今まで私は本を読むときに、しおりはテキトーなものを挟んでいました。
アマゾンの納品書の紙とか、
レシートとか、
パンのビニール袋を留める、針がねにビニールコーティングしている棒とか、
(微妙な太さで、再度読み始めるとき簡単に開けて重宝だったりする。)
突然私の思考に誰かが矢を放った!

「1万円札を挟んでしおりにして使う。」
すぐにやってみた。

財布を取りに行き、一万円札を一枚、
手にとって、読みすすめながら、時々一万円札を一緒にページをずらしていく。
最初、これにどんな意味があるのかよくわかりませんでした。
ただ、いつも一万円札が視界に入り、

手で触っていて、

長時間(読書中ずっと) そこにある。

こういう経験って、今までなかったことだなあ。
二日目、(今日のこと)
一万円札がフレンドリーに見える。


何故?



本を読むという未知の世界へのワクワク、ちょっとした静かな興奮タイムを、

共に過ごしていて、一万円札が視界に入ることにその感覚が上乗せされたのかも!?

そう、今までは、
一万円札という固形物質に対して、そのようなフレンドリーな感覚がなかったわけだ!(と気づく)
お金が好きな人(お金持ち)は、紙幣を眺めたり飾ったりするのが好きだという。(とよく書いてある。)
でも、私は一万円を眺めたいとか、この印刷物に愛着を感じるとかが無かった。
一生懸命眺めても、感じなかった。
子供のころから、財布の中の金額にはあまりこだわりが無かった。
預金額、総所有額が大事なポイントだった。
財布は一時的な通過点という認識だった。
高額なものは大学生の時からクレジットカードを使っていたし、
自分のお金としての紙幣は財布の中にせよ預金通帳の数字にせよ、固形物質の紙幣の存在としてはあまり親近感が無かった。
遡ると、
「なくすといけないから、早くしまっておきなさい。」
と言われて、五感で感じる前にしまって手元から遠ざけ、
「なくしては(落としたり、どこに置いたか忘れたり、スリに取られたり・・・)いけない。
いつまでも手で持ったままにしていてはいけない。」
という

強迫観念

が幼児期にインストールされたようだ。
犬(狼)の味覚が発達していないのは、舌の上で感じる前に飲み込んでしまうからと聞いたことがある。
同様に、もらったお金は、五感で味わう前に手元から離れる習慣により、お金を眺めても何も感じなくなったと同時に、
「速くしまわないと!」という視界から消す"強迫観念"が起動していたと思われる。
だって、つい最近まで、そう「言っていた」もの。
「なくすとけないから、あまり大きな金額は持ち歩かない。」と。
理由は「なくすといけないから。」だった。
そしていま、ベルを聞いただけでよだれが出るようになったパブロフの犬のように新しい脳の回路が作られた!?
本を読む⇒


ワクワク
一万円札がいつも一緒 with ワクワク

本を読む⇒


ワクワク
一万円札がいつも一緒 with ワクワク

本を読む⇒


ワクワク
一万円札がいつも一緒 with ワクワク

本を読む⇒


ワクワク
一万円札がいつも一緒 with ワクワク

一万円札が視界に入る⇒


ワクワク
一万円札を見ただけで、ワクワク


そして、楽しい時を共に過ごすお友達のように感じる。



一万円
札を見るのが楽しい

O(≧∇≦)o
一万円
札を見るのが楽しみ



一万円札大好き
\(☆^〇^☆)/
そして古い強迫観念は、
起動しなくなった!
(現在、何故来たのか理由を未確認の一万円札の束が私の財布で宿泊中。もちろん移動も一緒

)
(そのことに、まあいいやー、と思っている自分が別人になったような感覚。)
あ!それが起きたのは、
いくつか服を捨てることにしたけど、捨てるには忍びない服を、
生まれて初めて古着を売りに行ってみたという体験の数時間後というタイミングだった!
(つまり、一つ前の記事の流れ)
ちなみに、そのお店は古着の買い取りではなく、販売代行屋さんでした。(/ω\)
(別になんでもいいけど!)
電子マネー化が進むと、お金に対する感覚はどのように変わって行くのでしょう~?
無感情になっていくのかなあ?
ゲームのスコア感覚になっていくのかな?
何か自分のハッピーなものとリンクをしていくとお金のポジティブ・イメージ増強になっていくのですねー!
