シントラ探検にかなりの時間と体力を奪われましたが、列車の中で一眠りして復活
リスボンの街に無事戻って来ました
『 Lisboa in Portugal 1 』ブログの冒頭でお話しさせて貰った、消臭力のCMでミゲルくんの後ろに広がっていたあの風景。
今回の旅の始まりはあの場所へ行きたい!から始まりました←ベタですよね
恋い焦がれたあの場所へ。。。
Ascensor da Gloria
《グロリア線》
"7つの丘の街"と言われている坂の多いリスボンでは Bica《ビッカ線》、Lavra《ラヴラ線》、そしてこのGloria 《グロリア線》の3路線のAscensor《ケーブルカー》が坂道をゆっくりと登って行きます。
ケーブルカーの他にはElectrico《路線電車》←トラムと呼んじゃっていましたが が、石畳の狭い道をガタゴトと走っていて、リスボン(ポルトガル)の風景には欠かせないといった感じですよね。
また人々が生活をする上でも、とても重要な役割を果たしているのだと思います。
が、連日観光客で満員だから住んでいる人達はちゃんと利用出来ているのかなぁ
なんか...すみません
車内はレトロな雰囲気の木製椅子です。
運転手さんは女性の方でした。
このグロリア線では私達夫婦が買った交通機関カード(1Dayカード)が、使えましたよ
それにしても落書きが。。。残念
レトロ感が台無しだぁ
このグロリア線登り、乗り場はRestauradores《レスタウラドーレス》駅を出て広場を目の前にしたら左へ少し進むとあります!
が、近くにはフィゲイラ広場にドン.ペードロ4世広場、ロシオ広場、そしてこのレスタウラドーレス広場といった似たような大きな広場がゴロゴロある為、どれが何広場なのかわからなくなってしまったり。。。←私のお手製マップじゃね
広場の銅像なんかを目印に広場名を覚えたらいいのかも←ググればいいのか
そんな訳で結局私達は街の人に教えて貰っても、ちっともケーブルカー乗り場には辿り着けず、ロシオ駅の脇から階段や坂を上り、この登りグロリア線には乗らず乗れず目的地を裏から攻めてみました
Miradouro São Pedro
de Alcântara
《サンペドロ.デ.アルカンタラ展望台》
消臭力〜
なんて叫んでるのは日本人私だけか
でも嬉しいなぁ〜
ミゲルくん、ここで唄ってたんだなぁ〜
あのエステーCMシリーズ大好きです
ここは公園になっていてリスボンの街並みを見渡せる絶景スポットです。
向こうの丘の上にはCastelo de São Jorge《サン.ジョルジェ城》が見えますね。
サン.ジョルジェ城の公園には孔雀が放し飼いになっています。野生ともいう!
ホテルからも近かったです。
見た景色、風の匂い、感じた想いをしっかりと心に焼きつけ、帰りはグロリア線で下りました
Praça dos Restauradores
《レスタウラドーレス広場》
広場に戻って来ました。
写真は、同君連合を組んでいたスペインからの独立(ポルトガル王政復古戦争)を記念した、高さ30mのオベリスクです
オベリスクとはその昔、古代エジプト期(特に新王国時代)の太陽神を象徴する石柱で、神殿の入り口両脇に建てられたそうです。
古代ローマ時代以降は記念碑(モニュメント)として街の広場などに置かれるようになったと。(以前は戦利品でもあった)
形状は主に四角形。上にいくにつれて細くなり、柱面には象形文字の碑文や図像が刻まれているそう。方尖(ほうせん)柱。
そして先端はピラミッド状の四角錐(ピラミディオン)になっていて、創建当時は琥珀金や銅などの薄板で装飾され、太陽神のシンボルとして光の反射を利用して輝かせたそうです。
また日時計の役割も果たしていたと。
ちなみにレスタウラドーレスとは『復興者』という意味だそうです。
なんたが記念碑にもいろいろと深い意味、歴史があるんですねぇ
さて次はPraça do Comércio《コメルシオ広場》を目指します
Rua Augusta《アウグスタ通り》にはこんな銅像が
って、これ大道芸人さんフフフ...
ってか、なんかゴテゴテしてて怖いわっ
中世貴族風の大道芸人さんはドイツでもよく見るけど、この方は良いアイデアだなぁと きっと中で椅子に座ってますよね
これは楽ちんだ
でもちょっとは動いてくれないと、皆んな気付かず素通りしちゃうよ〜(だいたいチップはどこに入れたらいいのやら???)
見えて来ました
あの門をくぐるとコメルシオ広場です。
テージョ川もブロンズ像の後ろに見えます
Arco Triunfal da Rua
Augusta 《 凱旋門 》
《アウグスタ通りの勝利のアーチ》
実はこの門、上が展望台になっているんです
柱の下に入り口があり、入場料は大人1人2.5€くらいだったと思います。
エレベーターで最上階フロアへ行き、そこから螺旋階段で屋上に出れると。
頂上には勝利の女神
アーチ部分中央にはポルトガル王室の文様、その左には大航海時代の偉人ヴァスコ.ダ.ガマ。 右にはリスボン大地震の復興を指揮したポンバル侯爵像があります。
(私達は先を急いでいた為上りませんでした。)
Praça do Comércio
《コメルシオ広場》
ジョゼ1世騎馬像
って、騎馬像正面撮りはダメですよねぇ〜ハハハ... 横から撮ってない
ジョゼ1世騎馬像の後ろにはテージョ川が広がっています。
コメルシオ広場とは"貿易広場"を意味します。
この一帯は港湾関係の建物が開発され、ポルトガルのアジア、アフリカ、アメリカの海外植民地とヨーロッパ他国を繋ぐ貿易を取り締まっていた場所だったと。
このジョゼ1世《ポルトガル王》は、35歳で王位を嗣いだが、政治よりもオペラや教会に興味があったらしく国政のほとんどを、先程のアーチ右の像ポンバル侯爵(セバスティアン.デ.カルヴァーリョ)に委ねていたそうです。
経済、社会、植民地政策、また1755年11月1日に起きたリスボン大地震後の復興再建など、全てにおいてこのポンバル侯爵がジョゼ1世の信任の下、ポルトガルのヨーロッパにおける地位を向上させたんですって。
そして1777年ジョゼ1世死去と共にこの独裁も終わりを告げたようです。
長くなりました
ここから次はBelém地区を目指します
長くなってしまったので、続きはまた次回書きたいと思います
今日もお付き合いくださり、ありがとうございました
ではまた