翌朝、さぁでかけようという時になって優希がぐずり始めた。
「やだー!ママと行く!」
「なんで?今日はパパとおでかけするって楽しみにしてたじゃない。」
美沙もほとほと困り果て、懸命に優希の説得を試みていた。
参ったな、こりゃ。
優希は幼いながらに頑固なところがあり、こうなるとちょっと難しい。
やはり母親の微妙な心の機微を感じ取って情緒不安定になっているのだろうか。
「優希!パパとはでかけたくないんか!?じゃあじいじと行くか?」
先程夜勤から帰って来たばかりの義父がおどけて優希に話し掛けた。
「やだ!」
・・・即答。
思わず苦笑いする僕。
ふうとひとつ息をつくと、僕はしゃがみこんで視線を優希に合わせた。
「優希。別にどっちでもいいんだ。パパとおでかけしないで、みんなで病院に行ったっていい。
でもパパが帰っちゃったら、行きたくなくても毎日ママと病院にいかなきゃならないんだよ?
どうする?優希の好きな方を選んでいい。」
優希と二人で錦帯橋に行くのはとても魅力的であったが、目に涙をためている優希を無理に連れていっても仕方がないと思った。
彼が楽しめなければ意味がない。だけど・・・
「パパは・・・優希と橋を見に行きたいけどね。」
にっこり笑いながらそう付け加えてしまった。
優希は難しい顔をして思案しているようだったが、しばらくして「パパと遊びに行く。」そう言った。
「よし。じゃあいこっか。」
気が変わらないうちに素早く優希の手を取ると、駐車場まで歩きだした。
一度振り返って、行ってくるね。と美沙たちに手を振った。
車に乗ってしばらくすると、一転して優希はご機嫌になった。
後部座席のチャイルドシートに座る優希をルームミラー越しにちらりと見ると、なんだか楽しそうに電車のアナウンスの真似をしていた。
「まもなくいちばんせんにでんしゃがまいります!きけんですのできいろいせんまでおさがりください!
がたんごとんがたんごとん。」
律義に電車の効果音まで自分で発している。
本当に電車が好きなんだな。自然と笑みがこぼれる。
「一番線にはなんの電車が到着したんですかー?」
「けいひんとうほくせんでーす!」
「どこ行きですかー?」
「しながわいきでーす!」
品川止まりの京浜東北線なんてないだろう、と思ったがもちろんそんなこと口にはださず心の中のツッコミだけで留める。
「じゃあパパのお仕事行きですねー。」
「そうでーす。かえりはよこはまいきがまってますので、はやくかえってきてくださーい!」
「・・・はーい。すぐおわらせまーす。」
いつのまにか僕の働く場所と、帰る場所を覚えている。
子供は日々育っている。
毎日新しい事を覚え、成長している。
僕もナーバスになっているのだろうか。不意に目の奥が熱くなった気がした。
車の中ではしゃぎすぎたのだろうか、目的の場所に着いた頃には優希はうとうとしていた。
「着いたよ、優希。」
そう伝えると「んー。」と気だるそうに返事をした。
車から降りると2月の末だけあってかなり寒かった。
しかし、ぬけるような青く高い空。澄んだ空気。そして目の前には美しく雄大な錦帯橋。
寒さなんて忘れてしまう、都心では見る事の出来ないすばらしい景観がそこにはあった。
眺めているだけで心が震える景色を早く優希にも見せたくて、いそいそと後部座席から優希を降ろした。
「優希。ほら見て、あれが錦帯橋。綺麗な橋だろ?」
「おー!すごいねー!」
目の前の景色を見て眠気なんて吹っ飛んでしまったのだろう。
優希は目を見開いて歓声をあげた。
「渡ってみようか。」
「わたろーわたろー!」
すっと優希に手を差し出すと、彼はきゅっとその手を握った。
橋の前まで手を繋いで歩いて行き、入橋料を支払う。
美しい橋をゆっくりと踏みしめ堪能しながら起伏を越えていく。
昔、美沙と来た時も思ったが、思ったより急な起伏で驚く。
下りでは優希に注意を促す。
「急だからゆっくりね。気をつけてよ?」
はしゃぐ優希は見ていて冷や冷やするスピードで下っていく。
「危ない!手繋ごう!」
「だいじょうぶだよ!」そう言って繋ごうとした僕の手を振り払う。
やれやれ。こけてもしらないぞ。苦笑しながらそう思う。
そうやって渡り切った時、なんだか少し心がすっきりとしたような気がした。
橋を抜けると、眼前には独特の街並みが広がっていた。
なんだろう。昔の城下町のような雰囲気だ。
ふと見上げると山の中腹に決して大きくはないが、綺麗なお城が建っているのが見えた。
岩国城だ。確かロープウェイであがれたはず・・・と思った矢先に優希が口を開いた。
「パパ!ろーぷえーがあるよ!ほら!あそこ!」
まったく。電車っぽいものは誰よりも早く見つける、優希は。
「乗る?あれに乗るとお城まで行けるみたいだよ。」
「のるのるー!」
まぁ・・・聞くまでも無いよな。
ロープウェイまでは少し距離があったが、持ってきていたデジカメを僕が撮ったり、優希がとったりして歩いていた為楽しくて時間を感じさせなかった。
途中日向ぼっこをしていた猫を見つけた優希が「あのねこさんしゃしんとる!」といってシャッターを切った。
とても子供が撮ったものとは思えないその写真をみて僕は思わず感嘆のため息をついていた。
「すごいね・・・ほんとによく撮れてるよ、猫さん。」
「すごいでしょ!」
誇らしげに、少し照れくさげに言う優希が愛しくてたまらなかった。
#8へ続く