【東久留米市】南沢氷川神社 | ぼっちあるき

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歩きながら考えてみた

南沢湧水群の守護神を起源とする南沢氷川神社を訪ねます。

 

 

鳥居の柱が切替になっていますね。藁座にしては長いような気がしますけど、木製なので鉄で補強したのでしょう。ソックスを履いたようなユーモラスな姿になっています。

 

 

社額には氷川大明神と揮毫されています。祭神は須佐之男命と櫛名田比売命、そして大国主命なので、もちろん大明神なんですけど、社額に大明神と記されているのは珍しいですね。大明神は仏教由来の言葉と解釈されており、明治の神仏判然令の影響で、これを掲げる神社は少なくなっています。

 

 

神社のすぐ傍を湧水が流れていきます。氷川神社の前身は湧水の守護神ですから、この地に暮らした人々が水の恵みに感謝していたことが伝わってきます。

 

 

神社やお寺でも最近よく見かけるようになったQRコード。YouTubeへのリンクになっているものは初めて見ました。バッテリーが消耗するので視聴はしませんが、神社も色々と工夫をしています。お賽銭を電子マネーにしている神社もあります。それが主流になる日も遠くないでしょう。そうすれば、「銀行が両替で手数料を取るから1円玉は止めて」なんてことを言う神社もなくなりますね。

 

 

花手水です。神職さんが常在している証です。お寺ではちょっとしたブームになっていて、インスタでもよく見かけます。コロナコロナで手水に蓋をしている所も多々ありますが、こうして日常を取り戻した光景は嬉しいですね。

 

 

「夕焼け小焼けで日が暮れて~♪」のメロディが流れてきました。拝殿にも夕陽が射しこんでいます。こうして神社の境内で童謡に耳を傾けていると、それだけで非日常感に浸れます。それは即ち現状が喧噪に溢れていることを意味します。

 

人と密に関わるのは好きじゃないけど、人の中に埋もれている方が関わりを薄く保てるという現状。こういう場所に引っ越せば気持ちが落ち着くように思いがちですが、人が少ないと関係性は密になるものです。人口と人間関係は反比例なんですよね。今はその均衡点を模索している感じです。

 

次回は湧水の流れを遡って落合川へ向かいます。それではまた!

 

P.S.

今日はヘアカットの日です。いつもの語呂合わせではなく、明治5年(1872)に東京府が「女子断髪禁止令」を出した日が4月5日なのです。前年に散髪脱刀令(断髪令)が太政官より出されており、「散切り頭を叩いてみれば 文明開化の音がする」と詠われるような状況になり始めていました。当時の女性は皆髪を結っていたのですが、相撲取りと同じ鬢付け油を使っていたので、洗髪に半日もかかっていたそうです。だからまぁ有体に言えば、あんまり髪を洗ってなかったんですね。そのため喜び勇んで髪を切った女性もたくさん現れたのですが、「長い黒髪こそ女性らしい姿だ」と世間の猛反発に遭いました。いやぁ今だと考えられないですね。その価値観の押し付けこそが猛反発を受けそうです。ま、それはさておき、そんな経緯で、女性は届け出をしないと髪を切ることが許されなかったのです。ほんの150年前のことなんですよ。今という時代が、あまりにも「新しさ」を求め過ぎなような気がするんですけどね。