私が小学校の頃、父親は自殺した。
理由は母親の男癖の悪さ。
浮気を隠そうともせず、とっかえひっかえ男を弄んだ。
超が付くほど真面目でお人好しだった父親は、そんな母親のせいで日に日にやつれていき、限界を迎えたその日、遂に自らの手でその人生に幕を降ろした。
発見したのは私。
学校が終わって家に帰り扉を開くと、そこには首を吊り絶命した父親がぶらさがっていた。
私は微かに揺れる変わり果てた彼の姿を呆然と見つめながら、やけに冷静に思っていた。
父親はどうしてあんな女なんかと結婚したのだろうか、と。
母親はその後も変わらず、と言うよりも今まで以上に男遊びに拍車をかけた。
毎晩違う男を家に連れ込んだ。
小学生の私がいることなど全く構わずに行為に及んでいた。
私は毎回押入れの中で布団にくるまり何も見えないように、何も聞こえないようにした。
地獄だった。憎かった。父親を殺した母親が。
中学生になると母親が家にいることは全くと言っていい程無くなった。
いつ帰って来ているのか知らないが、学校が終わり、家に帰ると机の上に無造作に現金だけが置かれていた。
そのお金で私は毎晩コンビニやスーパーで弁当を買ってきた。
電気は付けずに真っ暗な部屋で、感情のない暗い瞳でひたすら闇を見つめながら食物を口に運んだ。
水嶋 結。それが私の名前。
ただひたすら祈る。
この名前を付けたのがあの女でないことを。
中学を卒業した日、もちろん母親は卒業式に来なかった。
現金だけはいつも机の上に置いてあったのだが、この日はじめて机の上には何ものっていなかった。
まぁいつも多めに置いてあったので、かなりの金額を私は貯蓄していた。
特に気にもせず、貯めていたお金で食糧を買った。
しかしその日からもう二度と机の上にお金が置かれる事は無かった。
これまで散々な扱いをされてきたくせに、私はその事実に気が付くまでかなりの時間を要した。
母親に捨てられたという事実に気付くまで。
住んでいたアパートは引き払ったようで、早々に追い出された。
高校への進学は諦めた。
誰か周りの大人に助けを求めればよかったのだが、私はそれをしなかった。
何もかもがどうでもよくなり、私は毎日夜の街をあても無く彷徨っていた。
幸い、数年間に渡って貯めてきたあの女のお金があったので、しばらくはネットカフェなどで夜を越す事が出来た。
しかしそんな生活を長く続けることができるわけもなく、数ヵ月後には貯蓄も底を尽きかけていた。
これからどうすればいいのか。
私は夜の街に溢れる男を餌にすることにした。
認めたくはないが、器量が良いのはあの女の娘だからなのか。
いとも容易く男は私に釣られた。
酒の入った男を狙い、声をかけホテルに連れ込む。
甘ったるい声で先にシャワーに入るよう促し、その間に財布から金を抜き取りすぐに逃げ出す。
そうやって生きる金を調達していた私だったが、ある時下手を打ってしまった。
回数をこなし慣れてきてしまったせいで、油断が生まれてしまったのだろう。
ホテルからでて、盗んだ現金を数えながら歩いていると、後ろから叫び声と共に半裸の男が追いかけて来たのだ。
どうやら出ていくときに扉の閉まる音が響いてしまったようで、気付かれたらしい。
私は走って逃げたが、怒り狂った男との差は次第に縮まっていく。
もう・・・ダメかな。
呼吸が苦しくなり諦めかけた時だった。
私と半裸の男の間に割り込む人影。
「どうしました?」
息切れして声がでない私と鬼のような形相の男に挟まれたその人は、明らかに異常な状況にも関わらず、驚くほど穏やかな声でそう尋ねてきた。
「そ、そいつが!同意の上でホテルに行ったのに!俺の財布から金だけ抜き取って逃げやがったんだ!」
叫ぶ半裸男。
しまった。息切れして何も言えず、先に喋られてしまった。
見るからに人の良さそうなこの男なら、いくらでも被害者ぶって騙せたのに。
「・・・そうですか。じゃあこれで勘弁してあげてくれませんか?」
そう言うとその人は半裸男に自分の財布から一万円札を数枚取り出し渡した。
「そ、そういう問題じゃねぇだろ!」
「・・・お願いします。」
そう言って深々と頭を下げた。
なんなんだ、この人は。
見ず知らずの私の為に頭を下げているの?
悪いのは私なのに、どうして何の躊躇もなく金を渡せるの?
この人は、私、水嶋結という人間には到底理解不能な人間だった。
何とか息を整えた私は口を開く。
「おじさん。私高校生なんだ。
このまま警察行ったっていいけど?」
その言葉を聞いた瞬間半裸男の顔がみるみる青ざめていった。
「ちっ!」
大袈裟に舌打ちするとそのままいそいそと服を着ながら夜の闇に消えて行ってしまった。
「大丈夫?」
「・・・。」
「高校生なんだ?」
「・・・行ってないけどね。」
ぼそっと呟くように答える。
「そっか。」
この人は高校生がこんな夜に出歩いていることや、売春まがいのことをしていることに対して何も言わないのだろうか?
「で?お礼は私の体でいいの?ホテルいこっか。」
丁度いいや。お人好しのこの人からも生活費を頂戴しようかな。
どうせ下心いっぱいで助けたんでしょ?
「・・・もう遅いから帰った方がいいよ。気をつけてね。」
にっこり笑って歩き出してしまった。
「ちょ!ちょっと待ってよ!あんた私の体が目当てで助けたんでしょ!?」
「そんなわけないでしょ。女の子が半裸の男に追われてたら、誰だって助けようとすると思うけど・・・。」
顔だけ向けてそう答えた。
そんな面倒事に何の見返りもなしに首突っ込む人なんていないでしょ・・・いるはずない!
私はこの人のことが理解できず苛々がどんどん募っていく。
「私、帰る所ないんだけど!」
このお人好しはどう反応するだろうか。
「え・・・そうなんだ・・・。
親御さんは?」
「父親は死んだわ。母親は私を捨てて男と出てった。
今は住む所もないわ。」
・・・信じるわけないか。
バカバカしい。何か・・・少し期待してたのだろうか。こんなこと口にするなんて。
私はふいっとその人に背を向けて歩きだした。
「僕のうちにおいでよ。もう遅いから泊まる所もないでしょ?
僕は外で寝るから、部屋使いなよ。」
「は?」
どこまでお人好しなのだろうか。
私の話しを信じたの?あまつさえ部屋を貸す?
「は・・・はははっ!バカじゃないの!?何なのあなた!?アハハっ!」
私は夜の街中に響き渡るように大きな声で笑ってやった。
でもどうしてだろう。笑ってるのに目からは涙が溢れて来て前が見えなくなった。
「・・・行こう。」
笑い声が嗚咽に変わり、ペタンと座り込んでしまった私に手を差し出す彼。
何も考えられなくなってしまった私はその手に縋り立ち上がった。
「僕は高瀬 宗助。君の名前は?」
「・・・っ!水嶋・・・っ!結・・・っ!」
「ゆいちゃんか。いい名前だね。」
そう言って彼はにっこりと微笑んだ。