息子は当然登校、在宅勤務すると自宅で妻のものに囲まれます。


お墓を作ってないので妻の遺骨も自宅に。妻がお墓に入りたくないって言ってたのでまだ自宅に一緒にいます。入りたくないって言ってたので全くそういうの探しもせずいます。嫌がってるのに他に置いてくるとかはちょっとひどい感じがして。


遺骨の横にある妻の遺影は妻自身が選んだもの、まだちゃんと話せる時に自分で選んで送ってきた、葬式はこんなのがいいとか、妻はまだ生きてたのにちゃんと希望を叶えたいから僕も葬儀屋から連絡貰って幾つかの提案を妻に直接持って行った、話せる時に話したいと言われたから持ってったけど、あんな辛い事はない。何やってんだ僕って、妻に情報を見せながら涙した。頭がおかしくなりそうだった。その時妻は一体どんな気持ちだったのだろう、もっと辛かったはずだ。遺骨はお墓じゃなくて旅行先とかで散骨して欲しい、ハワイは必ずそれに含んで欲しいって、そう言ったから、約束したからハワイ島で散骨もした。


やはり自宅にいると辛い、妻が自分で選んだ遺影、とても可愛いいい写真だ。まだそれをみて妻のこと思い出すと薬の効果なんかぶち破って想いが込み上げて涙が出る。


息子がいない間にしかこれはできない、息子がうざがるから、でも僕には、何がどうあっても奥さんが1番で息子じゃない。まだ奥さんの死が悔しくて悔しくて仕方がない。まだ全然今だに思う。歩いてる時は常にそれが頭にある。妻に会いたい、妻と手を繋いで歩きたい、一緒に旅行に行きたい、一緒に美味しいものを食べたい、一緒にどうでもいい話をしたい、寝る時にぎゅっとしてくっついて寝たい。


こんな考えが始まるともうキリがない。多分息子が仮に死んでも僕はここまでならないと思う。過ごした時間も想いも違うから。


人って思ってたより簡単に死ぬんだって、身近に起こって本当に実感した。いつも思う、世の中には死んでもいいやつ、死ぬべきなひどいやつなんで山ほどいるのにって、何で普通に暮らしてた妻が、うちがこんな状況になるのかって、ほんとそれはいつも、今でも思う。


外でも他の家族を見るのが正直嫌いである。


まだ今だに妻の夢を見ていない、化てでもいいからほんと一度くらい出てきて欲しい。もう5ヶ月も経過したんだぞ。夢物語みたいなことかもしれないけど、出てこない。僕はあんまり好かれてなかったのかなぁ。色々話してくれなかったし、病気のことも僕を巻き込んでもくれなかった、まともに相談もできなかった。僕は何がダメだったのかなぁって、毎日後悔と疑念ばかり。どんな理由でもいいから、夢でもいいから、出てきて僕に言いたいこと言って欲しい。


やはりまだ、僕は僕がこれから生きるための目的が見つからない、定まらない、あまりにも全てが中途半端すぎて、僕はもっとやれたんじゃないかと、色々と最悪な気分になる。


願いが叶うなら、本当に、今の記憶と共に時間を遡りたいよ。今を生きるのは本当に辛い。