近代オリンピックの創始者であるピエール・ド・クーベルタンは、スポーツだけでなく芸術の競技を実施することも構想していました。

 

この考えは、心身ともに調和のとれた若者を育成するというオリンピズムの理念に基づいたものでした。この構想は、1912年のストックフォルム大会から実現。

 

芸術競技は、建築、彫刻、絵画、文学、音楽の5部門で実施され、これらの芸術競技はミューズの五種競技と呼ばれ、題材はスポーツに関連するものでした。

 

 

 

1949年に、国際オリンピック委員会は、芸術競技を廃止し、芸術展示に変更となります。

 

1964年東京大会でも芸術展示が行われ、日本の芸術のみに限定された展示は、日本の芸術文化の発信という意味において大きな成功を収めました。

 

 

芸術展示は、1992年バルセロナ大会の時に文化プログラムへと名称変更が行われ現在に至っています。

 

現行の文化プログラムは、参加選手や観客など様々な国の人々がお互いに多様な文化を理解しあって友情を深め、平和な世界を構築するというオリンピズムの平和思想を実現するために開催国や開催都市の芸術や文化を紹介したり世界最高の芸術に触れたりすることを目的としています。

 

これは、オリンピック憲章第39条(2017年度和訳版)には、「OCOG(オリンピック大会組織委員会)は少なくともオリンピック村の開村から閉村までの期間、文化プログラムを催すものとする。そのようなプログラムはIOC理事会に提出し、事前に承認を得られなければならない。」と記載され、文化プログラムの開催が義務ずけられています。

 
 
この文化プログラムの成り立ちの経緯について初めて知ったのは今年の3月多摩センターで開かれたオリンピックの自転車競技開催に関連する講演会の展示コーナーでした。
 
今年は、日本とギリシャの修好120周年記念にあたり来年の東京オリンピック開催に向けオリンピック発祥の地であるギリシャとの文化的な結びつきを知るイベントなどが行われています。
 
8月最後の土曜日は、この日本とギリシャの修好120周年記念の「それぞれの文化遺産の保存と修復 -コルフ島とサラミナ島」の講演会を聞いていきました。
 
この日は、ギリシャ大使が挨拶をされるということで、馬渕館長も日本側の代表としてあいさつされ、東京オリンピック2020の開催時に西洋美術館でもそれに合わせた企画展を開催「スポーツと美術 -古代オリンピックとヨーロッパ美術」といった趣旨の展覧会を開催し、ギリシャよりオリンピックにかかわる作品を出品していただくことになっているという話がありました。
 
オリンピック大会組織委員会のボードメンバーに馬渕館長や日比野学部長といった方々の名前を見るにつけ、東京オリンピックに因んで上野はかなりホットな場所になるに違いないと想像はしていましたが、あまりの直球さに驚き。
 
トーハクで開催されたギリシャ展の際もオリンピック競技に因んだ展示物がやってきたので、今回は何がやってくるのか楽しみになりました。
 
 
ところで、この講演会名にあがっているコルフ島。イタリア・英語でコルフと呼ばれ、ギリシャではケルキラと呼ばれる島で旧市街は世界遺産。
 
このコルフ島にカルフ・アジア美術館というヨーロッパ最大のアジア芸術の美術館があり、日本美術品7500点を抱え東洲斎写楽の扇面肉筆画などがあり、これらは、現 岡田美術館館長の小林忠先生らによる調査鑑定で真作であることが明らかになっているといいます。
このほかにも、北斎の百物語や野々村仁清の陶磁器など、優品が揃い。特に浮世絵は、紫の発色が素晴らしいという。
 
現在、コルフにある百物語 の版違いがトーハクに展示されていています。 
 
これらのコレクションは、グレガリオ・マノスという駐オーストリア ギリシャ大使が集めたもので、赴任していた頃、欧州で吹き荒れたジャポニズムブームに魅了され、まとまった形で優れた作品を入手し、引退後(1919年)にコルフの町に寄贈したものが母体となっているといいいます。

例えば、ラフカディオ・ハーンはギリシャ出身者。それゆえ所縁のある百物語の浮世絵をコレクションするなどコレクションがどのようになれていったのか興味深くもありました。
 
早くから公的な手に渡り、行き届いた管理のもとにあったコレクション故、非常にコンディションがよいというのも頷けます。
 
一度、東京都江戸博物館でコルフアジア美術館のコレクションがナウシカの国からきた日本美術といったふれこみで企画展を行ったことがあり、この時に「ふしぎ発見!}でも取り上げられています。おそるべし「ふしぎ発見!」。
 
この日のもう一人の登壇者は、共立女子大学教授の木戸教授による科研費をつかった国際共同研究「パナギア・ファネロメニ修道院聖堂壁画の修復 -日本とギリシャの共同研究の成果ー」についてのお話。
 
いわゆる、学者さんのお話で興味のあるかたは少ないと思われるのですが、ギリシャ独自の規制なのかは知りませんが、外国人研究者がギリシャでの研究調査の申請をだす、論文を書くなど自国民優先で行われるため、非常に研究調査を行うための前準備に労を擁するという話があり、たまたま、今回のテーマとなった修復案件は、ポスト・ビザンチン時代という研究者の興味をあまりひかない時代のもの、その聖堂にある壁画の写真があるとギリシャ人研究者が論文に使える可能性が大きかったため可能となったといいます。
 
ポスト・ビザンチン時代の図案についての研究書の翻訳の仕事をしてから、実際の教会を探し求めてギリシャのこの時代の教会を調べるフィールドワークにでかけて見つけたのが、このパナギア・ファネロメニ修道院。 
 
修道院の中にはいると聖堂壁画がろうそくの煤で真っ黒になっていて、研究者の勘から「ここだ!」というのがわかったけど目の前にあるものがよく見えない。車の運転手として同行していたご主人が「美術はみえなきゃね」の一言でファンド集めをする決意をしたといいます。
 
2年かけた調査、修復で現在はきれいになって聖堂内の壁画が見えるそうですが、この研究をギリシャの文化庁に橋渡ししてくれた方が急死されて、実は提出しなければならない申請書が出してなかったなど、かなり綱渡り、しかも修復費が足りず、教会の寄付でまかなうといった苦労話があり研究の資金繰りの大変さと文化財が豊富にある国の文化財保護の為の資金繰りの大変さを垣間見たように感じられました。
この修復事業は、基本的に洗浄を中心に行われたといいます。
 
この聖堂の修復事業に、今年一月に東京藝術大学で退官記念展をおこなった木島隆康先生も調査メンバーとしてかかわられていたそうで
、また一つ見知ったことが結びついてくるという機会にも恵まれました。