自分の感情に責任を持つ
最近「怒り」という感情をテーマに
書いていました。
今日もその流れで気づいたことを
書きたいと思います。
最近職場に新しいバイトの
人が入ってきました。
僕たちの仕事の補助を
してもらう仕事です。
その人は50代くらいの
人で僕よりもずいぶん年上です。
実は僕はその仕事ぶりにちょっと
イライラしていました。
「ちゃんと言ったことができないなあ…」
「人の話しを聞かないなあ…」
しかし僕よりも先輩の人が
あまり何もおっしゃらないし
さほど怒ってもいないようなので
僕が何か言うのもなあ…
自分の心が狭いのか…
などと考えていました。
もちろん僕もイライラして過ごしたくはありません。
しかしどうもいちいちイライラしてしまう。
僕は今
「どうしたら自分はもっとイライラせずに
怒らずにいられるだろうか?」
という質問を自分に投げかけています。
幸い今日も少しの気づきがありました。
以前の職場で僕が目をかけている後輩が
いたのですが、
その彼のことをふっと思い出しました。
その瞬間にわかったことがあります。
「同じことを彼がしても僕は怒らないな」
ということです。
そうなんです。
僕の頭の中では
相手のことを
言ったことをちゃんと実行しない「から」
人の話しをちゃんときかない「から」
だからイライラすると思っていたのですが
違いました。
もし相手のその「行動」が気に入らない
なら誰がやっても許せないはずです。
しかし人によっては笑って流せるということは
僕は人を公平には見ていなかったわけです。
もちろん人間なので人の好き嫌いや
相性といったものはあります。
それにしても相手を過度に悪くとらえていたんです。
「人の話を聞いていない」など
一見明らかにマイナスに見えそうな要素を
上手に探してきていたわけです。
いやなやつですね(笑)
しかし会ったばかりの人なのでそこまで「嫌い」
という意識はありません。
じゃあなんだろう?
と考えてみると
僕の頭の中に
「僕らにとっては助手で、しかも僕より後に入ってきた人なんだけど
年はうんと上かあ、ちょっとやりにくいなあ。
若い素直な子が入ってきてくれた方がよかったなあ」
という考えがあったことに気が付きました。
それってあまりいい考え方とはいえないですよね。
年上でも素直でしっかりできる人もいれば
若くても頭が凝り固まっていて人の言うことを素直に聞けない人もいます。
レッテルを貼っているようで
自分ではあまり認めたくない感じ方です。
なのでそこはあまり意識しないようにして
その人たちの「行動」を
僕の怒りの「原因」
とみなして
批難していたわけです。
自分の外部で何かが起こり、その時
自分の感情が揺り動かされた場合
ついそのことを「原因」と考えたくなります。
しかし実はそのとき起こっていることは
「きっかけ」ではあっても決して「原因」
とは言えないということです。
そういえば河合隼雄さんも
「イライラするときは自分の中に何か見通せていないものがある」
とおっしゃっていました。
もちろん相手の行動があきらかな犯罪行為であるとか
誰がやったとしても許せない場合は別です。
批難すべきこともあります。
しかしある人の行動がとても許せない気持になったとき
同じ行動を自分の好きな人がやったとしたら…
そう考えてみて「許せる」
と思うならその時は
相手でなく自分の内面に向き合う方が
問題は解決に向かうかもしれません。
「自分の感情の責任は自分(の内面)にある」
ということです。
ただ間違ってほしくないのは
「自分に責任がある」=「自分が悪い」ではないということです。
誰が悪いと考えるのでもなく
見通してない「何か」を見つけようとするということです。
すぐに見つからない場合でもあせらないことです
少なくとも誰も悪くはないんだと考えるだけでも
少し嫌な自分から抜け出せます。
こんなことばっかり書いていると
いつも怒っている人みたいですが(笑)
一日のほとんどは楽しい気分ですごしているんですよ。
恐れられないよう念のため☆
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