僕は今何かよくわからない不安に包まれている。具体的に何が不安なのかわからない。単純にこの妻が存在しなくなった環境が怖く感じ、それがそのまま不安材料となっているような感触。でもあとやはりどちらかというと不安というより悔しさが遥かに大きい。この悔しさや心の中にある妻のための思いをどこにぶつけたらいいのかわからない。今妻を思って涙が流れるとしたらその理由は妻がいなくて寂しい部分もあるけど、とにかく悔しい、無念、怒り泣きとも言える。

 

もう12日目なのにいつまでもメソメソと情けない、と思われるかもしれないが、こればっかりは正直まだ拭えない。この、とてもじゃないけど人生をまっとうできたなんて一ミリも思えない妻の短かった人生、たくさんのことをやり残し、心配を残し、不安を残し、悔いも残し、無念にもこの世を去ることになってしまった理不尽な運命、これが悔しくて悔しくてたまらない。本人はどれだけ悔しかっただろうか。再発が何度あっても少しでも可能性があるなら苦しい辛い治療を続けようとした妻の勇姿、生きたいという強い意志とその姿、妻の勇姿は僕は絶対に忘れない。なので最後まで妻の要望には応えるつもり。

 

でもいくら要望に応えても、時間は戻ってこないし妻も戻ってこない。でも少しでも、もし妻の魂がいるのであれば、僕の最後のフォローを感じて、見ていてくれることができているのであれば全力でやりたい。周りはみんな僕はよやったと言ってくれるけど、僕はどうも自分では全然妻のために十分にやれたとは思えないでいる。もっともっと病院で付き添いたかった、妻を病院で1人にした時間がすごく長かった。めんどくさい子供もいるのでそういうのがあまりできなかった状況があったとはいえ、時間は戻らないものだから無理矢理にでもそうすればよかった。でも息子を放置すると妻が悲しむし心配しまくるから、それもできず、でも僕は妻のそばにいてやりたかった。食べ物ももっともっと妻の好きなものを届けてあげたかった。それからあれも、これも... 色々足りなさすぎたのではとずっと思っている。あぁ、自分が何人もいたらな、って... 身体が足りないと何度も思った。これが今までで一番大きい後悔というものだろう。妻にろくに何もしてやれなかった... って。あととにかく妻があまりにも不憫で、気持ちの整理がつかない... その表現が一番適切だろうと思う。

 

そしてずっとまだアホみたいに、時間よ戻れ、なんて毎晩願いながら寝ているバカな僕です... 

息子はほとんどもう乗り越えてきているのに、自分はなんともなんとも情けない。本当に情けない... 最近は息子にもこの件に関しては呆れられているのが現状だ。逆によく息子はこうもあっさりとしていられるなあと思う。やはり母親を失うのと配偶者を失うのとでは感覚が違うのかもしれない。僕には妻を失ったことは重い、ものすごく重い... いまだに胸の辺りの詰まりが取れない... まだ当分これは取れそうにもない、それだけ想いがたくさんたくさんあるんだ...