慕情は謝憐を裏切った印象が強く、性格も屈折しているので、なかなか好かれない面もありますが、実は彼はとても魅力的なキャラクターなのです。今回は、慕情について紐解いていきます。ネタバレを含むので、最後まで読み終えていない方はご注意ください。

慕情という人物

彼は「杯水二人」の質問で、砂漠で死にかけている二者がいたら、より生きる価値がある方に水を与えると答えました。謝憐が天界から追放されて、みんなで食べるものに困る生活を送っている時に、自分が中天庭に戻ることで突破口になろうとしました。

 

与君山で謝憐の花轎が鄙奴に囲まれたとき、そのまま戦っても埒が開かないので、武官たちを先に安全な所に送り届けてから謝憐を助けに来ようと判断します。冷たく感じるかもしれませんが、彼はどんな時でも冷静で、決断力があり、とても合理的なのです。

 

生い立ち

彼は小さい頃に父親を亡くしています。普通に亡くしているのではなく、罪人として処刑されているのです。そのため、小さい頃から罪人の家族として、どれだけの誹謗中傷や冷ややかな視線、差別を受けてきたかは計り知れません。母一人、子一人で何とか生きてきたのです。

 

家が貧しかったので、幼い頃から働いてお金を稼ぐ必要がありました。他の子供のようにわがままを言うことも、甘えることもできず、母親のためにも早々と成長する必要があったのです。そんな環境で育った彼にとって、冷静さ、客観性、合理的な考え方は全て生きるために必要なものだったのです。

 

子供の花城が絶望して謝憐に「世界中の人を殺して自分も死にたい」と言った時、慕情は「この子はまだ小さい。もう少し成長したら、こんなことは全て大したことではないと気が付く」と言います。この時の慕情はまだ二十歳なのです。彼がどれだけの苦境の中、もがいて生きてきたのかをよく表しています。

 

屈折した感情表現

皇極観では彼は師匠や仲間達から疎まれました。悪意がなくても悪意として疑われ、善意のつもりでも皮肉られてきた経験が彼には多すぎるのです。

 

そういった経験から、次第に人に対して疑心暗鬼になります。風信は彼のことを「皇宮の姫達みたいに神経質だ」と評しましたが、彼の屈折した部分は、誤解される経験をたくさんしてきたことによるものなのです。

 

そして彼は次第に感情表現が下手になります。子供の頃の花城を助けた時、彼は花城が浮浪児ではないとすぐ分かりました。普段から皇城付近の浮浪児の面倒を見ていて、放浪児の顔を全て知っているのです。

 

どの子の顔も覚えているということは、気まぐれに助けているわけではなく、きちんと一人一人向き合っているのです。しかしそのことについて尋ねられて、彼はつい「子供たちがしつこく付きまとうから仕方なくだ」と言います。彼はそういう人なのです。

 

放浪児を助けたエピソードからも分かるように、彼は本当はとても優しい心の持ち主なのです。浮浪児達の面倒を見て食べ物を分けたり、謝憐が極楽坊で右腕を怪我をした時は真っ先に薬を持っていきました。胎霊を助けて噛まれたこともあります。

 

謝憐が通霊陣に入れば真っ先に声をかけます。謝憐と風信にお米を持って行ったり、謝憐が飛昇して困っていたら扶揺に化けて手伝いに行ったり。本当は優しいのに''優しい''と思われることをためらいます。

 

彼に対する誤解

彼の感情表現が下手なところは、数々の誤解を生みます。

例えば花城は、慕情が自分を軍から追い出したのは嫉妬だと考えました。後半、花城が慕情にそのことについて責めています。しかし慕情は、本当は、勇敢で刀使いの素質がある少年が、若くして戦場で命を落とすことを惜しいと思って「善意」から追い出したのです。

 

(彼の胸の内は、文中でははっきりと語られていません。作者が解説しています。)感情表現が下手な慕情のことだから、きっと「善意」に聞こえないような言葉で追い出して、そう花城に勘違いさせたのです。花城に責められた時に、慕情は「あの兵士にただ帰るように言っただけだ。戦なんて良いことじゃないし」と弁明しますが、誰にも信じてもらえません。

 

彼は「善意」が「悪意」としてとられ、弁明しても誰にも信じてもらえない経験が多すぎるのです。もしかしたら、多数の読者にでさえ誤解されているのです。

 

謝憐に対する屈折した気持ち

後に飛昇したことからも分かるように、彼は元々とても賢くて、素質も高いのです。しかし罪人の子として生まれ、家が貧しいだけで、得られないものはとても多いのです。

 

彼は謝憐を見つめながら、自分も謝憐には何ら劣らないはずなのに、出身だけで違いが生まれるなんて不平等だと思います。謝憐はただ良い家に生まれただけじゃないか、と。彼は、太子殿下の眩ゆい光の下で、影になるのではなく、ただ正当に評価されることを望んでいました。

 

祭天遊では、太子殿下は華やかな神武大帝を演じることができるのに、自分は配役の鬼魔しか演じることができないのです。観衆は、太子殿下には拍手喝采や声援を送るのに、鬼魔には「死ね!死ね!」と捲し立てるのです。鬼魔を演じる彼も、中身はただの少年でしかないのです。

 

無意識に剣を握る手に力が入ります。せいぜい七割の力で十分なところを、十割の力を出したのです。誰にも劣らないことを証明するかのように、全部の力を出し切って演じますが、最終的にやはり謝憐に敵いません。片膝を跪いて拳を握る描写があります。彼がどれだけやるせないか、悔しいかを物語っています。天官賜福は見逃してしまいそうな、こういった細かい描写が秀逸です。

 

太子殿下との出会いは、彼が太子の「金箔」を一枚拾ったからでした。彼の出身では皇極観で修行なんてさせてもらえず、雑用係をしていました。謝憐はそんな中でも必死に努力する彼を見て、彼を守り、匿い、そうして彼は太子殿下の侍従として修行することができたのです。その後も、一番惨めな場面で、何度も謝憐に助けられます。

 

謝憐にはそのつもりがなくても、慕情にとって謝憐の優しさは全て上からの「施し」に感じられてしまうのです。謝憐の眩い光の後ろでは、自分がより惨めに感じられてしまうのです。

 

謝憐も大したことがないならいいのに。そしたら自分との差を思い知ることもないのに。小説の随所にそれが表れています。謝憐が芳心国師かもしれないと知った時、慕情に隠しきれない興奮を感じる描写があります。謝憐が「聖人」ではなく復讐する人間だったら嬉しいのです。

 

彼はただ、自分ができないところまで「良い人すぎる」謝憐に嫉妬し、その事実を受け入れることができず、悔しくて、納得ができないだけなのです。自分も本当は誰にも劣らないこと、もしくは謝憐も実は大したことはないということをどうにかして証明したいのです。

 

慕情にとっての謝憐

風信は謝憐を「神聖な神」と思っていました。そのため謝憐が強盗した時、風信は堕落する謝憐を受け入れることができず、そばを離れました。しかし慕情は違います。彼の中で謝憐は最初から「神聖な神」なんかではなく、ただの「ライバル」なのです。しかも、彼は心からあの状況では強盗しても仕方がないと思えたのです。

 

そのため、追放されて生活が苦しかった時、彼はそのままの生活を続けていても埒が開かないと思います。風信は盲目的に自分の「神聖な神」についていって一緒に野垂れ死ぬことができるかもしれませんが、慕情には養わないといけない母親もいます。「ライバル(もしくは友達)」と、仲良く野垂れ死ぬわけにはいかないのです。

 

必然的に、友情よりも出世の方が優先事項になります。それに、自分が中天庭に戻ることで、この窮状を打開する突破口になることができます。もしかしたら、自分でも太子殿下を助けることができる、というささやかな期待もあったのかもしれません。

 

彼だって、忠誠を誓ってどんな時もそばにいる方が、誰からも褒められることぐらい分かっています。しかし、彼はそこまで徹底的に「良い人」にはなれないのです。そして逆に、徹底的に情を捨てきることもできないのです。それが最終的に、謝憐へのひねくれた態度に表れます。

 

彼の哀しさ

三十三人の神官と謝憐が福地を取り合った時、彼は確かに三十三人の神官側につきました。けれど、謝憐には何も酷いことは言っていないのです。ただ謝憐に「どうか...どうか離れてください」としか言っていないのです。

 

その後心配して謝憐を追いかけているし、そんな状況の中でも勇気を振り絞って謝憐と風信にお米を持って行きます。しかしその「善意」は、風信と謝憐に裏切り者扱いされて、お米とともに地面にばら撒かれてしまいます。結局、彼の胸の内を理解してくれる人は誰もいませんでした。

 

この時の彼の気持ちを思うと胸が一杯になります。彼はただ合理的な選択をしたのです。自分が苦境の突破口になり、実際に食料を手に入れてきたのです。彼は本当にそこまで悪いことをしたのでしょうか。

 

君吾の誘い

彼が生粋の功利主義者なら、君吾に味方になるように誘われた時、きっと利益になびくはずなのです。彼はたとえ呪枷を付けられることになっても君吾の誘いを断りました。

 

謝憐は彼を「嫌いな人のコップに唾を入れるかもしれないが、毒を入れることはしない」と評しています。自分なりの尺度や行動原則があり、どんな時でもそれに抵触することはないのです。良いことは、自分に余裕があればします。もしかしたら、本当の意味で彼を理解していたのは謝憐だけだったのかもしれません。

 

誰しもが謝憐のように常に「第三の道」を作り出せる人ばかりではありません。苦境の中で「第三の道」を作り出すのは、自分の''水''を分けることであり、自己犠牲であり、確固たる意志も能力も不可欠なのです。

 

慕情は決して、第三の道を作り出せるような人ではありません。しかし、その中でも葛藤し、もがき、自分ができる最大限のことを尽くそうとする姿に胸を打たれます。

 

慕情は白無相から「お前は謝憐には敵わない」と言われ、風信からは「ひねくれていて神経質」と言われ、国師からも修行仲間からも疎まれてきました。

 

彼が疑われても仕方がない状況の中で、謝憐だけは「君が信じてって言ったから、信じたよ」と言うのです。彼が何百年ずっと待ち侘びた一言だったのかもしれません。そしてとうとう、たどたどしく謝憐に「と...友達になりたいんだ」と言います。彼の心のわだかまりが解けた瞬間です。謝憐は一人の信徒がいれば十分だったように、慕情も謝憐からの信頼で十分だったのです。

 

まとめ

紐解いていくと、慕情という人物の奥深さに魅了されます。慕情の屈折した感情も、内面の葛藤も、無意識の言動への現れも、どれもとても生身の人間らしいのです。

 

「杯水二人」では自分は彼と同じ選択をすると言いました。そして自分が彼の立場に置かれたなら、きっとどの局面でも彼と同じように選択すると思うのです。

 

養う家族がいるのに、友達か出世かの選択を前にして、友達に悪いからと思って一緒に野垂れ死することを選ぶ人は少ないと思います。

 

慕情という人物は、もしかしたら大多数の人の縮図かもしれません。現実世界では、自分が出世したら、かつての友のことなんて忘れてしまうような人もたくさんいます。彼のように、お米を持っていけるだけでも貴いのです。

 

天官賜福は見逃してしまいそうな細かい描写が秀逸です。慕情の人物像を、仮説を持って読むと、随所にそういった記載がされていることが分かります。三周目、四周目は何らかの仮説を持って読み返すのがおすすめです。

 

紐解いていくと、彼の感情表現が不器用なところも、ひねくれた態度しか取れないところも、とても愛らしくないですか?彼のことを好きになる方が増えると嬉しいです。

 

でも残念ながら、慕情も謝憐と同じ“道”なので、色欲は禁じられていますが。