駅の階段を駆け上り、急ぎ足で改札を抜ける。
電車が上手い具合に来てくれていることを祈りながらホームへと降りて行ったが、無情にも発車していく電車を僕は息を切らせながら見送る事となった。
(くそっ!)
思わず心の中で悪態をついた。
次の電車が来るまでたかだか5,6分のことだったのだが、この時の僕には無性に長い時間に感じた。
電車を待っている間に美沙にメールを返そうと携帯を取り出した。
メールを打つ手が震えたのは、ホームまで走ってきたことによる息切れのせいだけではきっとなかったと思う。
【大丈夫?すぐ帰るから、待ってて。】
そこまで打って僕は手を止めた。
しばし考えた後、一度全ての文字を消してから打ちなおした。
【すぐ帰るから、待ってて。
今から電車のるから、20分くらいで着く。】
(大丈夫?って・・・。大丈夫なわけないだろ。)
こんな時どのような言葉をかけてあげたらいいのか僕はわからず、わからない自分に腹が立ち、情けなくて仕方なくなった。
やっと来た電車に乗り込んだ僕は、五つ先の自分が降りる駅までずっと俯きながら携帯を見つめていたが、結局美沙から返信のメールがくることはなかった。
「ただいま」
2DKのこじんまりした我が家へと辿り着いた僕は、勢いよく扉を開け放ち、美沙と優希へ帰宅したことを知らせた。
「おかえりー!」
優希が元気よく僕のただいまに応えた。
「お帰り。お疲れ様。」
美沙は僕が思っていたよりずっと落ち着いており、いつも通り労いの言葉を僕にかけてくれた。
「お・・・お義母さんは?あの後なんか連絡あった?」
声が上ずってしまう自分をまたもや情けなく思う。
「うん。
彩香もお父さんもちょっと混乱してるし、病院にいるからなかなか連絡とれなかったんだけど、
手術はもう終わったんだって。
大腸は全部摘出して、まだ詳しく調べてないからわからないらしいけど、今のところ転移もなさそうだって。」
「そっか・・・。」
美沙のいつもと変わらない喋り方と、その内容に思わず安堵のため息がでた。
「でもね、お母さん本当に異常なくらい我慢してたみたいで、もう体力が全然ないんだって。
だからこのまま意識がもどらなかったら・・・危険かもしれんって。」
「そんな・・・。でも転移はしてないんでしょ?てことは意識さえ戻れば全然大丈夫ってことじゃ?」
「うーん。わかんないけど・・・そう願いたいよね。」
大丈夫だよ、きっと大丈夫。と口をつきそうになった言葉を僕は飲み込んだ。
なんの根拠もない、ただの僕自身の願望だ。それは。そんな無責任なこと言っていいのか?
それとも気休めでもいいから、少しでも彼女を元気づけたり、勇気づけたり・・・何て言うか・・・もっと必死に彼女に踏み込んでいくべきなのか?
どちらが正しいのかわからない、だから僕は言葉を飲み込み黙る事しかできなかった。
「・・・とりあえず、明日にでもすぐに帰ってあげなよ。
状況次第で俺も週末広島に行くよ。」
「うん、でも明日は優希の幼稚園の説明会があるんよ。
一度しかやらないっていうから絶対行かなきゃならんし・・・。
だから明後日帰ろうかな。」
「そうか。俺も明日会社休めないから代わってあげられんしなぁ。
ごめん。」
「いやいや。しょうがないって。
それより、週末無理しなくてもいいからね?
よっぽど容体が悪くなったらあれだけど・・・。」
「うん。まぁお義母さんの容体と、仕事次第かな。
もし仕事早くあがれるようだったら、金曜日の仕事終わり次第そっち向かうよ。」
話している内にやはりいつもより美沙に元気がないと感じた。
母親が癌で倒れたのだ。当然のことだ。
僕は何をしてあげられるのだろうか。
優しい言葉をかけてあげたりとか、優しく抱きしめてあげたりとか・・・?
彼女は僕に何をして欲しいと思っているだろう。
・・・あれ?
どうしよう。わからない。
彼女が僕に何を望んでいるのか全くわからないことに愕然とした。
事務的な会話をして今後の予定を立てて終り?
それが夫婦というものなのだろうか?
いつからか僕は『夫婦』という関係を日々淡々とこなしているだけになっていたのかもしれない。
僕は仕事が忙しくなり、美沙は僕の奥さんというより"優希のママ"という立場のほうが強くなったから。
だから今、僕は彼女の心にはいっていくことが無性に恐くて仕方なくなってしまっていた。
#4へ続く