妻が亡くなって50日過ぎてからもうカウントをやめた、久しぶりに今数えたらもう80日経過したらしい。
そうか、もうすぐ3ヶ月かぁ。
まだ感触的に変な毎日を送っている。でも僕は日々を作っていくため、息子もいるし止まっていられないのでメンタルクリニックいって薬の力で勘定を抑えて生きている。
そのせいか喜怒哀楽が比較的薄い。妻がまだ闘病していて僕が病院に頻繁に行き、医療費の支払いが発生していた時の方が生活においての労力としてははるかにきつかったとは思う、そして経済的にも。
そういう意味では生活のリズムはある程度落ち着いたと言えるが、妻の存在そのものがなくなってしまったというこの境遇もまた違う話。僕のこの今のある程度の落ち着きと発作が止められたのはやはり薬のせいだとは思う。飛行機の中やハワイ島沖での海洋散骨では色々と思い出して涙が出た。そこは薬の力をも突き破った。
これからまだしばらく、数ヶ月単位でまだ薬はやめることはできないと医師には言われているところ。今は寂しさや悲しさという気持ちはかなり抑えられている。
これからどう生きようか、息子は僕が大好きで家では頻繁にくっついてくる。中2なのに頭の中はまだベビー。困ったもんだ。もうすぐしたら高校生なのに…
それにしても、夢にすら出てこない妻、色んな人が会いにきたという話、その件については僕はまだなんでなんだと思っている。それは僕の気持ち次第なのかそれとも相手次第なのか。僕はこんなに対峙したがってるので僕のせいでは無いだろう。なんて事考えると少し薄情なもんだと思ったりする。間違いなく僕は全力で毎日を作り頑張ってると自分で思ってるし、妻の残した私学に通う子供やその後の何も共有されなかった事柄のあらゆる整理や片付け、本当に大変。
海洋散骨ではその後妙な虚しさが残ったというのは本当だった。なんだかずっと一方的に頑張ってる感からそう感じるところがある。
今日はメンエスの予約の日、いつもの同じ人、色々と話をしているのでとても優しい、リラックスしてくれと最近はやさしく抱きしめてくれる、その時なんだか無駄に入ってる力がぬける、話も聞いてくれる。よかったらそのうち旅行も一緒にでも行きたいといつも言ってくれる。息子が人見知り激しくてめんどいと言ったら、じゃあ一度息子付きでご飯でまいって慣れようって。今はそういうのがなんかすごくありがたい…
てな感じになってる僕は少しやばいな😂
もしそんな人が他にも出てきたら落とされそう💦💦