僕は物心ついたときには施設にいた。


両親の顔も知らない。


生まれた時から施設にいる理由も知らない。


僕が両親から与えられたのは名前だけ。


“遠野 要(かなめ)”


皮肉なものだ。


僕をもっとも必要としてくれるはずの人間が僕にはいない。


僕はきっと・・・要らない人間。







施設の園長先生は僕にとってはおばあちゃんのような人で、僕のことをとても愛してくれた。


たぶん僕が人の道を逸脱しなかったのは彼女のおかげだろう。


自分を否定し暗い感情に支配され続けている僕の心に灯る唯一の光だった。


でも園長先生にとってきっと僕は施設の生徒の一人。


甘えちゃだめだ。傷つくのは自分だ。


そんな後ろ向きな考えで僕は施設で誰とも慣れ合わず独りで生活していた。





 僕が小学校3年生の時、高校生くらいのお姉さんが施設にやってきた。


この人も何かを抱えているのだろうか。


漠然とそんなことを思ったが、さして興味もなく相変わらず僕は自分の殻に閉じこもっていた。


お姉さんが入園してきてしばらく経った時、不意に声をかけられた。


「あなた・・・とても暗い色してるのね。」


感情も抑揚もないか細い声だった。


「え・・・?」


何を言ってるんだろうと思いちらっとお姉さんの顔を見た。


「お姉さん・・・目が見えないの?」


お姉さんの顔を見た僕だったが、彼女と目が合うことはなかった。


その目は固く閉ざされていたから。


「そうよ。見えない。」


「・・・暗い色って何?」


「・・・あなたの心、とても苦しそうで、泣いているみたい。
・・・あなた、とっても辛いのね。」


「・・・!」


なぜだろう。そう言われた瞬間僕の目からは大粒の涙がこぼれていた。


「・・・私には何もできないかもしれないけど、涙が枯れるまで泣くといいわ。
傍に居てあげることくらいならできるから。」


別にこの人に心を許したわけじゃない。


だけど僕はお姉さんにしがみついて大声をあげて泣いた。


まるで今まで抑えていたものを全部吐き出すように。


お姉さんは何も言わなかった。


黙ってただ僕をその細い腕で抱きしめてくれていた。






その一件以来、僕はお姉さんと一緒にいることが多くなった。


とても居心地がよかったから。


お姉さんは多くを語る人ではなかった。


一緒にいる時も会話はほとんど無く、ただ同じ空間に居るだけ、そんな感じだった。


ある日のことだった、僕は唯一の趣味とも言えるお絵かきをしていた。


ふとお姉さんが口を開いた。


「絵・・・描くの好きなの?」


「うん。僕は生まれた時から独りだったから、いつも独りで遊んでた。
園長先生が僕にスケッチブックとクレヨンをくれたんだ。」


「そう・・・。」


少し間をおいて再びお姉さんは口を開いた。


「ねぇ。私を描いてみてよ。」


「え?でも・・・僕、人を書いたことなんてないよ。
それに描いたとしても・・・お姉ちゃん見えないじゃない。」


「・・・わからないわよ?もしかしたら見えるかも。」


そう言ってお姉さんはふっと微笑んだ。


出会って初めて見たその微笑みに僕はどきっとした。


「・・・わかったよ。描いてみる。」


絵は好きだったが、別にうまいわけではなかった。


それでも僕は一生懸命描いた。


描いたってお姉さんが見ることはできないのに。


完成した絵はやっぱりとても上手とは言えないようなものだった。


「お姉ちゃん。できたけど・・・あんまりうまく描けなかったよ・・・。」


「どれ?」


お姉ちゃんが手を差し出してきたので、その手にスケッチブックを握らせた。


「・・・やっぱり。
見えたよ。
とても・・・とても暖かい色してる。
要くんの描く絵には命が宿るのね。」


どういうことかわからなかったけど、そう言った後に僕へと向けた笑顔。


僕はお姉ちゃんの事が大好きになっていたことに気付いた。


なんだかとても大事なもの・・・宝物を手に入れたようなそんな気持ちになった。





それからの僕はとても明るくなったと思う。


相変わらずお姉ちゃん以外の人には自分の本心を見せるようなことはできなかったが、それでも前よりも学校は楽しくなったし、施設でも独りでいることが少なくなった。


目の見えないお姉ちゃんの手を引いていろいろ出かけたりもした。


あまり遠くへは行けなかったが、近くにある公園をお姉ちゃんはとても気に入ってくれた。


ずっとお姉ちゃんと一緒にいれたらいいな。


いつしかそんなことを考えるようになっていた。


だけどそんな幸せな時間も長くは続かなかった。


ある日の夜遅くトイレへと起きた僕は、お姉ちゃんと園長先生が話しているのを聞いてしまった。


「来年、本来だったら高校を卒業する年です。
これ以上園長先生にご迷惑をかけられません。
だから・・・。」


「そんな・・・いいのよ。
いつまでだって居てくれて・・・。」


え・・・?


どういうこと?



お姉ちゃんは静かに首を振る。


「自分でこれからどう生きていくのかを決めなければなりません。
いつまでも園長先生に甘えててはいけないと思うんです。
だから・・・来年ここから出ていきます。」



ガタッ。


僕はショックで思わず音をたててしまった。


「・・・要くん?」


お姉ちゃんは振り向き僕の名前を呼んだ。


「いやだ・・・いやだよ!
なんで、なんで出てくなんていうんだよ!
お姉ちゃんも僕のことなんて要らないんだ!
僕なんてやっぱり誰からも必要とされないんだ!
お姉ちゃんなんて大嫌いだ!」


僕は真っ白になった頭で感情のままにそう叫ぶと、施設の外へと向かって駆け出した。


「要くん!」


園長が叫ぶ。


僕はがむしゃらに走り続け、気がつくといつもお姉ちゃんと来ている公園に居た。


とぼとぼと歩き公園のベンチに座る。


上がっていた呼吸が整うと、徐々に冷静になっていく。


涙が流れる。


大嫌いだと叫んだ時のお姉ちゃんの顔・・・。


焼き付いて消えない。


僕は大好きなお姉ちゃんを傷つけた。


きっとお姉ちゃんは僕のことを嫌いになる。


もういいや。


僕が存在する理由なんて要らない。


一人ぼっちでうまく生きてける。


でも・・・お姉ちゃんからもらった大切なものは何も残らないのかな・・・。


そう思うと悲しくなってまた涙があふれた。


違う・・・違うよ。


お姉ちゃんと一緒に埋めた記憶は僕を支えてくれる勇気だ。


謝らなきゃ。ちゃんとお姉ちゃんに伝えなきゃ。


そう思い立ち上がった時だった。


「要くん。」


不意に声をかけられ、びっくりして声の先を見る。


「お姉ちゃん・・・!」


そこにはお姉ちゃんが少し息を切らせて立っていた。


「危ないよ!こんな真っ暗なのに一人で来たら・・・!」


「ううん。大丈夫。
ごめんね、要くん。
私、あなたの傍に居てあげるって約束したのにね。」


「違うよ!謝らなきゃならないのは僕なんだ。
お姉ちゃんごめん・・・!
僕はお姉ちゃんに大切なものいっぱい貰ったのに・・・。
嫌いだなんて言って・・・傷つけてごめんなさい・・・!」


「いいの。傷ついてなんていないわ。
あなたのこと嫌いにもなってない。
これからも一緒にいてあげられるわ。」


「・・・え?だって来年でていっちゃうんでしょ?」


「園長先生がね、よかったら施設の職員として働かないかって。
そうおっしゃってくれたの。」


「うそ・・・。本当に?」


「ええ。そこまで甘えるわけにはいかないって断ったんだけど、別に同情して言ってるんじゃないって。
前々から考えてたっていうの。
あなたには人を癒せる力があるって・・・。」


少し照れたようにはにかむお姉ちゃん。


嬉しかった。嬉しくて涙がこみ上げた。


僕はたまらなくなってお姉ちゃんの胸に飛び込んだ。


突然飛びつかれて、少しよろけたお姉ちゃん。


だけどしっかりぎゅっと抱きしめてくれた。


お姉ちゃんと一緒に辿りついた強さの答え。


僕はそれをずっとこの手の中に掴んで離さない。


お姉ちゃんが僕を救ってくれた。


これからは・・・僕がお姉ちゃんを護っていく。


星と月に照らされて伸びた重なる二つの影。


涙で滲んだその影を見つめながら僕はそう誓ったんだ。