天下泰平さんのblog でも、続けて訃報の記事でした。
サルーキ君
の旅立ちは、ある意味、急でもありましたが、天のポータルが開いているのは知っていました。その時、私がわかったこと、死とこちらの世の生の人の立場について、今日は書いてみようと思います。
スピリチャルな見方では、私たちは地球に魂の学びのために生まれて経験していくと言われています。
臨死体験の人が、「まだその時ではない。」と言われてこっちに戻って帰ってくる、生還する話が多くあります。
逆に、「まだその時ではない。」と返される時期を過ぎると、そのまま逝ってしまう。
それはちょうど、学校の授業がその日一日分終わったかどうか、
2時限目までしか受けていなくて、午後の5時限目まであるのに勝手に子供が帰ってきてしまうと、親は「最後まで授業を受けてきなさい!」とまた学校へ返されるようなこと。
その日のカリキュラムがすべて終わり、放課後になると、「もう帰ってきていいよ」と、家のドアを開けて待っていてくれる。
キリスト教では、私たちは神の子と言われます。
神の子が、地球という学校へ行き、学びを終えたら帰ってくる。
現代の私たち地球の人たちは、死は怖いもので、一日でもこちらの世にいる、生きていることがよいことで、みんなで逝ってしまいそうな人を元気づけて励まして、治療やケアをして、少しでも、一日でも長く私たちと共に過ごすことを願う、それが善だという思い込みを持っています。
しかし、それは、もう帰っていいよと言われている子を、周りのみんなが「まだ返らないでー!」と引き止めるのと同じこと。
「一緒に学校で居残りしようよ~!」と説得するようなもの。
それは、まだ学校にいる子供達のエゴ。
天の両親が、「帰ってきていいよ。」といっている、そして、魂は帰ろうとしている、
そこでこちらの世の愛する人達から引き止められると、それに応えようとすると葛藤が生まれる。それは苦しみを産む。
もう帰ろうとする子供がいたら、家に帰してあげるのが本当の思いやり。
地球の肉体で90歳、百歳であっても、これまでの地球は若い星、そこを学び場とする魂は幼稚園児。
みんな神の子。
命を大切にするとは、一日でもカレンダーの日を更新することではない。
命のカリキュラムをやり遂げること。
だから、危険なことを避けて安全ゾーンにずっといつづけて120歳まで生きても、それは命の価値を無駄にしてしまうことで、粗末な使い方で終わってしまいこと。
たとえ地球にいる時間が短くなるようなことでも、それが魂の目的なら、それをさせてあげること。
魂は地球の時間の長さの次元で見ていない。
時間は幻想。
その幻想で、長い短いは、重要ではない。
今日の授業が全部終わったら、
家に帰ってきていいよ。
また、明日になったら、次の一日が始まる、また学校に行こうね。
それが次の転生、次の人生だ。

カリ 終わりと始まり
古いものは手放さなければなりません。
そして、新しいものが入ってこれます。

・あなたの最近の変化は最善です。
・あなたの思考はとてもパワフルです。ポジティブに保ちましょう。
・喪失に見えることは、本当は幸せな新しい段階への始まりです。
・過去を手放しましょう。
・次へ進む時です。

