ペットとか、就学前歩子供とか、100%自分本意で罪悪感無く生きている存在に、
ゲスいという言葉は使わないのではないのかな?
その差は何?
「邪」気が無い。
自分への愛ゆえの自分本意。
欲しがったり要求しているときも、生命力の本質の愛を放射している。
本当に純粋に、罪悪感無く自分本意になると、彼らのように、自分でもゲスという言葉はフィットしなくなるのだと思います。
では、自分に使うときは、どういう状態か?
「罪悪感」を感じていて、それを打ち消そうとしているとき。
悪いことだと感じていながらやるとき。
罪悪感があるとき、それをするのに恐れがあります。
恐れを乗り越え、罪悪感を打ち破る勇気を与えるのか゛この言葉、「ゲスくなる」。
これで、自分を罰することから自分を救い出すことができます。
でも、この時、暖かい愛の感覚ではなく、固いハラハラした緊張感があるように思います。
それは、もう一つの毒、本来の意味であるエネルギーとして、「自己卑下」を自分に注入しているから。
とにかく決心してそこから出たあと、新しい視点で
「なーんだ。」と、恐れが消える。
心屋さんの言う「勝手に握っていた架空の罪」が、真実ではなく自分の思い込みだったと気づけたら、その恐れと罪悪感は抜け落ちて、解放される。
本当に罪悪感が解放されると、「これはゲスいことだ」という認識も外れて自然な事になる。
天然にお互いに誰もが持っている当然の愛になる。
それをゲスいなんて思わない。
だから、もし、いつまでもゲスゲス言っているとしたら、まだ罪悪感を持っていて、風邪薬や抗うつ薬のように単に封じ込めているだけで根本の思い込みが変わっていないということ。
罪悪感とともに愛も封印して、麻痺して無感覚になり、ネガティブ言葉のアファメーションは潜在意識に深く浸透して本当に本物の下司、下劣、卑しい人になってしまう。
だから、この言葉の用法用量は、
短期的に罪悪感と付随する恐れを突破する、行動パターンを変える時に(用法)、
今までと違う世界に出たら、恐れは幻想だったと気づき、その時点で使用をやめる。
やめるというか、新しい世界で自然に使わなくても良くなったことを感じてそのままやめればいい。(用量)
そして、この言葉を使わなくても、他の選択として、罪悪感を作っている思い込みを見つければ、手放せれば、突破する勇気も必要なく
楽に新しい世界に変われます。

そして、もう一つ、
変わったときの新しい観念が、
天然にお互いに誰もが持っている当然の愛になっているか?
生命力の本質としての愛を放射しているか?
そうでないと、波動の低いAパターンから別の波動の低いBパターンに移行しただけで、別の問題が出てくるでしょう。
流行は流行るものではなく、流行らせている面もあるものなので、
日本人をそっちに誘導している(
のう)感じもあります。ここまでブレインストーミングした結果、私のおち、
私はそのゲス・ピル
は使いません。(-.-)自己価値を下げることなく、アップして
無条件の愛とともに解放しまーす。
。
愛の反対語は罪悪感です。私の言う罪悪感とは、自分自身の存在を否定する罪悪感のことです。BASHAR④ P16
自分の情熱に従おうとすると、欲求不満や罪悪感、恥ずかしさや恐れを感じたりすることがあります。これらはあなた本来の波動とずれることから生じています。けれども、あなたはこれらの苦痛に対処する方法がわかりません。
それゆえに、あなたというパーソナリティは、苦痛から逃げ、苦痛を避け、隠し、否定するのです。
BASHAR2006 P52
バシャールのワクワクの使い方・実践篇 (VOICE新書)

だろうし、聞いている人も、愛が伝わって来るのを感じると思う。