午前中は大雨、午後は快晴。

ナンダコレ、の日が多いですね。

 

皆さまの暮らす街はいかがでしたか?

 

今日は、最近自分に言いつづけていることを、

文章で。

 

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「すぐ終わるやん。ほら。」

 

来たる時の言葉。

 

ちゃっちゃとやれば、すぐ終わることがわかっているのに、

すぐ終わることほど、

その”ちょっと”にやる気が出ない。

興味がわかない。

 

きっと、

「すぐ終わるやん」「ちょっとやん」「簡単やん」

って、終わりまでをイメージして、

イメージでは、もう終わっちゃってるから、

 

終わっていることを、再度やる必要性を感じていない

(いや、現実は何も終わってないよ?)

 

アタマだけが、なんでも先取りしちゃって、

それで、

 

やった”気”、できた”気”、満足した”気”

 

になっている。

 

まぁ、それでいいと思っているわたしもいるのだけれど。

気が満たされたなら、それでいいじゃないか、と。

 

 

でも、

課題を期限までに提出とか、

書類を教授にメールだとか、

授業時間開始までに登校だ・と・か!

 

 

自分は満たされていても、

自分”だけ”が満たされている状態では、

他の誰か、誰かが、満たされなくなる時がある。

(他人の気を害する、とかね。人は、自分の「ふつう」を崩す人に、嫌気がさす傾向にあると思う)

 

なんだかんだ、わたしは、

 

他人の心地よさそうな姿を含め、わたしの心地よさだな〜

 

と感じているから、

誰かの気を害してまで、なにかしたいことも、抗いたいことも、主張したいことも、

ない。

(ここでの”他人”は、わたしからみてある距離の範囲の人々を主には指す)

 

だから、やることをやれば、

それで誰かが安心するなら、

ちゃちゃっとやりますよ、と。

 

だけど、グル〜っと考え出すと、

いや、やらんでもいいやん、別にいいやん、別に。

「別に」がアタマの中を歩き出す。

 

そして、そのやることを認識している状態だけが、

わたしのアタマにずっと居座って、

なんだかなぁ、と気持ちも向かず、

やらないまま、なのだ。

 

だがしかし。

最初の言葉。

 

「すぐ終わるやん。ほら。」

 

そう、終わるんですよ、それは、知っているんですよ。

毎回、この流れ。

 

ちゃっちゃと終わらせればいいのに。

ムダに「別に」にアタマを占領させる時間なんて、つくらなくていいのに。

 

 

 

こう言いながらも、

「別に」状態にしている、アレや、コレや、ソレや、ド・レ・や!?

 

はい、やります。

数分後に、わたしは、わたしに言うでしょうね。

 

「すぐ終わるやん。ほら。」

 

 

 

では、また。