大泉寺の参道沿いにあった神社巡りを終えて、本堂へと向かいます。
山門の手前には総門があり、左手の小高い丘の上には弁財天が祀られていました。
総門から一般道と別れて緩やかな坂を上り、山門に到着。華美な色が一切なく、陰影が映える景色は、「これぞ日本」という感じですね。
山門を潜ると、供養塔からこちらを覗いている達磨さんと目が遭いました。だるま市等で見かけるだるまさんは、「9年間ずっと洞窟の壁に向かって修行をしていたら手足が腐ってしまった」という伝説に基づいています。たぶん赤い衣を身に纏って微動だにしなかっただけだと思いますが、レジェンドのエピソードが後付けなのはよくある話ですね。
大泉寺の開基は、この地に居住していた小山田有重です。有重は、この辺り一帯の小山田荘を本領をしていた平安末期の豪族です。小山田氏と言えば、武田信玄の二十四将に数えられる小山田信茂が有名ですが、血縁があったか否かは定かではありません。
大泉寺は昭和四十五年(1970)に火災に遭っており、現在は鉄筋コンクリート製になっています。その時に造られたのでしょうが、全自動の鐘楼は珍しいですね。
小山田城址と刻まれた石碑。城址も残されているようですが、立入禁止区域になっていました。
小山田高家の顕彰碑。新田義貞に仕えていた高家は、湊川の戦い(1336年)で馬を失った義貞に自身の馬を譲って逃がし、身代わりとなって戦死した武将です。境内には、高家と小山田氏の祖である有重・行重親子のものとされる宝篋印塔も残されています。
次回は都道を引き返して、鶴見川の源流へ向かいます。それではまた!