25日目 生き方
日本に帰ったときにのぼりやんがお勧めしてくれた
稲盛和夫さん(現在京セラの会長)の本。
「生き方」という本。結構前に発売され、僕もampmで立ち読みしたことがあった本ですが、
今の状況で読み直すと、のぼりやんの言うとおりしっかりと胸にささるものがありました。
日本にいたときに僕は東京のど真ん中で働きマンさながらに働いていました。
それはもう朝から晩まで働いて、週末は旅行して、夜はビールを飲んで、たまにパーティーを開いたりして。
和歌山から上京してきた僕にとってはまさに理想的な暮らしを実現することができていた、、はずでした。
しかしながら何の不自由もない生活に
なにかわからない恐怖や疑問がいつも僕の脳裏に焼きついて離れませんでした。
もちろん日々のストレスは膨大なもので、
でもストレスだけでは説明しきれない自分の中のひっかかり。
それは稲盛さんの本の中にもあるように
「私利私欲」の概念だったのかなあ、と今ふと感じるのです。
僕はいつもこんなふうに考えていました。
「僕と僕の彼女、そして家族が裕福に暮らせたらええなあ」
そんな思いで自分の年収を気にしながら一生懸命働きました。
僕も3年やそこらで給料がバーンと跳ね上がるとは思っていませんでしたし、
そのときの給料で買えないものといえば家や車などの大きな買い物を除けば、
なんとか購入する目処は立ちました。
やはり単純に私利私欲のために働いていた気がします。
それなのに僕の口癖は
「なんか世の中の人のためになるようなことがしたいなあ」
確かにすべての人がなんらかの形で、人のためになることを仕事にしているはずです。
どんな仕事でもお金が発生していればそれはだれかがその仕事によって助けられている証拠です。
しかしながらそのことを感じられず、いつのまにか裕福なものに囲まれることを目指してしまっていたのです。
稲盛さんは
「家族のためにはたらくんや」とか「この会社のためにはたらくんや!」
そいう考え方もある意味否定しています。
それはグループの尺は違えど「私利私欲」に他ならないからでしょう。
これを突き詰めていくと果てしないし、様々な意見が衝突するでしょう。僕の解釈も違う可能性もありますし。
要は追いかけるものの視点を変えなければ一向に幸せはやってこないということなのかなと思います。
幸せってなんだろう?永遠のテーマですね。
我々は絶大な力の元に生き、短い一生を過ごしていきます。そこになにを残したいか。
それを考えながらまさに「生きて」います。
与えられた仕事に対してしっかりと謙虚な姿勢で取り組む。
ひとつひとつ丹念に仕事をこなしていく。
文才がなく、うまく表現できませんが、カナダに来て、日本を見て
そしてまたカナダに戻ってきて、また日本に帰る。
少し浦島太郎状態の中でひとつ、仕事や人生観に洗練を感じます。
小さくまとまったような感覚もありますが、そうではないと思います。
僕は一人の小さな人間として真面目に謙虚に毎日を過ごして行こうと思いました。
今日も「考えすぎですよ」とたくみくんにつっこまれそうな松田光一です。
この考えすぎな感じ、仕事にならないかなー。
さーて謙虚にお皿洗いしようっと! 今日も“ど”がつくでっかい鍋! もーキャシー。
むずかしいねー。