以前、記事20〜34の「風師と黒水沈舟のその後」でご紹介した二次創作の物語『双玄旅』ですが、この作品の作者様からコメントを頂きました。

 

この作品をより理解する上でも、とても素敵なコメントだったので、抜粋してご紹介したいと思います。

 

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黒水沈舟が師青玄を人間に貶めた時に、死亡へのカウントダウンが始まったのです。

 

二人の愛、恨、情、仇が何であれ、人間にとって一番大きなことは、時間が限られているということ。

人間の時間は短く、短いが故に貴重で、貴重である故に、大事にできるのです。それは師青玄と賀玄が一番理解しないといけないことでした。

 

師青玄はもしかしたら神官になる素質はなかったのかもしれません。それでも、上天庭はずっと大事なことを見落としているのです。それは「人在無間、心在桃源」であるということ。

 

つまり、いかに自分が不利なところに身を置こうとも、それでも助けを必要とする民を救うことを諦めないこと。

 

それは謝憐が大事にしていたことだけれど、神官の資格がない師青玄が悟ったことでもあるのです。個人的にはそこが面白いと思っています。

 

天官賜福は私が一番好きな作品のうちの一つで、描かれている登場人物が大好きです。

この作品を気に入ってもらえて嬉しいです。

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とても深いですね。

 

謝憐の「自分が不利になろうとも、助けを必要とする人を見捨てない」という性格を一言で表現してくださって、そして師青玄はそれを悟った行動をしていた、ということも納得してしまいました。

 

この作品は何度読んでも涙が止まりませんが、二人の物語は「年老いるまで一緒に添い遂げられた」という観点から見ると、我々人間にとっては間違いなく「ハッピーエンドだった」と解釈できると思うのです。

 

しかし数千年、年をとることなく生きる神官が人間になってしまったことで、二人の時間は限られたものになり、片方が年老いて死んでしまうことが悲劇に思えて仕方がなくなるのです。

 

「人間には時間が限られている・・・」

 

それが自分の中でずっと重みを持ったまま感じられる作品でした。

 

 

前もって寿命が分かるわけではないので、そもそも自分が100年生きられるかどうかなんて分からないし、自分の大事な人達が100年生きられる保証もない。

 

今まで以上に、今日を大事に生きよう。大事な人に、大事に思う気持ちを伝えよう。

 

改めてそう思いました。

 

 

 

そして、頂いたコメントを踏まえて、

天官賜福本編のお二人に関して思うことが色々出てきたので、師青玄と賀玄について書いてみたいと思います。

 

もう...この二人について考える時は、いつもため息しか出ません。(すみません、長くなります)

 

賀玄が師青玄をどれだけ大切に思っていたのかが、ひしひしと伝わってきます。

 

 

①一緒に女装ができる親友

 

賀玄は人生に絶望し、復讐のために鬼となりました。長い復讐の歳月の中で、賀玄にとって師青玄は唯一の親友だったはずです。それは、同僚という枠を超えて、一緒に女装するほどの親しさだったことからもわかります。

 

きっと、復讐という先の見えない暗闇の中で、師青玄の純真無垢で太陽みたいな朗らかさは、彼に束の間、復讐を忘れさせてくれて、彼を照らす明かりになっていたと思います。

 

②師青玄を殺すことはおろか、傷つけることも一度も考えていなかった

 

幽冥水府の章で、師無渡を見つけ出そうと、師青玄の長命鎖に血を垂らす時、彼は師青玄を切りつけようとはせず、自分の傷口を押して血を垂らしました。師青玄に「俺の血じゃないと意味がない」と言われても、師青玄を切り付けることはせず、そのまま諦めたのです。

 

真実が明るみになっても、賀玄は師青玄を殺そうとは一度も考えませんでした。師無渡に与えた選択肢は二つありましたが、どれも師青玄の命を奪うものではありません。最後は、ただ彼を人間に戻して、人間界に置き去りにしただけなのです。

 

 

彼はなぜ、師青玄を殺さなかったのか?理由は色々あると思います。

 

長年の潜入で、一番身近にいて、親友としての情があったのはもちろんあると思います。

 

師青玄は、楽観的で陽気な性格で、権力に屈さずに正義を貫き、友人には義理深い一面があります。

 

もし二人の間に恨みがなければ、きっと良い親友のままだったのです。

 

 

それに、長年師青玄のそばで潜伏していて、師青玄の人となりをよく理解していました。師青玄なら自分の利益のために他人を不幸にするようなことなんてしないと分かっていたと思います。

 

一方で、兄の師無渡のこともよく理解していました。弟のためなら、独断でそこまでしても不思議ではないと。そして彼の横柄な性格から、その度胸もあることを。

 

真実が明るみになった時、きっと賀玄は師青玄は何も知らなかったと信じていたと思います。

 

そのため、何も知らずに運命を入れ替えられた師青玄よりも、憎むべきはその兄の師無渡なのです。白話仙人に取り憑かれた弟と運命を入れ替えたら、相手がどうなるかも分かった上で、それでも行ったわけですから。

 

それゆえ、彼の直接の復讐対象は師無渡でした。

 

賀玄は復讐の過程で、何度も師青玄にはそれとなく離脱する機会を与え、師無渡だけに復讐しようとしていたことからも分かります。

 

もしどこかで師青玄が離脱していたのなら、きっと師青玄を巻き込まずに復讐をしていたと思うのです。

 

しかし思い通りにはならず、最終的には師青玄を巻き込む形になり、師青玄を利用して、師無渡を追い詰めて殺します。

 

師青玄を殺すのは簡単だけども、師青玄にとっては真実を突きつけられて兄を失うことが一番の打撃になるから、きっと死ぬことよりも真実を背負って罪悪感を持って生きていることがもっと辛い。

 

殺すことだけが復讐ではない。罪悪感を背負って苦しみながら生きろ。

 

賀玄はそう思って、無理に自分を納得させたのだと思います。

 

賀玄からは、「師青玄に死ぬことよりも辛い地獄を味わせてやりたい」という気持ちは感じられません。彼は師青玄のことを心から憎んでいないように思うのです。

 

ただ両親や妹、婚約者の骨壷を目の前にして、師青玄のことも憎まなければ申し訳が立たない、と思ったのではないでしょうか。

 

 

③矛盾する心の葛藤

 

師青玄が「死にたい・・・」と言った時に「楽に終われると思うな」と返していました。(p358、p383の二箇所あります)

 

原文は「你想的倒美」で、直訳すると「美しく考えすぎだ」、つまり「都合よく考えすぎだ」「考えが甘すぎる」という意味です。

 

翻訳では「楽に終われると思うな」でした。

 

普通に考えると、明儀としての言葉で、「お前は考えが甘い」と聞こえますが、明儀が賀玄だと踏まえると、「楽に終われると思うな」になります。

 

しかし、賀玄の(多分彼自身も認めたくない)本心を考えると、「お前を死なせてたまるか(お前を死なせたくない)」という気持ちも含まれているような気がするのです。

 

そこには三重の意味があったのではないかと思うのです。

 

そして、その三重の意味は、賀玄の心にも三重の葛藤があることを表しているのではないかと思いました。

 

 

師青玄が人間界に落とされてからも、賀玄は花城に莫大な借金をして風師扇を修復して、花城の姿で風師に返しました。

 

もう賀玄としても、明儀としても、師青玄に合わせる顔がないのです。

 

どう顔向けしたら良いのかも、顔向けして何て声をかけたら良いのかも、きっと分からないと思います。

 

でも、放っておくこともできない。そんな彼の葛藤が見え隠れしているように感じます。

 

 

二人の生き様の対比も面白いように感じます。

 

賀玄が白話仙人によって追い詰められて地獄を味わった時、最終的に彼は自暴自棄になって自分を追い詰めた人達を皆殺しにして、最後は力尽きて死んでしまいました。

 

そしてその恨みを背負って、何百年、白話仙人や運命を入れ替えた人に復讐をすることになります。

 

彼を「絶の鬼」にならしめたのは、間違いなく「憎しみ」でした。

 

 

しかし、師青玄はどうでしょうか。

 

今まで兄に守られて、天界で数百年憂いのない生活を送ってきたのに、突如目の前でその兄を失って、

 

人間になって人間界に落とされて、手脚が折れて、薄汚い物乞いになったのです。

 

普通は自暴自棄になるような地獄の境遇ですが、彼はそれでも自暴自棄にならず、

 

与えられた場所で自分にできることを尽くし、人のためになることをして、その結果、物乞いのリーダーになりました。

 

 

それが彼と賀玄との違いなのです。

 

自分の境遇や身分や立場に関係なく、民のためにできる限りを尽くす。

 

賀玄も、そんな師青玄を見て、思うところがあったのではないでしょうか。

 

 

師青玄は神官になる命格ではなかったかもしれない。

 

でも、よっぽど自分よりも神官らしい心の持ち主ではないのか。

 

そこに思い至った時に、きっと風師扇を返してあげたくなったのではないかと思うのです。

 

わざわざ壊れた風師扇を、花城に莫大な借金をしてまで修繕して返した行動からは、

 

少しばかりの後悔が感じられるのは私だけでしょうか。

 

 

やっと長年の復讐を果たすことができたのに、喜びはおろか、かえって大きな葛藤や矛盾した思いを抱えて、

 

この先もやり場のない気持ちを胸に生きていかないといけない賀玄が一番不憫に感じられます。

 

 

 

師青玄と賀玄の間には、二度とほどけないわだかまりができ、二人の関係を考えると胸が苦しく痛くなりますが、

 

それでも、師青玄のどんな状況にあっても「身在無間、心在桃源」の心意気や、

 

賀玄の師青玄に対する思いやりを思うと、心の中に温かく爽やかな風が吹き込むような心地がします。

 

 

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余談です。

 

ガラッと話は変わりまして、ダイエット、アンチエイジング、美容に関してです。

 

「許路兒」という方がいて、奇跡の49歳と言われている方なのですが、美しすぎませんか。

 

たまに、画像で見ると加工されていて若く見えるけれど、動画で見ると年相応...という方もいるのですが、この方は動画を探して見てもこのままの美しさでした。

体型もさることながら、全く年齢を感じない美しさ...。うっとりします。

 

お母様も、他の姉妹も年齢を感じないお美しさなので、遺伝的要素は多分にあると思うし、顔の造形ももしかしたらシワができにくいとかあるかもしれません。

 

それでも、何もせずしてこの若さを保つことはできないと思います。

 

意識されていることの記事を見つけたので、できるだけ取り入れてみようと思いました。

 

 

①むやみに食事量を減らさない

ダイエットの際に、食事制限で痩せる人が多いけれど、食事制限をすると肌のハリやツヤが失われるので、食事制限をせず運動をメインに据えるそうです。

→自分はダイエットの時は食事制限ばかりしていたのですが、毎回途中でやつれるような感じがしたので、運動量を増やす方向に修正しました。

 

②起床時にお白湯を3杯。一日2Lの水を飲む。

→自分はこまめに飲む習慣もなく、喉も渇かないので、おそらく全然足りていませんね。化粧水などで外から補ったり保湿するのは当たり前ですが、それ以前に体が水不足にならないように、もっとお水を摂取しようと思いました。

 

③加工食品を摂らない、揚げ物は食べない。炒めるよりも茹でる。肉料理も、茹でてから少しだけ油を絡めるなどして、薄味にする。

→これは他の中国の女優さんのインタビューでも見たことがあります。やはり美しいはそれなりの努力をされていますね。

 

④砂糖が入っている飲料は飲まない。夕食はスープを飲まない。スープは塩分やカロリーを含むので、スープの代わりに水を飲む。

 

→たまに一日の塩分を計算してみると、普通に食べているだけで塩分を摂りすぎる傾向があるので、これは是非やってみようと思いました。

 

⑤週4日以上、一回30分程度の筋トレをする。運動は、ジムよりも生活の一部に日常的に取り入れる。(エレベーターより階段を使う、できるだけ歩くなど)

 

あの体型は、筋トレ無くしてできないですよね。納得です。筋トレは割とパメラさんの動画をやっているそうです。

 

パメラさんの動画ってなんだろう?と思って調べて初めて知ったのですが、これはダンスやヨガ、ストレッチ、筋トレを融合した有酸素運動で、

 

リズム感がない自分でも簡単に洋楽に合わせて体を動かせて、ダンスができている錯覚(?)とストレッチがとっても楽しかったです!(動画には色々種類があり、どれも音楽も背景も素敵で、お腹に効くのもあります)

普段は汗をかきにくい体質なのですが、1セット終わる頃には結構汗だくになりました。

それでも辛さよりも断然、楽しさが上回ったので、しばらく続けてみたいと思います。(楽しいのでおすすめですラブ

 

実は数日前から色々実践していて、あまり動かない日は水2Lは結構多くて、無理矢理飲む感じだったですが、この運動をした時は汗もかくし、喉も乾くので割と自然に2L入りました。(当たり前ですが、トイレに行く回数はすごく増えました)

 

ダイエットをするなら、食べられる量も決まっているし、どうせならアンチエイジングに良い物・良い習慣を取り入れてみようと思い、食べたものをアプリで細かく付けて、栄養素が偏らないように注意しながら、最近は両方をキーワードに試行錯誤しています。

 

 

そういえば、お土産でいただいた美味しい乾燥の棗(なつめ)を食べ切ってしまったので、追加注文しました。

 

味が好きで、最近は間食に少しずつ食べていて、何気なく調べてみたら、スーパーフードすぎて驚きました。

 

鉄分・カルシウム・葉酸、パントテン酸が豊富に入っていて、それがストレスを和らげるホルモンの働きを促したり、コラーゲンの生成をするのに重要な成分だったり、脂質の代謝を促すHDLコレステロールの増加を促したり、

 

ビタミン・ポリフェノール・食物繊維も豊富に含まれているので、特にアンチエイジングや美容、更年期にもとても良いそうです。「一日三粒で老い知らず」と言われてるんだとか。

 

 

味はデーツに似ているけれど、もっと甘さ控えめで、食感はシナっとしています。(悪く言うとスポンジのような感じ)

 

皮が少し硬くて気になるという方もいるようです。

 

でも個人的には噛んだ時の皮のパリッとした感じ、中のシナっとした食感、素朴な甘さもとても好きです。

 

口コミを見ても、好き嫌いがはっきり分かれるみたいです。

 

人によると思いますが、多分デーツが苦手じゃない人は大丈夫だと思います。

 

食感が苦手な方は棗茶にしたり、料理やデザートに使ったり、食べ方を工夫されているようです。

 

おすすめなので、もし機会があれば是非試してみてくださいほんわか