【西東京市】東伏見稲荷神社 | ぼっちあるき

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歩きながら考えてみた

東伏見稲荷神社にやって来ました。

 

 

伏見稲荷は京都にありますが、関東の信者達に熱望されて、昭和四年(1929)にこの地に勧請されました。「東の伏見」は、そのまま東伏見という地名にもなっています。西武新宿線の駅名も、上保谷から東伏見になりました。

 

 

鮮やかな朱色が映える神門。東伏見稲荷は、皇居外苑等と並んで新東京百景に選ばれています。

 

 

鳥居や神門も立派ですが、お勧めスポットは本殿裏手にある境内社です。

 

 

案内図を数えてみると十九社あります。これはただならぬパワースポットですね。さっそく境内社を巡るお塚参りへ行ってみましょう。

 

 

入口から千本鳥居が迷路のように張り巡らされています。少し頭を下げなければ潜れないので、先を見通せず、ちょっと不謹慎かもしれませんがラビリンス感満載です。

 

 

数ある境内社の中に、お狐様のミステリーサークルを発見。中央に立つと何かが起こりそうな予感。意識だけ「時空を超えた自分」に乗り移るタイムリープならしてみたいけど、テレポーテーションして見知らぬ土地へ飛ばされたら嫌なので、スルーしておきます。暗闇の真夜中に来たら、ホントに何か起こりそうです。そのせいか(?)午後五時で閉門になっていて、立ち入ることはできません。

 

ところで、「時空を超えた自分」を夢で見ることはありませんか。正夢と呼ばれるものに近い感覚で、現実ではデジャヴのような体験。あり得ないシチュエーションが展開されている渦中に自分がいて、なぜかそれを客観視しているような感覚。「そんなはずはない」という状況もままあります。それはうつつ(現実)では起こらないかもしれないけど、パラレルワールドでは起こり得ることなのかもしれない。

 

僕は夢って「脳のデフラグ」(記憶の断片の再構築)だと思っているのですが、そもそも記憶は回路として刻まれており、そこにパルス(電気信号)が流れなければ蘇りません。高齢になると直近の記憶(昨晩何食べたか等)が薄れることが知られていますが、パルスが流れた回数が少ないからだと思うんですよね。何度もパルスが流れた古い記憶は、回路にも刻まれていると思うのです。

 

話をややこしくしてしまいましたが、記憶の再構築と考えると、夢のストーリーはあながち夢想とは言えないと思うのです。「じゃあその記憶ってどこから来たの?」という疑問の解答が、数多あるスピリチュアルな世界の話に繋がっているのかもしれません。人間が認識する現実は、そのほとんどが視覚によるものなので、「目に見えない」世界って、案外普通に存在しているのかもしれませんよ。

 

 

こうしてたくさんの鳥居を潜っていると、不思議な感覚に陥ります。大願成就のお礼として建てられる千本鳥居ではありますが、「目に見えない」祈りが、こうして見える形になっているからなのかもしれません。

 

 

最後は境内から見た大鳥居の写真を。石神井川の流れと地域住民を見守る凛々しい姿ですね。

 

次回は、青梅街道沿いにある庚申塔を見に行きます。それではまた!