鎏金宴の事件に関して、色々思うことが出てきたので記事にしてみたいと思います。
鎏金宴の事件の真相
仙楽皇室の遺民が安楽王に据えられますが、安楽王は鎏金宴で永安皇室を虐殺し、謝憐がそれを発見します。謝憐は平和のために自分の祖国の最後の血筋である安楽王を殺します。しかし永安国主はもう両民族が融合できることを信じることができず、仙楽人を滅ぼそうと考えたため、謝憐は安楽王によって重傷を負った永安国主(郎千秋の父)にとどめを刺します。最後、郎千秋がその一幕だけを見て、謝憐を虐殺の犯人と思い、謝憐も認めたため、棺桶に釘刺しにして埋葬します。

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謝憐の意図

当時、謝憐は自らが罪を全て被ることで、事を小さくして両族の関係性を壊すことなく、最小限の犠牲(三人の命)で最大限の効果(両族の平和)を得ようとしました。数百年前の当時、真相を隠そうとしたのは平和をもたらすためなら、今回真実が明るみになるのを隠そうとするのは別の意図があります。謝憐は、郎千秋には「善意」を持って相手に接すれば、必ず相手からも「善意」を返されると信じてほしいと思ったのです。真相を知らなければ、郎千秋は自暴自棄にならず、心に恨みを積らせることなく、ただ謝憐一人を憎んでいればいいのです。

 

謝憐の代償

謝憐の心の中では、一人の良い国主の命を奪ったことにも、祖国の生き残った唯一の血筋を自分の手で殺したことにも罪悪感がありました。全ての罪を一人で被り、郎千秋の恨みを自分自身で背負うことで、罪悪感を埋める気持ちもあったのです。謝憐が芳心国師であることが天界で明るみになり、郎千秋が決闘を申し込んだ時、原作小説では謝憐は「だいぶ前に、剣を使って人を殺めることはしないと誓いを立てた」と言っています。ここで言う''だいぶ前''はいつか?きっとこの鎏金宴で永安国主にとどめを刺したことがきっかけなのです。

 

鎏金宴の後、郎千秋は復讐のために、謝憐を棺桶の中に入れ、長い木の釘で刺して荒地に埋めます。木の釘は心臓ごと突き刺し、痛みと、飢えと、失血による幻覚が現れます。後に番外編で花城に、どれぐらい中にいたのか?と尋ねられて、謝憐はどれほどの期間が経ったかも数えたくなくなるぐらい経った頃まで、と答えています。最初は動かずにいましたが、最後は後悔しながら棺桶の蓋を狂ったように叩いて出ようとしますが、死ねない体であるが故に先の見えない暗闇に耐えるしかないのでした。それは滅多刺しのような苦痛とはまた異なり、永遠に果てることのない鈍痛だったと回想しています。

 

謝憐のやり方

郎千秋が小さい頃、さらわれそうになった時、謝憐が止めに入って救った剣式があります。これがきっかけで謝憐は国師として郎千秋の師匠になります。極楽坊では謝憐がこの剣式を使って郎千秋と花城の戦いを止めたことで、謝憐がかつての芳心国師だったことが明るみになります。昔、郎千秋がこの剣式を習得したいと言った時、謝憐は「あなたは太子殿下なんだから、そんなことを習う必要はない」と言いました。この剣式は、双方の攻撃を解くものではなく、一人で双方の攻撃を受けるという、極めて愚かな剣式なのです。謝憐もまたかつては太子殿下だったのに、郎千秋にそう言った時の謝憐の気持ちを考えるといたたまれません。

 

’’両方助けたくて、自分自身が傷つく’’これはとても謝憐らしいやり方なのです。謝憐の究極の理想は、''相反する二つのものに対して、両方うまくいく方法をとる''ことなのです。たとえその代償が自分であっても。数百年前の鎏金宴もそうだし、半月国で両方の民を救おうとしたこともそうでした。そして数百年後、この剣式で郎千秋と花城の戦いを止めたのも同じなのです。

 

花城の視点

戚容の洞窟で、謝憐は必死に真相を隠そうとしますが、花城は謝憐のその意図を知りながら、真相の解明に奮闘します。実は最初読んだ時、このくだりが引っかかっていました。謝憐のことを慕って、尊敬し、神として崇めている花城が、どうして殿下の意に背くようなことをするのか?一見、花城は謝憐が一人で背負って悪者になるのを見るのが忍びなくて、郎千秋に真相を知らしめ、真実を白日の下に晒したように見えます。しかし、多分それだけではないのです。

 

花城にとっては、自分自身が傷ついても双方を助けたいと思う殿下の愚かな「善意」も、それを行動に移し、結果を全て背負う「勇敢」なところも愛すべきもので、止めるようなことはしません。でももしそれによって殿下が数百年間、何らかの苦痛を抱えることになっているならば、それは看過できないのです。花城は、殿下のその苦しみに終止符を打ちたいと考えました。

 

そして、謝憐のために弁解したいだけではありません。こんな見解があります。花城には「万人には皆それぞれの苦があるけれども、皆その内情を知った上で、自分自身で乗り越えて、成長する必要がある。そしてどんな真実も、誰かの''善意''や''勇敢''によって埋もれることは正しくない」そんな考え方を持っていたのではないか。だからこそ、謝憐が隠そうとしても、郎千秋に真実を知らしめたのではないか。(花城がこの考えを持っていると裏付ける描写はあまり見当たらないので、あくまで一つの見解です。)

 

郎千秋の視点で見ると良くわかります。誰かに良かれと思って真相を隠され、恩人を仇だと思って釘刺しにして葬り、恩人を憎み続ける。そんな滑稽なことはありません。きっと真実を知る事を望むし、それがどんな残酷な真実であっても、正しく真実を知った上で乗り越えたいと思うはずなのです。

 

そもそも現実世界に、完璧で美しいものだけが存在するわけではありません。''「善意」を持って相手に接すれば、必ず相手からも「善意」を返されると信じてほしい’’と謝憐は思って真相を隠しましたが、現実世界では「善意」を持って接しても「善意」で返されるとは限らないのです。それを理解することも成長です。逆にいうと、成長した先には、そういうことにも直面する日が来ます。もし今までそれを知らないのであれば、郎千秋がいかに周りに大事にされてきて''守られてきた''かが分かります。花城はそれを誰よりも知っていました。花城は誰よりも生きにくい世界で生き抜いてきたのです。

 

作者の意図

作者はこの辺りのコメントで、以下のように語っています。

謝憐にこの究極の状況で選択を強いるためにこの鎏金宴の局面を作っています。究極の状況とは、どう選択しても死人が出る状況で、誰に死んでもらうのがより良いのか、何人死んでもらうのが良いのかの違いでしかありません。もちろん見てもぬふりをしてもいいし、ただそうしても死人は出るし、誰によって死んだかの違いでしかない。そのような状況下で、''誰が死ぬべきで、誰が死ぬべきではない''ということに関して、考えの違いは当然出るものです。どう選んでも、完全に皆が納得できるわけではない。死ぬべき人間なんて元からいないのです。

 

つまり、鎏金宴の事件は、正しい解決方法がない局面で、誰も死なずに、誰も血を流さずに解決することができない局面を念頭に作られています。どう選択しても死人が出るし、介入してもしなくても誰かが死ぬ、そんな極限状況なのです。

 

現実の中で、完璧に円満に解決できることなんてどれほどあるでしょうか。歴史的に見ても、どの和平の裏にも犠牲がつきまとっています。安楽王は、復讐も祖国の再興も諦めて、手を引く可能性があったのか?謝憐はかつて説得したものの手を引くことはありませんでした。では、既に王座に就いていた永安国王は大人しく皇位を譲る可能性はあるのか?きっとありません。結局戦うことでしか、解決する方法はないのです。戦いには必ず犠牲が伴います。謝憐は一番小さな犠牲で解決しようとしました。まさに、この場合、一番最善の選択だったと言わざるを得ません。

 

この局面を作った意図を考えた時に、謝憐と同じ状況に身を置いたとき、あなたならどうするか?作者に問いかけられているように思います。大多数の人は、自分が疑われないように即座に遠くに離れて、見て見ぬふりをするかもしれません。多数の''他人''の犠牲よりも、一人の''自分''の方が大事な人が多いのではないでしょうか。少し大袈裟に言えば、まさにこういった極限状況の中での、瞬時の判断が「君吾」になるか「謝憐」になるかの分岐点だと考えると、自分はやはり''謝憐''にはなれないし、謝憐がいかに偉大なのかを思い知ります。

 

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余談です。

 

実は今まで日本語訳の小説を持っていなかったのですが、記事を書く上で、自分が書いている固有名詞や表現(特に名言)が、皆さんの見ている小説と異なっていたらどうしよう、という懸念や、折に触れて気になる箇所の素敵な訳を教えていただいた時にうっとりすることがあり、いてもたってもいられずついに日本語版小説も揃えました。

 

そして、先日少し触れたのですが、天官賜福の新版を注文し、届きました。新版では郎蛍が削られていたり、霊文の過去(過去書いた霊文の記事は旧版を元にしています)も旧版とは随分印象が異なるようで、新版では何がどう変わったのかもそのうち記事にできたらと考えています。まだ読めていませんが、開いた時の絵がとても綺麗なので、下に写真を置きます。

 

ただ...問題があって...日本語小説と新版がほぼ同時に届きました汗うさぎ

考察記事も書きたいし、隙間時間に少しずつではなくて、お祈りを捧げてから敬虔な気持ちで腰を据えて読みたいし...おねだり

そんなこんなで読む時間が...という問題に直面しています絶望←計画性

 

なので、新版との違いについては少し先になるかもしれません笑い泣き

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ケースと本の表紙です。

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ケースの裏と本の裏表紙です。

開いた時の絵です。本当にどれも美しい芸術作品のようです。

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しおりやシール、カードなども沢山入っていました。

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開いた時に、ページがぺたっと開くの、ポイント高いです。読みやすさが全然違います。

購入したのはこちらです↓(中身は全て中国語なのでご注意ください。)

届くまで一週間ほどかかりましたが、丁寧に丁重に梱包されていて、傷や擦れなどは全くありませんでした。

もし翻訳しながらでも新版読みたい方がいらっしゃればおすすめです。