている坂です。なぜか円乗寺まで謎の少年が付いてきました。たぶん暇を持て余していたんだろうと思います。僕も子どもの頃に、新聞配達のお兄さんを追いかけたりしてましたから。

 

 

2019年に改築されて、いかにも都心のお寺な風情になった円乗寺。こういう造りのお寺って、なんか企業訪問に似た感じで入りにくいんですよね。

 

 

「う~ん。どうしよっかなぁ」と思って周囲を見渡してみたら堂宇がありました。良かった。どうやらお七のお墓のようです。これならマスク云々言われることもないし、余計な気を遣わずに済みます。

 

と言いたい所ですが、実は真ん前にずっと車が停まっていました。駐車場は近くにあるので、一時停車かと思います。しばらくして人が来たのですが、助手席に乗り込んだまま動きません。仕方がないのでずっと待っていました。もう日没が近いし、後回しにするほど時間の余裕はありません。

 

だいぶ経ってからドライバーがやって来ました。どうやら檀家の夫婦のようです。しかし車に乗ってからアイドリングで動かない。暖機運転だろうか。そもそもここに車を停めていいのか?まぁそんな事言っても仕方ないので、さらに待たざるを得ません。

 

10分は待ったでしょうか。やっと出て行って、見学出来るようになりました。この道はここで袋小路になっていて、車が1台停まると人が通るのもやっとの幅なのです。せめてちょっと前へ進めてくれれば良かったんですけど、そもそもこういう行為をする人にそんな気遣いは期待できません。愚痴になっちゃうのでこの辺で。

 

 

お墓が三基並んでいます。右は女形の歌舞伎役者五代目岩井半四郎がお七を演じた縁で建立。中央は住職が供養のために建てたもので、左は地元の有志が270回忌に建てたものです。ただ、火付という重罪で火刑になったお七の亡骸が納められているかどうかは不明です。

 

円乗寺はお七が天和の大火の際に避難したお寺で、吉三郎と出逢った場所とされています(※諸説有)。お七の家がこのお寺の檀家だったということでお墓がありますが、実際は火炙りにされた後、見せしめとして三日三晩晒されていたのです。

 

こちらを訪れる人も多いと思いますが、ほうろく地蔵にたくさんの千羽鶴や焙烙(素焼きの皿)が置かれていたのを見ると、お参りする方々はお七の苦しみを少しでも和らげてあげたいと願っているのでしょう。

 

16歳の少女を火炙りにするという残酷な事実は、西洋の魔女狩りを連想させる痛ましい出来事として、人々の記憶に焼き付いていくでしょうね。二次大戦の空襲や原爆も同じです。そして今ロシアが行っていることも。本当に人間って、学習や成長をしない愚かな生き物ですね。

 

 

大円寺に続いて、ここにも庚申塔がありました。今日はお七が導いてくれているようです。なんだかお七と少し心が通じたような気がして、ちょっと嬉しくなりました。彼女の恋心が冥界で成就していることを祈ります。時代はいつであれ、恋する心は共感され続けていくでしょう。

 

次回は、都営南北線の白山駅近くにあるお寺を訪ねます。それではまた!