以前、天官賜福の新版(2023年5月発売)の変更点・追加部分を⑦まで書いたのですが、今新版を読み返していて、新たに見つけた変更点や、前回重要視していなくて書かなかった部分などを追加したいと思います。

・茶屋にいる謝憐の前に初めて銀蝶が現れた時、小説では蝶は謝憐の指先に止まり「それはしばらくすると飛んでいってしまった」との描写があります。新版では「指先にしばらく絡み合い、名残惜しそうに飛んでいった」と改編されています。よりロマンチックな描写になっています。

 

・与君山の小蛍が新版では土地神ということになっています。謝憐が与君山で、顔も崩れたボロボロの土地神の祠を見つけた時に、袖から何とか小さい饅頭を見つけて、供えながら「どうか順調に進みますように」と祈る描写があります。

 

それを見て、扶搖は吹き出しながら「こんなボロボロの土地神なんて、きっと誰もお供えしていなくて、もう何も叶えてくれないよ」と言いますが、謝憐は「私にとっては、たかが饅頭だけど、相手にとっては大事かもしれないだろ」と返します。

 

この返しは謝憐の人柄をよく表しているように感じます。謝憐はいつも、誰に対しても、こうした気持ちを持っているのだと思うのです。今回は何だかこの返しが無性に心に刺さりました。後ほど、余談で少し所感を書いてみたいと思います。

 

・南風と扶搖が初めて謝憐の呪枷を見た時に、新版では扶搖が謝憐に尋ねます。「どうしてそれを取ってもらわないんだ?今回飛昇したし、帝君に取ってもらうこともできるのに」謝憐「前回の飛昇の時に帝君と戦って、ちょっとやりすぎちゃって気を害したかもしれないから、なかなか言い出せなくて」

 

南風「帝君は慕情じゃあるまいし、そんなに器は小さくないよ」扶搖「俺を死人だと思ってるのか?(それ俺の前で言う?みたいなニュアンス)」南風「死んでても生きてても慕情は器が小さい」

 

扶搖の返しも、下天庭の神官が上天庭の神官のことを呼び捨てにするのも、わかりやすい伏線ですね。

 

・小蛍が謝憐に「あの...もしその格好が気に入っているのなら、お手伝いしましょうか?」と言うのが、新版では「道長、これは今晩お嫁に行くんですね」に変わっています。甘いですね。

 

その後、小蛍に手を引かれて出てきた謝憐は、すでに蓋頭を被っていて、そっとした足取りで出てきた姿は、まさに恥ずかしがる新婦のような、しおらしい姿だったという描写もあります。

 

・以前①で紹介した改編ですが、付け足したいので改めて載せます。

 

謝憐が花嫁の輿に乗っている時に、南風と扶瑤と、「嫁ぐ時についていく侍女が二人足りない」「家が貧しかったということで我慢してください」と言う会話があったと思います。新版では、まだ会話が続きます。

 

謝憐「貧しいのなら君たちは雇えないな」扶搖「俺たちは手がかからないよ」謝憐「毎日物をあれこれ投げて、食べ物も投げて粗末にするのに、手がかからないだと?」扶搖「お嬢様、そんなにお喋りだと、旦那様に嫌われますよ」謝憐「旦那様は私のことを愛しているから嫌ったりしないよ」

 

扶搖「本当に愛しているなら、こんなに何年も待たせてから結婚しないでしょ」謝憐「はぁ..。それは旦那様も本意ではないから、旦那様のせいじゃないよ。」扶搖「狐に心を奪われて自分を見失ったんじゃないか?」謝憐「あれ、台本が変わった?お嬢様がお嫁に行く話から妖怪狐が出る話に変わったの?」南風「まだやってるのか!」

 

この会話を受けて、輿を担ぎ手たちが思わず笑い出して、不満が軽減される描写になっています。元々は「侍女が二人足りない」「家が貧しかったということで我慢してください」で担ぎ手たちが笑い出す描写でしたが、会話が付け加えられたことで、より自然になった感じがします。

 

そしてこの後、謝憐が「南風、扶搖」と呼びかけた時に、南風が思わず「お嬢様...」と間違って呼びかける描写があります。二人の会話に思わず洗脳されたと思って、顔をしかめながら「殿下...どうしたんですか?」と尋ね直します。

 

このあたりの一連の改編によって、謝憐がお嫁に行く雰囲気がより濃くなっている感じがします。何だか甘いですね。

 

・輿に乗っている謝憐が、子供の不思議な歌を聞いて、「この輿に乗った時から私はずっと笑っている」と言っていたのが、「実はもうしばらく笑ってるんだ」に変わっています。

 

小説を読んだ時に、どうして乗った時から笑ってるんだろう?とささやかにずっと疑問を持っていたのですが、先ほどの扶搖との冗談混じりの会話を挟んで「しばらく笑っているんだ」になると、より理解しやすくなりました。

 

・鄙奴の又の名を「人虫」と言う描写が追加されていました。小説でも「歩けるほどの力はない」と描写されていますが、そのため這って移動するようです。

 

・宣姫が小裴将軍に連行される前の会話が少し増えています。

宣姫「どけ!お前はなんだ?触るな!呪ってやる!」裴宿「呪っても構いません」宣姫「お前だけじゃなくて、あの野郎も呪ってやる!」裴宿「裴将軍は気にしないと思います」宣姫は天に向かって「裴茗!よく聞いてなさい!」と叫びます。

 

謝憐はそれを見て裴宿に「止めなくていいのか?もし呪ったことが現実になったら?」と尋ねますが、裴宿は「お恥ずかしい限りです。裴将軍はこうなることを知っていて、一生のうちでたくさん呪われてきたから、一番怖くないのが呪いだと言ってました」と返します。

 

...裴将軍、どうやらたくさん呪われてきたようです。飽きられた女性からはもちろんのこと、戦でも強かったし、モテモテだったので、きっと嫉妬した男性達からも呪われたんだろうなと思います。

 

・宣姫が連行されてから、小蛍のいたところにはもう誰もいなくて、代わりに饅頭が落ちていました。それは謝憐が通りすがりにボロボロの祠にお供えしたあの饅頭です。それを見て南風と扶搖と謝憐は彼女が土地神だったと悟ります。

 

他の人達に危ないから山に登らないように説得していたのは、その地域の民を守る土地神の性質でもあったのです。謝憐は「供物が少なくても真心を尽くすのが大事だと言ったけど、間違ってなかっただろ?」と得意そうに言います。

 

・宣姫と戚容の関係に追加があります。ある時、宣姫がたまたま誰かすごい人に封印された戚容を助けたことがあり、それで戚容に気に入られた、との描写がありました。(何かの伏線なのかな?前回読んだ時に見落としていたのであまり印象にないのですが、もし後でこの「誰かすごい人」が出てきたらまた紹介します。)

 

・そして戚容は別名「青灯夜遊」ですが、他の「絶」がみんな特徴的な色(血雨探花は赤、白衣禍世は白、黒水沈舟は黒)を持っていることに憧れて、自分に「青」を付けたそうです。

 

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前回は割と大事な改編箇所に絞って紹介しましたが、詳しく見ていくと、結構細かいところでたくさん改編があります。流れが自然になったり、より理解しやすくなったり。読み返している最中なのでまた随時紹介します。

 

 

余談です。

ボロボロの祠にお供えする謝憐を見て、色々思うことがあり、所感を書いてみたいと思います。

 

中国語に「信則有、不信則無」という言葉があります。意訳すると「信じれば有るし、信じなければ無い」という意味です。いろんなことに対して使われる言葉ですが、神や仏に対しての信心を指すことも多いです。''神に対する十分に敬虔な信仰があれば、神の存在を感じることができ、信じなければ感じることができない''みたいな意味合いだと思います。

 

自分は普段何かを信仰しているわけではないので、もし強引に解釈するとしたら、信じることで無意識に神が求める道徳を遵守して善行が増え、巡り巡って良いことが返ってくるし、それ自体も神のご加護のように感じる、という感じなのかなと思います。

 

ボロボロの手入れもされていない祠を見つけて、扶搖は「こんなの絶対何のご加護もないだろう」と思うのですが、謝憐は信じて、自分がその時できるお供えをします。

 

それは多分、謝憐自身が、自分の神廟が廃れた経験もあるし、誰からもお供えしてもらえない時期も長かったから、「自分にとってのたかが饅頭が、相手にとっては大事かもしれない」と思い至ったと思うのです。

 

謝憐は挫折を味わって、どん底を味わったからこそ、普段から苦しい人が必要とするものを正しく理解し、手を差し伸べられるのかなと思いました。

 

人生には山あり谷ありですが、谷にいる時も、それは自分がより良くなるための試練だと思って、気持ちを前向きに持とうと思いました。そしてこのくだりを読んで、普段からもっと善行を増やそうと思うのでした。

 

(どうしてかわかりませんが、最近謝憐を見ると、なぜか「善行を増やそう」「徳を積もう」と思えてきます。)