【荒川区】石浜城址公園 | ぼっちあるき

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歩きながら考えてみた

橋場不動院から明治通りに出て、白髭橋までやって来ました。

 

 

橋を渡ると墨田区で、明治通りを渡ると荒川区です。

 

 

その白髭橋の袂に、聖蹟碑が建っています。白髭橋を架ける際に、ここに建っていた對鴎荘(たいおうそう)を明治天皇が訪れたことを示す碑です。

 

對鴎荘は太政大臣だった三条実美(さねとみ)の別荘で、征韓論で戦争をも辞さぬ構えの西郷隆盛と岩倉具視等との政府内の対立に心労を重ねて倒れた実美が、ここで療養していました。即ち、明治天皇が実美のお見舞いに来た場所ということです。

 

對鴎荘は、昭和三年(1928)に多摩聖蹟記念館(多摩市)へ移築されました。その後人出に渡り料亭として営業するも、老朽化によって閉店。現在、建物は残っていません。

 

 

明治通りを渡って、石浜城址公園に来ました。石浜城は千葉氏(室町期の武将)の居城でしたが、この場所にあったという確かな証拠はありません。そのせいか、南千住三丁目公園という別名も付けられています。

 

 

いやそれは難しいかと。子どもは家でゲームでもしてろってことでしょうか。てか、いつまで騒ぐんでしょうね。「気を緩めるな」って、なんか体育会系のノリに感じます。子どもは重症化しないという事実があるのに、ワクチン接種にやたら前向きな国の姿勢にも嫌悪感を抱いています。

 

 

石浜神社の参道入口です。空が広くて気持ちいい場所です。

 

 

参道に立ち入ってすぐの所に鳥がいました。傍には、「名にし負はば いざ言問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」という、在原業平が詠んだ古今和歌集の歌が掲示されています。業平が当地を訪れ、隅田川を渡る際に詠んだ歌とのことで、都鳥とはユリカモメを指しています。

 

業平の和歌に歌われたユリカモメ(都鳥)は、東京都の鳥に指定されています。しかし実際にはミヤコドリとユリカモメは別の鳥です。とはいえ、對鴎荘もユリカモメあっての名前ですから、事実は事実として、「そんなことを言っちゃあ野暮ってもんよ」と先祖から叱られるでしょうね。

 

ちなみに歌自体は、「都(京)の名を負っているなら、京にいる片想いの人はどうしているか答えてみよ」という、厨二病丸出しのような歌です。また、ここで「言問はむ」と詠まれたことから、言問通りや言問橋、あるいは言問団子といった名前が現在も残っています。

 

次回は境内を探索します。それではまた!